8.デートのお誘い
「佐倉様、お待ちしておりました」
「お世話になります。どうぞよろしくお願いします」
上京したのは昨年秋の内定式以来だ。彼のお見舞いを断られたあの日から、彼や彼の秘書と連絡を取ることは無くなった。
これ以上、彼に迷惑をかけてはいけない、と思い、自力で部屋探しをしようとしたのだが、思った以上に苦戦したため、不動産会社を経営しているという彼の幼馴染みに連絡を取ることにした。
そして、今日、内見と契約のために丸2日のスケジュールを取って、東京まで足を運んだ。
「咲ちゃん、この部屋はどうかな?」
「――はい……そう、ですね……間取りも、設備も充実してて良さそうです」
「じゃあ、こことさっきの2件を内見しようか」
「はい、それでお願いします」
てっきり話を通してくれるだけで、部下の人が私の担当になると思っていたのだが、指定された店舗に行くと、社長自ら物件を紹介してくれるという。最初こそ「佐倉さん」と呼んでくれていたが、すぐに「咲ちゃん」呼びに変わっていた。
普段本社勤務の社長がいて、社員たちは働き辛そうに見えた。ぎこちない表情の社員を見る度に、申し訳ない気持ちで一杯になったが、こればかりは仕方がない。こちらからお願いしておきながら、「担当を他の人に変えてください」と言えるはずがないのだから。
高木さんは見た目こそ仕事のできるビジネスマンの雰囲気を纏っているが、実際に話すと、とても気さくで笑顔の多い人だった。初対面で緊張していたが、高木さんの明るさに緊張が解け、次第に部屋探しが楽しくなってきた。
「咲ちゃ~ん、ここが一番のおすすめ物件だよ。単身者に人気の街だし、通勤時間も短くて済むよ」
「はい、眺めもいいし、徒歩圏内にスーパーやコンビニ、自然が多い公園もある。交通のアクセスもいいし、さっき見た2件と比べても最高の物件ですっ!」
「ねっ! 俺が言った通りでしょ? ここにしちゃう?」
「――契約したいのは山々なんですが、やっぱり家賃が少し……」
「確か、予算は10万円以下だったね。ここは人気物件だから、予算オーバーか……」
「はい、なので、2件目に見たぶ――」
「咲ちゃんっ、俺に任せなさいっ!」
「えっ? 高木、さん?」
高木さんは突然、スマホを取り出してどこかに電話し始めた。話しぶりからして社内の誰かのようだが……。話しながら、部屋を出て行ったため、どんな話をしているのかまでは分からなかった。
数分後、にっこり笑顔をした高木さんが戻って来た。
「咲ちゃんっ、ここの家賃全ての費用込みで9万9千円になったから、契約できるよ」
「――えぇ~!」
高木さんは社長という立場を最大限に利用して、10万円を超える家賃をものの数分で予算を下回る金額で交渉したようだ。とても有難いのだが、そこまで親切にしてもらってもいいのか、頭を悩ますことになった。
「あの、大変有難いのですが、そんなに値引きして高木さんの会社は損になりませんか?」
「咲ちゃん、こんなことを言うのはアレだけど、正直なところ、ウチの会社くらいの規模になると、これくらいの値引きは赤字にならないんだよ。だから安心して契約できるよ。あ~、でも、このことは誰にも内緒だよ。他の契約者は正規の家賃を払っているからね」
高木さんは、人差し指を口の前で立てるポーズをしていた。高木さんの笑顔につられるように、くすりと笑ってしまった。
高木さんと不動産会社に戻り、正式に賃貸契約を結んだ。引き渡しは余裕を持って卒業式後の3月中旬からにした。引っ越しの準備はもちろん、生活必需品を購入する必要があったからである。
――ふぅ~、住む場所も決まったし、後は卒業式と引っ越しだけ。高木さんに相談して良かった。部屋探しのために1泊2日で来たけど、契約もしたし、明日は観光でもしてから帰ろうかな……。
そんなことを考えていると、契約書の控えを持った高木さんが戻って来た。
「はい、これ、契約書の控えね。しっかり保管しておいてね」
「はい、ありがとうございます」
「咲ちゃん、部屋も決まったし、明日は暇になったでしょ? 」
「そうですね……こんなに早く決まるとは思ってなかったので。明日は観光でもしてから帰ろうかと思います」
「じゃあさ、俺、明日、結人のお見舞いに行くんだけど、咲ちゃんも一緒に行かない?」
「えっ? まだ退院してなかったんですか?」
「――いや、退院はしてるんだけど、当面は自宅療養でリハビリに通院してるんだよ。咲ちゃん、結人と連絡取り合ってたんじゃなかったの? 俺、てっきり知ってるかと思ったよ」
「――――」
――赤津さんから橘さんが事故に遭って入院したって聞いたのは内定式のあった去年の秋だったはず……。年が明けても自宅療養だなんて、そんなに重症だったの?
「あのっ、橘さんはそんなに重いケガだったんですかっ! 私、知らなくて……知ってることを教えてもらえませんかっ!」
「――咲ちゃんっ、分かったから落ち着いてっ」
「――わ、私、大声で……ごめんなさいっ」
「大丈夫だから……さて、契約も済んだし、外でお茶でもしながら話そうか?」
高木さんが連れて行ってくれたのは不動産会社から徒歩で数分の場所にある落ち着いたカフェだった。平日の昼間ということもあり、店内には客が少なく、話をするにはもってこいの場所に思えた。
「咲ちゃんは何にする? ここのパンケーキは美味しいらしいよ。僕は甘い物は苦手なんだけど、甘い物は好き?」
「私は……紅茶で……」
「――うん、分かったよ……」
高木さんがオーダーしてくれて、すぐに飲み物が運ばれてきた。店員が席を離れるのを確認してから、高木さんは静かに話し始めた。
「咲ちゃんは結人の事故のこと、どこまで知ってる?」
「私は……内定式の日、橘さんの秘書の赤津さんから事故に遭って入院したことを知りました。命に別状はなく、意識もあるから心配はいらない、と。お見舞いに行ってもいいか、と聞いたら、家族以外の面会は断っていると言われてしまって……それから、橘さんとは連絡を取り合っていません……」
「――アイツか……」
高木さんが何かをぼそりと呟いていたが、頭の中は彼のことで一杯で、何を言っていたのか聞き返す余裕はなかった。
「そうか、俺も高杉……俺と結人の幼馴染みから聞いたんだけどね」
「高杉、さんからですか?」
「咲ちゃん……高杉と会ったの?」
「はい……就活で上京した時に橘さんが高杉さんのお店に連れて行ってくださって、その時紹介していただきました」
「――へぇ、結人がねぇ~、ふぅ~ん、なるほどね」
「それで、橘さんの容体は?」
「話が逸れちゃってたね。それで、結人が海外出張から帰ってきた9月の末辺りだったかな、疲労で倒れたところに運悪く車の玉突き事故に巻き込まれたらしくてね。奇跡的に、命に別状はなかったんだけど……」
「それって……大事故じゃないですかっ。それで、ケガの具合は?」
「咲ちゃん、これから話すから落ち着いて」
「――はい、すみません……」
話の先を早く知りたくて、つい前のめりになって声を荒げてしまった。そんな自分が恥ずかしくなったが、それ以上に彼の容体が気になって仕方が無かった。
「結人は都内の病院に搬送されてね、ICUに1週間いたらしい。その後は個室に移って、2カ月位入院してたかな。そういえば、個室に移ってから見舞いに行ったら、結人が『スマホを秘書に奪われた』って言ってたっけな。いくら治療に専念させるためとはいえ、やりすぎだよね。あの秘書、過剰なくらい結人に過保護だからなぁ」
「――――」
――スマホが手元になかったから……? 私に連絡をしなかったのはスマホが無くてしたくてもできなかったから?
「くちゃん、咲ちゃんっ?」
「――あ、はい……」
「咲ちゃん、顔色悪いけど大丈夫か?」
「大丈夫です、それで橘さんは……?」
「――年内に退院してからはずっと自宅療養してるよ。右足と左腕を骨折したからね、完全復帰するまではリハビリに通う必要があるって言ってたよ。まぁ、自宅でも仕事はしてるみたいだから、元気はあると思うよ。だから、咲ちゃん、安心していいよ」
「――はぁ~、橘さんは無事なんですね、良かった……本当に、良かった……ぐすん」
「ちょっ、咲ちゃんっ?」
彼の無事を身近な人から教えてもらい、胸のつかえが消えたようだ。ホッとした束の間、涙が溢れて止まらなくなった。遠くで、私を呼ぶ声がするが、その声すら聞き取れないほど泣きじゃくっていた。
「――高木さん、すみませんでした……」
「いやぁ、声を上げて泣き出した時はどうしようかと思ったよ。結人の手前、抱きしめてあげることもできないし……」
「本当にご迷惑をおかけしてすみませんでしたっ」
初対面の相手に大声で詰め寄っただけでなく、大声を上げて泣き出したのだ。これは土下座レベルの謝罪が必要に違いない。さすがに土下座をする訳にもいかず、結局、席を立って頭を下げて謝罪することにした。
「咲ちゃんっ、そんな、頭を上げてよ! こんな可愛い子に頭を下げられたら、さすがの俺でも対応に困るよ……。咲ちゃんの謝罪は受け取ったから、ほらっ、頭を上げて、席に座ってっ」
「――はい……」
「全く、咲ちゃんは結人のこととなったら、そんなに取り乱すんだね。妬けちゃうなぁ。結人のヤツ、何で自分から咲ちゃんに連絡しないんだよっ、仕様もないヤツだなっ」
「私のことはいいんです……橘さんにはとてもお世話になりました。それに、私みたいな学生が簡単に会える人じゃないって分かったんです。これ以上、橘さんに迷惑をかける訳にはいきません……」
「咲ちゃん……はぁ~」
「――――」
短い沈黙が続いた後、高木さんは意外なことを言ってきた。
「咲ちゃんっ、明日暇だよね? 俺とデートしよっか」
「――デート……えぇ? デートですか?」
「そう、明日ぶらぶらしてから帰るって言ってたでしょ? 俺も明日は暇だから、デートしようよっ。デートスポットは詳しいから、案内は任せてよっ。さぁ、そうと決まったら、明日のデートに備えて、今日はもう帰ろうか」
「あの――」
「やっぱりスカイツリーは外せないからなぁ。待ち合わせはそうだなぁ――」
「高木さんっ、私――」
「咲ちゃんは結人のことを忘れたいんじゃないの?」
「――それは……」
「だったら、俺が結人のことを思い出せないくらい楽しいデートにするからさっ。ねっ、せっかく東京まで来たんだから、楽しまないと、ねっ?」
――そうか、私は橘さんのことを忘れなきゃいけないんだ……。私は橘さんと釣り合わないから……。私なんかが簡単に会える人じゃないって分かったんだし、忘れなきゃ、ちゃんと忘れないと。
「――分かりました。明日、よろしくお願いします」
「よしっ、明日が楽しみだね~。ベタだけど、やっぱり東京観光なら、スカイツリーと浅草は欠かせないよ。確か、咲ちゃんが泊まるホテルは新宿だったよね。それなら、半蔵門線に乗れば30分位でスカイツリーの近くの押上駅に着くからさ。せっかくならランチがおすすめなカフェとかも一緒に回りたいからね、待ち合わせは11時でもいいかな?」
「11時に半蔵門線の押上駅ですね、大丈夫です」
「ここからホテルまで1人で帰れそう?」
「はい、まだ明るいですし、時間は十分にあるので大丈夫です」
「ごめんね、俺、まだ仕事が残ってるから、夕食付き合えなくて――」
「いえっ、大丈夫です。高木さん、お忙しい中、時間を取ってくださってありがとうございました」
「咲ちゃん、そんな堅苦しい挨拶は無しだよ~。俺たち、もう友達も同然なんだから、気楽に行こうよ、ねっ」
「――はい……」
「じゃあ、また明日ね。ホテルまで気をつけて帰るんだよ」
「はい、今日はありがとうございました」
「ほらぁ、また、堅苦しい挨拶して……じゃあね!」
上京前、父から「せっかく東京に行くんだから、美味しいものでも食べてきなさい」と労われ、母に内緒だとお小遣いをもらっていた。本当なら、今夜は人気店のスープカレーを食べに行く予定だった。そのために、ホテルも素泊まりプランを選んだ。
でも、どうしてか、食欲が湧かなかった。結局、ホテルの近くにあるコンビニでおにぎりと野菜ジュース、ミネラルウォーターを買い、ホテルの部屋に戻った。




