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恋愛小説のオムニバス  作者: 蒼井スカイ
桜と橘
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6.間借り生活(前)

恋愛小説のオムニバス 第3集の『桜と橘』をお読みいただき、ありがとうございます。

本日は2本に分けて投稿いたします。

どうぞ最後まで楽しんでいただけますと幸いです。

「はぁ~、やっぱり無理だ……」


 ノートパソコンを閉じ、ラグを敷いた床に寝転がった。


「東京までの往復の交通費、試験会場までの交通費、食費を差し引くと、やっぱりホテルの宿泊費は確保できない。宿泊費云々の前に、橘さんが言ってた通り、ホテルは予約が一杯で満室ときた。かといってシェアハウスは安くて便利だと思ってたけど、デメリットを調べてみるとプライバシーを確保しづらいとかあるし……」


 お手上げだった。両親は地元での就職希望しており、東京での就職を許してもらえていない。辛うじていくらか就活費用はもらったけど、ホテルの宿泊費だけが足りなくなる。安いホテルから満室になっているから、打つ手はなくなったと言える。


「やっぱり、頼るしかないのかな……」


 橘さんと東京で食事をしたあの日から数週間、頭の中に浮かんでは消えていったのは橘さんのあの提案を受けるかどうかということ。海外出張や会社での缶詰め、と多忙極まりない彼はセキュリティ万全のマンションの1室を借りているが、自宅は寝に帰るだけでほとんど使っていないとのことだ。

 有難いことに、就活期間中にその部屋を私にタダで貸してくれると言う。世の中に「タダほど高いものはない」と言うが、彼が代わりに突きつけてきた条件は、東京にいる間、予定が合えば食事をしたり、一緒に出掛けたりするだけでいいと。


――橘さんは私に「応援したい」と言ってくれた。その想いは正直うれしい。でも、そこまで甘えてしまってもいいのかな? それに、橘さんだって1人の男性だし、借りた部屋で万が一のことがあったとしても、それは私のリスク管理の甘さとしか言えない……ううん、橘さんに限ってそんなことはないと思う。仮に何かあったとしても……ダメダメ、またおかしな方向に思考が向かってる。


「咲、現実を見なさいっ。私は学生で、橘さんは大人の男性。彼からしたら私は放っておけない親戚の子みたいな存在……。それに、部屋を借りている間、橘さんは出張か会社で寝泊まりをすると言ってたもの。実際、ホテルの宿泊費が足りない上に、すでに安いホテルは満室。シェアハウスも一概に安全だとは言えない。

 消去法で考えると、どんなに否定しても、残るは橘さんに頼る他、選択肢はないじゃない。何を迷うことがあるの? 彼は私を『応援したい』と言ってくれた。万が一、万が一、何か起こったら、その時は残った資金でカプセルホテルか漫画喫茶で寝泊まりすればいいじゃない。

 結論は出た。何度考えても、これ以上の選択肢はない。私が今すべきことは? それは、橘さんに連絡を取ること……」


 ようやく自分を自分で説得するように、橘さんの提案を受け入れることにした。


『こんにちは、佐倉です。先日はご馳走様でした。さすが東京のお店ですね。どれも美味しかったです。

 それで、橘さんが以前提案してくれた件についてご相談させてください。もしも、まだお部屋をお借りすることができるのなら、ぜひお借りしたいのですが、いかがでしょうか?』


 その日、彼からの返信はなかった。


「はぁ、やっぱり返事するのが遅すぎたかなぁ。あれから半月近く経ってるもんなぁ。こんなことなら、即答していれば良かった……はぁ~、このまま連絡がなかったら、どうしよう……」



 彼から返信が届いたのは2日後のことだった。上京するまで1週間を切っていた。


――返信が遅れてごめんね。ちょっと仕事が立て込んでいてね。

 ウチはいつでも使ってくれて構わないから。でも、そうだね、合鍵を渡したり、セキュリティシステムの操作方法とか説明したりする必要があるから、予定より1~2日早めにこっちへ来れるかな。あと、佐倉さんの就活スケジュールを僕にも共有してくれると助かるかな。


「はぁ~、良かった。とりあえず、これで宿泊場所は確保できた。最初の面接が火曜日だから日曜日辺りに行けばいいかな? あ~、でも電車の乗り継ぎに慣れてないから、早めに行って下見しておいた方がいいかも? 橘さんにちょっと聞いてみよう」


――本当に忙しそうだなぁ。以前は長くても1~2時間後には返信があったけど、最近はその日のうちに返信があれば早い方だからなぁ。まぁ、部屋を借りる約束は取り付けたし、今のうちに荷物の整理をしておこう。


 その日の夜、日をまたぐ少し前に彼から返信が届いた。


――佐倉さんのスケジュールは分かったよ。僕のマンションの生活圏や面接会場までの下見を事前にしておくなら、平日の同じ時間を狙った方がいいね。3社の内、2社は方向が同じだから、下見に2日の余裕があるといいかな。週末を挟むから、来週の木曜日辺りにこっちに来るといいよ。僕も木曜日なら早く上がれそうだから、どこかで待ち合わせよう。

『分かりました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。』





 ついに、上京する日を迎えた――。


 彼の職場から近いという駅で待ち合わせをすることになった。待ち合わせ時間は18時。余裕を持って自宅を15時に出た。

 多忙な彼のこと、今日のために仕事を早く切り上げてくれるのかもしれない。申し訳ない気持ちでいつつも、内心ではドキドキしていた。


――橘さんのマンションってどんなだろう? そういえば、以前ビジネス街に住んでるって言ってたけど、それって凄く都会な場所なんじゃ……。地方で育った私でも暮らしていけるかな?



 新幹線の車窓から住み慣れた街並みが勢いよく流れていく。この景色を見られるのは何回あるのだろうか。うまくすれば東京で仕事に就くことができる。多くの人が夢見る東京で……。


 不安がないと言えば嘘になるが、幸い、彼の存在が、その不安を小さくしてくれていた。彼は私の中で徐々に存在感を増している。でも、彼はどのカテゴリーにも分けられない存在だった。友人でもなければ親戚でもない。顔見知りや知人と言うには、どこかよそよそしさを感じた。

 実際のところ、彼が自分にとってどんな存在でも良かった。ただ存在していてくれるというだけで、安心するからだ。自分を納得させるのに、それで十分だった。





「佐倉さん、待たせたね」

「橘さん、お疲れ様です。お仕事の方は大丈夫ですか?」

「あぁ、粗方昨日までに片付いていたからね、あとは優秀な部下に任せたから大丈夫だよ。さぁ、行こうか。僕のマンションは2つ先の駅にあるんだ」

「主要駅なのに近いんですね。家賃を聞くのが恐ろしいです……」

「あははは、そうだね、確かに郊外や地方と比べると相場はかなり高いよね。でも、不動産会社に知り合いがいてね、随分と安く契約してもらってるんだよ。ほら、もう1人幼馴染みがいるっていったでしょ?」

「えっと、確か、女ったらしの高木さん? あっ、すみませんっ!」

「あははは……そう、事実だから謝る必要はないよ。それにしてもよく覚えてたね。その高木ってヤツが不動産会社を経営しているんだよ。そうだ、佐倉さんが東京に住むなら、部屋探しが必要になるよね。そいつに好立地の新築物件を安くさせるよ」

「いえっ、そんな、そこまでしていただくのは申し訳ないです……」

「気にする必要はないよ。アイツはセレブ相手に随分と儲けてるからね、単身用の家賃を値切ったくらいじゃ、何の損にもならないから」

「そう、なんですね……」

「それに、全く知らない人間よりも信頼が置ける人間から借りた方が安心だ。その点、は、女性関係は褒められたものじゃないけど、それ以外は信用に置けるヤツだよ。そこは僕が保証する」

「――じゃあ、お部屋探しの時は相談させてください」

「あぁ、もちろん」


 彼はリクルートスーツが入ったスーツケースや着替え、生活必需品が入ったキャリーケースを持ってくれた。自分の荷物を持たせてしまうことに抵抗があったが、彼は「女性の荷物を男が持つのはマナーでもあるから気にしないで」と言い、私の荷物を軽々持ち上げてホームへ歩いている。私は観念して、彼の言葉に甘えることにした。




 彼のマンションがある最寄駅を降りると、赤焼けた空は徐々に紫がかっている。うっすらと瞬く星も見えてきた。


 最寄駅から徒歩で10分位だろうか、彼の足が止まった。


「佐倉さん、ここが僕の自宅だよ」

「――!」


――ちょっと待って! これって、これってセレブがこぞって契約するタワーマンションじゃないっ! オートロックにマンション専属のコンシェルジュが常駐、確かに、聞いていた情報だけでも立派そうなマンションだとは思ってたけど、想像を遥かに超えているじゃないっ。もしかして、橘さんも相当なセレブなんじゃ……。


「見てくれは人気のタワマンだよね。でも中に入ると、案外普通だから、そんなに構えなくても大丈夫だよ」


――あぁ~、また私、顔に出てた? 橘さんに感情ダダ洩れじゃないっ。恥ずかしぃ~!


「それじゃあ、中に入ろうか」

「――はい……」


「まずはこれを渡しておくよ」

「これは?」

「このマンションはカードキーでエントランスと玄関のロックを解除するんだよ。エントランスはカードキー以外に4桁の暗証番号の入力でも解錠できる。ちなみに、暗証番号は『0608』今日の日付にしてあるから」

「それって、私のために分かりやすい番号に変更してくれたんですか?」

「ほら、僕は海外出張に出るし、帰国しても会議や打ち合わせで会社に缶詰めだからね。佐倉さんが暗証番号を忘れたら、教えてあげることができないからね」

「何から何まで、すみません」

「佐倉さん、そこは『ありがとう』でいいんじゃないかな」

「――はい、そうですね。橘さん、ありがとうございます」

「よし、じゃあ、さっそくエントランスの解錠からやってみようか」

「はい、えっと……カードキーをかざして……」

「カチャ」

「カードキーをかざして解錠すると、自動ドアが開く仕組みだよ」

「なるほど……さすが東京って感じですね」

「あ~、でも地方でもカードキーによる解錠は結構主流になってるんじゃないかな」

「えっ! そうなんですか? 知らなかった……」

「まぁ、学生が1人暮らしするような物件には少ないだろうから、知らなくても不思議はないよ。さぁ、次はマンション専属のコンシェルジュに挨拶だよ」

「コンシェルジュ……」

「そんなに堅くならなくても大丈夫だよ。事前に話は通してあるから安心して」

「そう、なんですね……」


「こんにちは、加賀さん。彼女が暫く僕の部屋に滞在する佐倉さんです」

「佐倉様、初めまして、私は当マンション専属のコンシェルジュの加賀と申します。コンシェルジュは私を含め3人が交代で常駐していますので、お困りごとがございましたら、何なりとお申しつけください」

「あの、佐倉と申します。短い間ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


 加賀さんはやわらかな笑みを浮かべ、会釈で答えてくれた。


「佐倉さん、行こうか」

「はい」


 コンシェルジュの加賀さんは中年の女性で、学生の私にも丁寧に接してくれた。まるでホテルのコンシェルジュみたいな気品が溢れ出ていた。自分も加賀さんのように歳を重ねていきたいと思うほど素敵な女性だった。


 エレベーターホールには左右に2台ずつあり、ホール中央に進むと右側の奥にも1台あることに気づいた。彼は一番奥のエレベーターの前で足を止めた。扉が開くと、中へ入っていったので、彼の後を追った。


「佐倉さん、エレベーターで階のボタンを押す際にもカードキーが必要なんだった」

「カードキーをここへかざすんですね? ボタンは……?」

「そう、ボタンはここを押して。1つしかないから迷う心配はないよ」

「――――ボタンが1つだけ……」

「このエレベーターは僕の家に直結しているから、ボタンは1つだけなんだよ。この家のカードキーが無いとエレベーターは動かないから、他人は勝手に操作できないんだ。エレベーターに乗る時は一番奥のこのエレベーターを使ってね。他のエレベーターじゃ辿り着けないからね」

「――――」


 彼に言われるまま何故か1つしかない階のボタンを押すと、エレベーターは勢いよく上がっていった。


――そういえば、どこかで聞いたことがあったっけ。高級マンションの最上階にあるペントハウスは専用のエレベーターがあるって。まさか……橘さんの部屋って……。


 エレベーターが止まると同時に「ポーン」という音が鳴り、目的のフロアへの到着を知らせてくれた。エレベーターを降りると横幅の広いピカピカの廊下があり、角を曲がると私の視界は大きな玄関扉を捉えた。


「着いたよ。ここが僕の家だよ」

「――広い……」


――何じゃこりゃ~! セレブじゃんっ! 橘さん、セレブ確定じゃないっ! 一体、何者なの。

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