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恋愛小説のオムニバス  作者: 蒼井スカイ
桜と橘
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7.音信不通

 東京での間借り生活は無事に終わった。彼は思った以上に忙しかったようで、東京にいた2週間の中で会うことができたのは2回ほどで、着替えを取りに立ち寄った短い時間だけだった。食事を一緒に取る時間もなく、期間中はずっと彼の家を貸し切り状態になっていた。


 無事に採用試験を終え、後は結果待ちとなり、地元に帰る日の夕方に、彼に報告しようとメッセージを送ったが、返信があったのはその日の夜遅くだった。


『橘さん、この度は大変お世話になりました。お陰様で、無事に採用試験を終えることができました。直接会ってお礼を伝えれば良かったのですが、とてもお忙しいようですね。私は今日、地元に帰ります。カードキーは、コンシェルジュの加賀さんに預けましたので、後で受け取ってください。

 私には十分すぎる贅沢な環境をお貸しくださって、本当にありがとうございました。またお会いできたら、ぜひお礼をさせてください。では、くれぐれも体には気をつけてくださいね。』


――夜分に失礼します。佐倉さん、見送りができなくてごめんね。自宅には無事に着いたかな? きっと慣れない環境での生活と就活で疲れていると思う。今日はゆっくり休んで。内定が決まったら、お祝いしよう。また連絡するよ。おやすみ。




 地元に帰ってから数日の間に、最終面接にまでこぎ着けることができた第二志望と第三志望の2社から内々定の通知を受けた。どちらの企業も魅力的だったが、より福利厚生や自分に合った働き方を選べる第二志望の一社に絞り込むことにした。


 内定はほぼ確定したが、彼に報告するのは正式な内定が出てからと決めていた。




 大学は長い夏休みに入った。内定を受けた学生は、これまで慌ただしく動いていて休日を楽しめなかった反動なのか、旅行やバーベキュー、飲み会などのイベントで休み中のスケジュールを埋める者も多かった。


 私はというと、両親に内々定をもらった報告をするため、一度実家に戻った。頑なに私が上京することを反対していた両親だったが、内々定を報告すると、最終的には2人とも喜んでくれた。そして、来春の上京に向けた仕送りや住まいをどうするかを話し合うことになった。




 10月の内定式を待つ間、企業主催の内定者懇親会が行われ、一度東京に行くことになった。事前に、彼にも連絡をしたが、出張中で会うことができなかった。


 彼とのメッセージでのやり取りは続いていたが、頻度は明らかに減っていた。いつしか「おはよう」「おやすみ」の返信もなくなった。


――橘さんから全然返信が来なくなったなぁ。仕事、忙しいのかな……。話したいことがたくさんあるけど、メッセージの返信すら減ってる状況で、電話なんてしたら迷惑だろうな……。





 そして、正式に内定が決まった大学4年の秋――。


「咲~、おめでとう~」

「ありがとう。みぃ~ちゃんもおめでとう」

「ありがと。でも寂しいな。咲は地元で就職するものだとばかり思ってたから、卒業したら離れ離れになっちゃうね」

「うん、でも新幹線で2時間だよ。いつだって会えるよ」

「そうだよね。絶対に同窓会やろうね!」





 10月1日、内定式当日――。


 内定者懇親会で顔合わせがあったお陰で、その時に仲良くなった同期の子たちと居酒屋でお祝いすることになった。相良さんは総合職を志望していて、美人なのに竹を割ったような潔い性格がかっこいい。一ノ瀬くんは営業職志望で、スラッと背が高く、爽やかな好青年だ。

 実はこの2人は同じ大学の学生で、仲がいいらしい。2人を観察したところ、両片思いという感じだ。お互いの気持ちに気づいていないみたいだが、いずれ収まるところに収まるだろうと思う。


 トイレに行った際にスマホの画面を確認すると、メッセージの受信通知が1件入っていることに気づいた。


――あっ、橘さんからだ。今日、内定式だって伝えたメッセージを読んでくれたのかな?


 彼がお祝いの言葉を送ってくれたのだとうれしくなって、メッセージを開いた。


――佐倉さん、内定おめでとう! 慣れない環境での就活はとても大変だったと思う。そんな中でもしっかり内定を勝ち取った佐倉さんは立派だよ。本当なら、今夜、内定のお祝いを一緒にしたかったのだけど、急な出張が入って、今東南アジアを回遊してる。日を改めてお祝いさせてほしい。また連絡するよ。


『お祝いの言葉、ありがとうございます! 内定をもらえたのは橘さんのお陰です。こちらこそ、次お会いできた時にお礼をさせてください。お忙しそうですが、あまり無理なさらないでくださいね。おやすみなさい』


 その夜、彼からの返信はなかった。





 内定式から間もなく――。


 夏休みを満喫した学生たちの中にはこんがりと焼けた肌に変貌した学生が多かった。海外旅行や海水浴、バーベキュー、キャンプと、夏は学生たちにとってイベントが目白押しだ。


 卒業に向けて卒論作成が本格化する中、未だに夏休み気分が抜けていない学生もちらほらと見えた。




 卒論のテーマに選んだのは「消費者行動の分析」だ。商品企画部を志望する立場としては、入社後に役立つテーマを選ぼうと決めていた。

 夏休み中に大学や高校の友人に協力してもらい、アンケート調査も行った。内定を取った後は卒論作成に時間を割くことができたのと、自分が興味のあるテーマだったお陰か、順調に進んだ。12月上旬にはゼミの教授に提出し、少ない修正だけで最終稿を年内に提出することができた。


 後は、2月の卒論発表会が無事に終われば、卒業式だ。



 卒論が無事に片づき、いよいよ上京に向けた準備を始めることとなった。心中は、慣れない都会での暮らしに不安を抱きつつも、新生活が始まる期待感が入り混じっていた。


「早く住む部屋を決めないと。いい物件は早いうちから契約されちゃうみたいだし……。できれば会社から遠くない所がいいなぁ」


 賃貸物件の情報サイトを流し見ている時、ふと彼の言葉が頭に浮かんだ。


『高木ってヤツが不動産会社を経営しているんだよ。そうだ、佐倉さんが東京に住むなら、部屋探しが必要になるよね。そいつに好立地の新築物件を安くさせるよ』


――橘さんの幼馴染みが不動産会社を経営してるって言ってたっけ。橘さんが口利きしてくれれば、好立地の新築物件を安く借りられるって言ってたけど……。相談に乗ってくれるかな? でも、橘さん、内定式以来、返信がめっきり減ってるし、相談しても迷惑になるかもしれない……。でも、知らない土地で住む場所を1人で決めるのは不安……。

 よしっ、ダメ元でいいから、一応連絡してみよう。このまま自分でも探し続けて、橘さんから連絡が来ればラッキーってことでっ!


 その夜、彼にメッセージを送ったが、返信はなかった。




 それから数週間後、1件のメッセージが届いた。送信者は彼ではなく、彼の秘書と名乗る赤津さんという人からだった。


――佐倉咲様の携帯で間違いないでしょうか? 私、橘結人の秘書をしています赤津と申します。実は、橘が先日、交通事故に遭い、入院しています。命に別状ありませんし、意識もあるので心配はいりません。


「――橘さんが、交通事故に? そんな……続きは、今は?」


――橘はスマホの操作が困難なため、私が代理で佐倉様に先日のご相談について返信させていただきます。橘の許可を得て、不動産会社を経営する高木様に連絡し、佐倉様がお住まいを探す際、高木様にご相談できるよう手配済みです。

 高木様から連絡先をお聞きしているので、直接やり取りしていただけます。高木様の連絡先は――です。最後になりましたが、この度は内定おめでとうございます。橘共々、佐倉様の今後のご活躍とご多幸をお祈りしております。


「橘さん……こんな大変な時なのに、私の心配をして……」


 彼の無事を知ってホッとしたのか、入院するほど大ケガをして大変な時にも私の心配をしてくれたことがうれしかったのか、メッセージを読み終えた途端、涙が止まらなくなった。



――そうだ、お見舞いに行かなきゃ! 入院先の病院はどこ? あれ? メッセージにどこの病院とか、いつまで入院するとか、何も書いてない……。それって、家族でもない私に知らせるつもりはないってことなのかな?

 でもっ、会って無事を確かめたい! 断られるかもしれないけど、このままここでウジウジしてても仕方ないっ。ダメ元で聞いてみよう。このメッセージは赤津っていう人のスマホから送られてきたみたい。


 家族でもない自分がお見舞いに行って失礼にならないか不安はあるものの、それ以上に彼の無事を自分の目で確かめたくて仕方がなかった。そんな思いが、彼の秘書と名乗る人にメッセージを送る後押しとなった。


『はじめまして、佐倉咲と申します。橘さんの代わりに返信してくださり、ありがとうございます。

 もしもご迷惑でなければ、お見舞いに伺わせていただけないでしょうか? 橘さんのご都合のいい日で構いません。どうかご検討の程よろしくお願いいたします。』


――ちょっと自分の文章力に自信がないけど、これ以上いい文章は浮かびそうにないや。とりあえず、失礼になるような文章ではないと思う。これで送信してみよう。それで返信がなかったり、断られたりしたら諦めよう……。


 彼の秘書にメッセージを送信して1時間程経ってから返信が届いた。


――お気持ちはうれしいのですが、ご家族以外の面会はお断りさせていただいております。佐倉様も卒業や新生活の準備でご多忙かと存じます。橘の状態は安定しているので心配はいりません。今はご自身のことに向き合っていただくのがいいと思います。


 やはり、面会を断られてしまった。それもそうだ、家族でも親族でも友人ですらないのだから……。見ず知らずの赤の他人が「お見舞いに行きたい」と言って、簡単に会える訳がないのだ。


 ふと、彼が何者なのかが気になり、スマホで「橘結人」の名前で検索をかけた。すると、驚くことに、ベンチャー企業の若きCEOとして経済紙にも名前を取り上げられるほど経済界では名が知れた人物であることが分かった。


――そっか、だから……。何で今までこんなに凄い人だって気づかなかったんだろう。橘さんは病院でも特別室に入院していたし、自宅も高級マンションの最上階に住んでいた。家事は代行サービスを使っているし、一緒に出掛けた時はレンタカーでも高級車に乗っていた。

 高級スーツを現金で買うことができて、十数万円の大金を他人である私に預けるのも躊躇していなかった。私にとって大金でも、橘さんにとってはそれほど大きなお金ではなかったんだ……。


 彼の真の正体を知って、これまで以上に彼との格差を痛いほど感じさせられた。今までだって、学生と社会人という大きな壁があったが、さらにその差は月とスッポン位に開いた気がしていた。


「橘さんは、私の手が届くはずのない人だったんだ……」

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