4.最初で最後のデート
「佐倉さん、今日の服装も似合ってて可愛いよ」
「へっ、あ、えっと……あり、がとう、ございます……」
今日はテーマパークで歩き回ることを想定して、淡いブルーにストライプ柄の長袖シャツにジーンズ、白いスニーカーを合わせた。黒のミニバッグは動きやすいようにショルダーストラップを長くして肩にたすき掛けにしている。
――もうっ! 橘さんったら開口一番、そんな歯の浮くセリフを言ってくるなんてっ。橘さんに見合う大人の女性らしく振舞おうって思ってるのに、いつも甘いセリフで簡単にペースを乱されちゃう……。
彼は目尻を下げて、やさしそうな笑みをこちらに向けている。
――照れもせずに、可愛い、なんて言葉をさらっという橘さんって……もしかして本当は女ったらしなんじゃ……。私は警戒心もなく、あっけなく罠にかかったカモ……。いやいや、流石にそんなことを考えるのは失礼でしょっ! 橘さんは男性1人じゃ行きづらいってだけで、たまたまそばにいた私を誘っただけ。それ以上でもそれ以下でもないんだからっ。
「佐倉さん、荷物は後の席を自由に使っていいからね」
「あっ、はい」
「さぁ、どうぞ」
「――はい、ありがとうございます」
彼のエスコートは実にスマートだった。助手席側に立ち、ドアを開けて私に助手席へ座るよう声をかけてきた。男性が運転する車の助手席に座ることも、エスコートされることも初めてで座ったままボーっとしてると、彼の顔が急に近づいてきた。
思わず目を閉じると、カチャっという音が聞こえてきた。目を開けると、その音がシートベルトを固定した音であると分かった。動きが止まった彼と目が合うと、やさしく微笑まれた。すぐに助手席から離れてドアを閉めると、運転席側に回っていた。
――何だ、シートベルトかぁ。もう、びっくりしたぁ~、てっきり私は……! ちょ、ちょっと私ったら何を想像してるのよ。ダメダメ、変なこと考えちゃダメっ。
「佐倉さん、顔が赤くなってるよ」
「な、何でもありませんっ!」
彼は私の反応が可笑しかったのか、くすくすと笑っている。私は恥ずかしくて窓側に顔を向けて、手を団扇のように仰いで顔の温度を下げるので必死だった。火照った顔から熱が引いたのは暫くしてからのことだ。
「さぁ、着いたよ。さっそく行こうか」
「はいっ、あ、そうだ」
後部座席に置いた荷物と鞄を手に持ち、「行きましょう」と答えた。すると、彼が首を傾げながら聞いてきた。
「佐倉さん、随分荷物が多いようだけど、車に置いていってもいいよ?」
「あの、実はお弁当を作ってきたんです。その……お口に合えばいいんですけど……」
「――」
彼から返事はなく、心配になって視線を彼の顔へ向けると、驚いたような表情で、口は小さく開いたままだった。
――もしかして、彼女でもないのにお弁当なんか勝手に作ってきて迷惑だったかな。料理の腕には自信があるけど、昨夜みたいな高級レストランの味に慣れてる橘さんの口には合わないかも……。それに、他人の手作り料理は食べたくないという人も少なからずいる訳だし……。あぁ~、何で私はよく考えもしないで行動しちゃうのよぉ~。
「――あの、橘さん、やっぱり他人が作った料理なんて嫌で……」
「初めてなんだ……」
「えっ? はじ、めて?」
「いい歳して恥ずかしいんだけど、母親以外の女性が作った手料理を食べるのは初めてなんだ。だから、つい嬉しくて……まさか今日、佐倉さんの手料理を食べられるなんて思わなかったから、嬉しいよ」
彼はいつものスマートで余裕たっぷりの微笑みではなく、まるで少年のようにはにかんだ笑顔を見せた。
――橘さんもこんな顔をするんだ。何だか子どもみたいで可愛い。でも、良かったぁ。「他人が作った料理なんて食べられない」なんて言われたら立ち直れない……。たとえそうだとしても、橘さんならもっとオブラートに包んで伝えるか、無理して食べてくれるかもしれないけど。
「こっちがお弁当だね。荷物は僕が持つよ」
「えっ、あ、でも……」
「いいから、いいから。さぁ、混んできたから中へ入ろうか?」
「はい」
世界旅行を疑似体験できるというこのテーマパークはいくつかのエリアに分かれていて、各地の有名な建造物や風景がミニチュアで再現されていて、ローカルフードを味わえる飲食店もあった。広く認知されていないのか、人気がないのか、週末というのにそれほど混んでおらず、各エリアをゆっくり楽しむことができた。
「わぁ~、この塔見覚えがある。あ~、橘さんっ、あっちの建物は世界遺産ですよね?」
「うん、そうだね。こっちには民族衣装が展示されてるみたいだよ。見てみる?」
「はい、見てみたいですっ」
「じゃあ、行こうか」
各エリアを見て回る間、彼から海外旅行をした時の話もたくさん聞けて、面白かった。園内の3分の1を回ったところで、お昼休憩を取ることにした。
「そういえば、園内に食べ物を持ち込んでも大丈夫かな? 調べてなかったんだけど」
「大丈夫ですよ。ばっちりチェック済みです。飲食物の持ち込みは禁止されていませんでしたから」
「さすがだね、佐倉さんは」
「いえ、本当は私もお弁当を作ってから慌てて調べたんです。持ち込みが禁止だったら、お弁当は私の今夜の夕食か明日の朝食になっていたと思います」
「それなら、ここを選んで正解だったね。場所が違えば、佐倉さんの手料理を食べ損ねていたかもしれない。それじゃあ、僕はきっと悔いが残って東京に帰れなかっただろうな」
「橘さんっ、そんな大袈裟すぎですよっ」
「大袈裟ではないよ、佐倉さんの手料理は今しか食べられないんだからね」
「――そう、ですね」
「――」
――そうだった。ついつい忘れてたけど、橘さんはもうすぐ東京へ帰ってしまう。会う約束をしたのは今日だけ。私の手料理を食べてもらえるのも、こうして一緒に出掛けられるのも今日が最後……。
よしっ、美味しいと思ってもらえるかは分からないけど、昨夜のディナーと今日のドライブのお礼として橘さんにたくさん食べてもらおう。そして……戻ったら、笑顔でさよならをしよう。
「そ、そうだ。橘さんは苦手な食べ物とかありませんか?」
「僕は基本的に好き嫌いはないよ。虫とかでなければね……」
「橘さんっ、さすがに初めてお弁当を作る時に虫を使った料理はしませんっ! それに、私は虫の料理は食べれないし、食材としても使えません」
「あははは……」
彼はしんみりした私の心情を読み取ったかのように、その場を明るく盛り上げようと冗談を言い、大きな声で笑った。こんなやり取りも今日が最後だと思うと、またしんみりした気分になったが、彼が作ってくれた明るい雰囲気を壊したくなくて、頭の中の雑念を無理やり追い払った。
「ごちそうさま、佐倉さん、どれも美味しかったよ」
「お口に合って良かったです。残さず食べてくださって、作った甲斐がありました。でも、無理して食べていませんでしたか?」
「そんなことはないよ。本当に美味しかった、毎日でも食べたいくらいだよ」
「本当ですか?」
「うん、もちろん」
「良かったぁ。男の人に手料理を食べてもらうのが初めてだったので、どんな味付けがいいのか、どんなメニューが喜ばれるのか分からなくて……でも、喜んでいただけたみたいでホッとしました」
「――佐倉さん、今、男の人に手料理を食べてもらうのが初めて、って言った?」
「はい、そうですが?」
「――――もしかして、僕がその初めてになれたってこと、かな?」
「はい、そうです」
「――――」
「ん?」
彼は片手で口元を押さえたまま、何も喋らなくなった。顔はいつもと変わらないようだが、何故か耳が真っ赤になっていた。
「橘さん、どうかしました?」
「あ、いや、何でもない、よ……」
「それならいいんですけど……。あっ、私、飲み物買ってきますね!」
「あぁ、ありがとう……」
――橘さん、突然黙り込んでどうしたんだろう? お弁当は美味しいと言ってくれていたし、味に問題はなかったはず。あっ! もしかして食中毒? ううん、だとしても食べてすぐに腹痛が起こるはずが無いし、しっかり中まで火が通っているか確認したから、その心配はないはず……。
近くのキッチンカーでコーヒーと紅茶を買って、彼のいる場所へ戻った。
「コーヒーです。一応、ミルクと砂糖ももらってきました」
「ありがとう、このまま頂くよ」
「本当に世界一周したみたいな気分を味わえました。どのエリアもそれぞれの良さがあって楽しかったです」
「そうだね、ヨーロッパや北米は旅行で行ったことがあったけど、アジアやアフリカは行ったことがなかったから新鮮だったよ。いつか機会があったら旅行に行ってみたいね」
「はい、でも、私はその前に国内の全国制覇をしてみたいです」
「全国制覇?」
「はい、海外旅行も楽しそうですけど、まずは全国を端から端まで行ってみたいです。テーマパークもいいですけど、ご当地グルメを味わったり、温泉に入ったり、自然の中を散策したり」
「あぁ、確かに国内にもいいところはたくさんあると言うからね。国内旅行の全国制覇か、僕もぜひ行ってみたい。きっと佐倉さんと一緒なら楽しいだろうね」
「――――」
「――さぁ、道が混む前に帰ろうか」
日が暮れる前に出発したこともあり、高速道路で渋滞に巻き込まれることもなく、街へ戻って来れた。
今日も夕食を一緒に取れるかもしれない、という淡い期待は最後に立ち寄ったサービスエリアで打ち消されてしまった。
「佐倉さん、ちょっと電話をしてきてもいいかな?」
「はい、私は車で待ってますね」
「うん、ごめんね。すぐに戻るから」
「いえ、大丈夫ですから」
彼は申し訳なさそうな表情で車を出て行った。車から少し離れた場所に立って、電話をしている。彼の表情はみるみるうちに曇っていくのが分かった。
「仕事で何かあったのかな?」
予感は的中した。彼が車に戻ってきたのは数分後のことだった。
「東京に帰るのが早まったよ」
「えっ……」
「本当は明後日帰るつもりだったんだけどね、急ぎの仕事が入って明日帰ることになったんだ。始発の新幹線になりそうだ」
「それは、急ですね……」
「あぁ、本当に。随分長く休ませてもらったからね。今日もこうして佐倉さんと楽しい時間を過ごすことができた。あわよくば今夜もディナーに誘いたかったんだけど、予定が繰り上げになってそんな余裕が無くなってしまったよ」
「――――」
――明日、始発の新幹線……本当に今日で橘さんと会うのは最後なんだ……。そっか、そうだよね。でも、そんなこと、最初から分かっていたじゃない。そうよ、最後は笑顔で「さよなら」を言うって決めたんだから。
「佐倉さん、駅に着いたけど、本当に家まで送らなくても大丈夫? 佐倉さんを送る位の時間はあるよ」
「はい、まだ時間も早いですし。橘さんはレンタカーも返さないといけないですし、明日の支度もあるでしょう? 私のことは気にしないでください」
「うーん、まぁ、仕方ないか。こればっかりはね……残念だけど」
助手席を降りて、後部座席に置いた荷物を車から出すと、彼は律儀にも「バス停まで送らせて」と言ってきた。その気持ちは嬉しかったが、これ以上彼に甘えるのは良くないと思い、丁重にお断りした。
「橘さん、短い間でしたけど、一緒に食事をしたり、お出かけできたりして楽しかったです。お仕事は忙しくて大変だと思いますけど、今度は倒れる前にしっかりと体を休めてくださいね」
「あぁ、そうするよ。佐倉さんも体には気をつけてね。それから、夜道はくれぐれも気をつけるんだよ」
「ふふふ……何だか、橘さん、お母さんみたい……」
「参ったなぁ、お母さん、かぁ……僕もまだまだだな」
「えっ?」
「佐倉さん、僕の方こそ楽しかったよ。佐倉さんには随分と迷惑をかけてしまったけど、あの日、あの場所で倒れて良かった。そうでなければ、佐倉さんとこうして同じ時間を過ごすことはできなかっただろうからね。君に出会えて良かった」
彼はにこやかな笑みを浮かべながら、片手を私の前に差し出してきた。私は慌てて、彼の手を握った。すると、彼はギュッと私の手を握り返してくれた。
握った手はすぐに離れ、気付いた時には、彼は運転席のドアの横に立っていた。
「佐倉さん、もし東京に来ることがあったら連絡してね。食事でも一緒にしよう」
「――はい……」
「じゃあ、気をつけて帰ってね。またね」
「はい、また……」
彼は運転席に乗り込み、私に手を振ってから車を発進させた。信号機は青色で、あっという間に彼が運転する車は見えなくなってしまった。
――あっ、私、さよならって言うの忘れてた。橘さんは「またね」と言ってたけど、きっと会うことはもうない。なのに、私は何で「また」と返してしまったんだろう。
心の中がソワソワと落ち着かない。彼と長く過ごしすぎたからだろうか、掴みどころのない感情が私の足を引き留め、その場から立ち去れずにいた。




