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恋愛小説のオムニバス  作者: 蒼井スカイ
桜と橘
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6.間借り生活(後)

本日、2本目の投稿です。

 彼から玄関扉のリーダー端末にカードキーをかざすように言われ、エントランスと同じようにロックを解錠した。


 家の中に入ると、大人2人が横並びで歩ける横幅の廊下で、真っ直ぐ奥に続いており、左右にいくつかのドアがある。


「佐倉さん、左手前のこの部屋を使ってね。ゲストルームなんだけど、引っ越したばかりでまだ誰も使っていないんだ。荷物はここに置いておくよ」

「――はい……ありがとうございますっ」

「じゃあ、ざっと部屋の中を説明するね」

「はい、お願いしますっ」

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。一見豪華そうに見えるけど、僕はそこまでインテリアとかには興味がないからね、設備は普通のマンションとそう変わらないと思うよ」

「はぁ……」


――橘さん、直通のエレベーターがある時点で、普通じゃないですよ~。はぁ~、私、こんな凄いマンションに1人で暮らしていけるのかな……。それにしても、どうしてこの部屋はドアが多いんだろう?


「佐倉さん、こっちがトイレとパウダールーム、隣がバスルームだよ。狭いけどランドリールームもあるから、洗濯するならここを使ってくれればいいよ。乾燥機を使わない場合は、このスイッチを押すと収納された物干しバ―が降りてくるから。ハンガー類はそこの棚の下に入ってるよ。この部屋の中にある物は自由に使ってもらって構わないから」

「――部屋の中にトイレもお風呂もあるんですかっ!」

「うん、そのようだね。来客がいつでも気兼ねなく使える間取りに設計したみたいだよ」

「――――」

「じゃあ、他の部屋も案内するね」


――嘘でしょっ、部屋の中にお風呂とトイレ、洗面室、洗濯スペースまである。ホテル並みじゃないっ。橘さんは1人暮らしなのに、なんでこんなにピカピカなの?


「佐倉さん?」

「あっ、はいっ」

「ここがトイレで、あっちがバスルームとパウダールーム、ランドリールームね。こっちは普段僕が使ってるんだけど、広いお風呂が入りたいなら、こっちを使ってもらっても構わないよ」

「いえっ、お借りするお部屋のお風呂も十分立派なので、大丈夫ですっ」

「そう?」

「はいっ」

「そこの部屋は僕の部屋で、あっちはゲストルームだよ。それから、一番奥がリビングダイニング。佐倉さん、こっちこっち」

「あ、はいっ」


――ついついバスルームが気になって見入ってしまった。本当に大きなお風呂だった。大人2人でも十分な広さがある。小さな子どもとなら、4人家族でも一緒に入れそう……。こんな贅沢な暮らしをして、元の暮らしに戻れるのか……。


「照明と空調のスイッチはここ、テレビやプロジェクター、カーテンのリモコンはTVボードの引き出しに入ってるからね。ここにある物も自由に使ってもらって構わないよ」

「プロジェクターまで……迫力のある映画鑑賞ができそうですね」

「――そうだね。その手もあったか……」

「今、何か言いました?」

「いや、何でもないよ」


 彼がぼそりと呟いていたが、声が小さく、聞き取ることはできなかった。


「佐倉さん、こっち来て」

「はい」


 彼に呼ばれ、再び玄関へ戻った。


「このパネルはセキュリティシステム、警備会社が24時間体制でセキュリティを監視してくれてるんだ。家の中に防犯カメラはないけど、この先のエレベーターホールとマンションのエントランスの中と外にあるから。外出時はこのスイッチを押して『外出モード』にする。帰宅時はここのスイッチを押すと『在宅モード』になるから。ここだけは面倒だけど、お願いできるかな?」

「はい、忘れないよう注意しますっ」



――それにしても、こんな家に住めるなら、私なら、ずっと家でこもりっぱなしになりそう。マンションにはフィットネスジムやパーティールーム、ラウンジなどの共有施設もあるみたいだし、外に出なくても楽しめそうだもの。恐るべしセレブの暮らし……。


「佐倉さんは料理とかする?」

「そうですね、毎日ではないですけど、節約するためにできるだけ自炊するようにしています」

「それはいい心掛けだね。僕も料理をするのが趣味でね、いろいろ調味料や調理器具を揃えたんだけど、仕事が忙しくなってほとんど使えていないんだ。もし料理をするなら、自由に使っていいからね」

「はいっ、ありがとうございます。でも、就活で疲れ切っていたら、コンビニ弁当になるかもしれませんけど……」

「あぁ、それなら。こっちの方が美味しいかも」

「ん?」

「これ、冷凍の調理済み食品なんだけど、栄養バランスを考えて作られてるんだ。おかずだけだけど、ご飯は炊飯器で炊いたり、コンビニでおにぎりを買ったりすればいいよ。もちろん、食べても食べなくてもどちらでもいいからね」

「へぇ、そんな便利で健康にいいものがあるんですね」

「実はこれは取引先からもらったものでね。自分で定期契約すると申し出たんだけど、サービスすると聞かなくてね。ほぼタダ同然なんだよ。だから、佐倉さんも気になるものがあったら、遠慮なく食べてもらっていいからね」

「サービスだなんて、すごいですね。ぜひ活用させてもらいます」


 彼は満足気に笑みを浮かべて、こちらを見ている。余程、あの冷凍食品が気に入っているのだろうか。今日は移動で疲れたから、さっそく試してみようと思うのだった。



「家の中で案内し忘れているところは無いと思うんだけど、何か聞いておきたいこととかあるかな?」

「う~ん、そうですね。あの、掃除機とか掃除用具はありますか?」

「あぁ、そうだった。掃除関連はそこの廊下のクローゼットにまとめてあるよ。それで、家の中の掃除だけど、毎週水曜に家事代行のスタッフが来るから、佐倉さんは何もしなくても大丈夫だよ」

「――はい、分かりました……」

「僕も着替えを取りに来たり、時々様子を見に来たりもするから。もしも他人が入るのが嫌なら、佐倉さんがいる間は家事代行をストップしてもいいし」

「いえ、大きな家ですし、私1人では掃除は行き届かないと思うので……。でも、自分の洗濯物は自分でやるので大丈夫です」

「うん、分かった。その辺は後で擦り合わせをしておこうか。何を依頼して、何を断るかを」

「はい」



 彼の家は思った以上に広く、自動化された設備やセキュリティシステムなど、操作方法を覚えるのに一苦労した。疲れが顔に出ていたのか、彼は「少し休憩しようか」と声をかけてくれた。

 上品な味わいのするアイスティーは乾いた喉を潤し、多くの情報を詰め込まれた頭の熱を冷ますのにちょうど良かった。



「佐倉さん、今夜は一緒に夕食でも、と誘うつもりだったんだけど、急な仕事が入ってしまってね。僕はそのまま海外出張に行くことになる。初めての環境で生活しながらの就活は大変だと思うけど、くれぐれも無理をしないこと、いいね?」

「はいっ、私には贅沢すぎる最高の環境をお借りするんですから、必ず良い結果を出せるように頑張りますっ」

「何かあっても僕はすぐに駆けつけられないけど、何かあった時は必ず僕にも連絡してほしい。この家で困った時は内線でコンシェルジュに相談するといいよ」

「分かりました。何から何までありがとうございます」


 彼はやさしい微笑みを私に向けて頷いている。


「さて、僕も荷物の整理をしてくるよ。部屋でゆっくりしてていいよ」

「はい、でも、橘さんのお見送りをしたいのでここで待ってます」

「――それなら、家を出る前に声をかけるよ。佐倉さんは移動で疲れたでしょう。部屋でゆっくりしていなよ」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」




 自分の部屋に戻り、荷解きをしてから2人掛けのソファに両足を乗せて横になっていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。


「佐倉さん、僕だけど」

「あ、はいっ」


 彼は私の部屋のドアを勝手に開けることはなく、私がドアを開けるまで廊下で待ってくれていた。


「そろそろ行くよ」

「はい、じゃあ玄関まで……」


 玄関は、部屋を出てすぐだったと気づき、恥ずかしさのあまり、つい俯いてしまった。


「佐倉さん、じゃあ就活頑張ってね」

「はい。橘さんも海外出張気をつけて行って来てくださいね」

「あぁ、ありがとう。じゃあ……」


 彼は名残惜しそうな表情をしつつも、玄関のドアに手を掛けた。


「あのっ、橘さん……」

「ん? どうかした?」

「えっと……行ってらっしゃい!」

「――い、行ってきます。何だか少しむず痒いな……」


 彼ははにかんだ笑顔になった。


――橘さんが照れてる……可愛い……。


「随分長いこと見送りをされたことがなかったから、佐倉さんにそう言ってもらえると新鮮だな。仕事も頑張れそうだよ、ありがとう」

「いえ、とんでもないですっ!」

「「…………」」


 少しの間、何故か沈黙が続いた。すると、彼が口を開いた。


「何だか、名残惜しいな……。きっと家族ができると、毎日こんな気持ちになるのかもしれないな……」

「――家族……!」


――家族、それって夫婦になったらってこと? 確かに、今のこの状況、新妻が旦那さんを見送る場面に似てる……。橘さんと結婚したら、毎日こんな風に「行ってらっしゃい」「行ってきます」って言葉を交わすんだろうな……!

 ちょっと私ったら、何を想像してるのよっ。橘さんに失礼でしょっ! 私、落ち着けっ。冷静になるのよ、私は学生で、橘さんにとっては子ども同然なんだから、間違ってもそんなことにはならないのっ。


「――倉さん、佐倉さん?」

「へっ?」


 脳内で妄想と戦っていると、私を呼ぶ彼の声が現実に引き戻してくれた。


「佐倉さん、大丈夫? 疲れてるんじゃない?」

「いえっ、大丈夫です!」

「本当に大丈夫? 何か心配事があるんじゃ――」

「本当に大丈夫ですからっ!」

「そう? それならいいんだけど……何か相談事があれば、遠慮なく連絡してきていいからね。すぐに返信や折り返しはできないかもしれないけど、必ず連絡するから」

「はい、分かりました。本当に大丈夫ですから、心配しないでくださいね。少しボーっとしてただけなので……」

「分かったよ。じゃあ、そろそろ時間だから行くよ。佐倉さん、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


 彼はいつもの穏やかな笑みをこちらに向けてから、玄関を出て行った。オートロックの玄関扉からキュイーンという機械音が玄関に鳴り響いた。家にただ1人となり、廊下を振り返ると、自分以外の人気のない廊下は彼といた時よりもやけに広く見えたのだった。

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