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恋愛小説のオムニバス  作者: 蒼井スカイ
桜と橘
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3.思いがけず

「メイクもばっちり! 服は……やっぱりワンピースより学生らしくジーパンとかにした方がいいかな?」


 春っぽい淡いピンクの小花柄の白ワンピで、ウエスト部分は少し高い位置に、生地と同じ素材のベルトが付いていて、足長効果が期待できる。その上に、ピーチ色のボレロを羽織るつもりだ。


「でも、もし高級そうなレストランだったら、橘さんに恥をかかせてしまうかもしれないし……。まぁ、特に服装のことは何も言ってなかったから、気軽に行けるカジュアルレストランかもしれない」


――ちょっと待って、そもそも橘さんはレストランかどうかすら言ってないじゃない。ファーストフードやファミレスなんて可能性も……ある訳ないか……。十数万円の高級オーダースーツを頼む位の人だから、ディナーに選ぶのはそれなりのお店だろうし。

 かといって、張り切っておしゃれな服装で行くのも、何だか『お礼なら当然、おしゃれなレストランですよね?』感は絶対に出したくないっ!


 結局、何度か着替えを繰り返し、最終的に白のフレンチスリーブブラウスに淡いピンクのプリーツスカートを合わせ、ミントグリーンのレースカーディガンを羽織ることにした。


 16時半には家を出て、17時には街中で本屋やカフェでゆっくり過ごすつもりだったが、思った以上に着替えで手間を取り、すでに部屋にある時計の針は18時を指そうとしていた。


「ヤッバいっ! これじゃあ、全然ゆっくり過ごす時間がないじゃない……。バスの時間は? 後5分でバスが来る? 急がなきゃ、走れば何とか間に合うかな?」




「はぁ~、間に合った……」


 バス停に着くと、長い列ができていた。


――やっぱり週末だから、街中へ行く人多いなぁ。席に座れるかな?




 結局、本屋にもカフェにも寄らず、そのまま真っ直ぐ駅の北口まで来てしまった。約束の時間まで、まだ30分もある。


――早く着きすぎたぁー。こんなに早くから待ってたら、「いかにも楽しみにしてました!」って感じで、恥ずかしい。どうか、橘さんは約束の時間ギリギリに来ますようにっ!


 心の中で必死に祈った願いは、受け入れられなかったらしい。


「佐倉さんっ?」

「えっ? 橘さん……あの、その、いろいろあってバスの時間を間違えてしまって、早く着きすぎただけなんです……だから、その……」

「ぷっははは……」


 私は聞かれてもいないことを言い訳がましくつらつらと言葉を並べると、彼が大笑いしだした。


――橘さんっ、絶対に誤解してるっ! もう~! でも、着替えに数時間もかかってバスに乗り遅れた、なんて絶対に言えないっ。


「ごめん、ごめん……。実は、僕も今日を楽しみにしていてね。だから、約束の時間よりも早く来てしまったんだ。でも、佐倉さんがいるなら、早く出てきて正解だったな。こんな可愛い子を駅前で待たせる訳にはいかないからね。今日の服も似合ってるよ」

「橘さんっ……」


――橘さんってば、そんな歯の浮くセリフを次々と……。こっちが恥ずかしくなる。


「予約まで少し時間があるから、ゆっくり歩きながら向かおうか」

「はい……」


 大笑いしていた彼だが、もう私を揶揄うことも笑うこともなかった。彼は病室で何度か見た、柔らかな笑みを浮かべていた。



 街中の通りを横に並んで歩いていると、次第にすれ違う人の数は減っていった。暫く歩くと、ライトアップされた広場に差しかかった。冬になると、クリスマス一色になる場所だ。春は特別なイベントはなく、冬に比べて寂しい場所だが、落ち着いた雰囲気でムードがあって、私は好きだ。


「へぇ、こんなオフシーズンにもライトアップしてるんだね」

「はい、でも、クリスマスシーズンはもっと賑やかな雰囲気になりますよ」

「あぁ、確かに、そんな感じがするね。冬のライトアップは見たことがないから分からないけど、僕は今の落ち着いた雰囲気の方が好きかな」

「ですよねっ! 私もオフシーズンの時の方が雰囲気が好きなんですっ」

「佐倉さんも同じなんだ……僕たち案外、似た者同士かもしれないね。あー、でもこんなおじさんに似ているなんて言うのは佐倉さんに失礼だね」

「そんなことありませんっ! だって橘さんは素敵な大人の男性ですっ。それに、おじさん、だなんてっ! お兄さんですっ」

「ぷっ、ははは……そんな必死に否定しなくても……ははは……」

「あ、私ったら……」


――恥ずかしい。またやってしまった。つい大きな声で……。あー、きっと橘さんは、私のこと子どもみたいだって思ってるだろうなぁ。


「佐倉さん、可愛いね」

「――かわ、かわいい? まさかっ、そんなことありませんっ! あっ、また……」

「ほら、そういうところが可愛いと思うよ」


 彼はそう言うと、さらに目を細めてお色気ムンムンの微笑みを私に向けた。その笑顔を見たら、顔の温度が急激に上昇した気がした。頬を包む自分の掌が熱い。


――恥ずかしいぃ~。それに、橘さんったら、何て表情をするのよっ! 目の保養どころか、心臓に悪すぎるっ……。私、この後、この人と食事をするんだよね……心臓もつんだろうか……。




「わぁ、綺麗な夜景……」

「あぁ、綺麗だね」

「あー、でも東京の方が夜景は綺麗ですよね……」

「んー、どうかな。場所によるかもしれないね。僕が住んでいる所はビジネス街だからね、窓からは高層ビル群しか見えないよ」

「ふふふ、そうなんですね」

「佐倉さん、お腹は空いてる?」

「はいっ」

「好きな物を選んでいいからね」

「あの……でもこういったおしゃれなレストランに来たのは初めてで……何をどう選べばいいのか分からなくて……」

「そうか、佐倉さんは何か苦手なものとかある?」

「いえ、特にありません」

「それじゃあ、僕が選んでしまっても構わないかな?」

「はい、お願いします」

「佐倉さん、お酒は飲める?」

「少しなら、飲めます」

「そう、じゃあ乾杯でシャンパンでも頼もうか」



 彼はこういう場でのオーダーも慣れているらしい。あっという間に2人分のコース料理をオーダーしてくれた。


――それにしても、ちゃんとおしゃれしてきて良かったぁ。このお店、駅周辺でも高級レストランで有名だよね。前々から1度は行ってみたいと思ってたけど、ランチですら手が届かない金額だから、一生無理かもって思ってたのになぁ。そのお店に今自分がいるなんて……目の前には素敵な大人の男性もいる。まるで夢みたいなシチュエーションだなぁ。橘さんの退院祝いなのに、私の夢が叶っちゃった。


「とてもいい雰囲気のお店だね」

「はい、このお店予約が取りづらいし、お料理も絶品だって人気なんですよっ」

「へぇ、そうなんだ。いいお店を選んだようで良かったよ」

「はいっ、私も1度は来てみたいと思っていたので、夢が1つ叶っちゃいましたっ。橘さん、今日はこんな素敵なお店にお誘いくださって、ありがとうございます」

「どういたしまして。でも、佐倉さん、食事はこれからだよ」

「はいっ、きっと二度と来れないと思うので、今日はよく味わって食べることにしますっ」

「あははは、佐倉さんは大袈裟だな。僕がまたこっちに来た時は、またお誘いするよ」

「えっ……」


 彼はやさしい微笑みを浮かべると、窓に視線を移して夜景を静かに眺めていた。私もそれ以上は何も言わず、彼と同じように夜景を楽しむことにした。




「橘さん、退院おめでとうございます。乾杯~」

「ありがとう。これも、佐倉さんのおかげだよ」


 シャンパングラスを軽くぶつけ合い、乾杯をした。彼は私と別れた日からの入院生活の話をしてくれた。予想通りというべきか、家族も友人もいないため、暇を持て余していたらしい。


――やっぱり入院中は暇で仕方ないよね。あの時、橘さんのお願いを聞いて、お見舞いに行った方が良かったのかな……。


 私の表情や心理を読み取ったのか、彼はすぐさま声をかけてきた。


「佐倉さん、もしかしてお見舞いに行けば良かった、と後悔してる?」

「えっ! あ、えっと、その……どうしてそれを……」

「やっぱりね。佐倉さんは分かりやすいからな」

「えっ! 私、顔に出てましたか?」

「心配してくれて、ありがとう。でも、怪我でも病気でもないからね、邪魔をしてくる人はいないし、いつもより仕事が捗ったよ」

「橘さん、病室でも仕事を?」

「僕も驚いたよ、やっとゆっくり休めると思ってたけど、実際に何もすることがないと、やはり仕事のことを考えてしまうんだ。それが楽しくて仕方がなかった。それだけ今の仕事が好きなのかもしれないね」

「その、橘さんはどんなお仕事をされてるんですか?」

「僕の会社は、国内外の商品を販売する事業をしているんだよ。受託販売と言ってね、自社で商品を買い取ったり在庫を抱えたりせず、提携したブランドに自社のプラットフォームに出店してもらっているんだ。まだ立ち上げたばかりの小さな会社だけどね」

「立ち上げたばかり、って、もしかして、橘さんが今の会社を起業したってことですか?」

「うん、でも僕だけじゃなくて、学生時代の友人と一緒にね」

「学生時代から……かっこいいですっ! すごくかっこいいです。橘さんは、学生の頃から自分のやりたいことがあったんですね……」

「――いや、そんな褒められるようなことではないんだよ。社会人になって会社勤めをするってのも1つの選択肢なんだろうけど、そういうのは向いていない気がしてね。だから、どうせなら好きなことを仕事にできたらいいなと考えてたんだ」

「好きなことを仕事に?」

「うん、僕は知らない土地を訪れるのが好きでね。中学の頃は友達と自転車で全国を旅したり、高校の時はリゾート地で住み込みのバイトをしながら国内外を旅行したよ。

 国内外の商品を自社で取り扱えるように、あちこち飛び回っているんだよ。おかげで仕事をしながら、知らない土地を訪れることができてる。でも、観光をする時間がないのが悲しいところだね。仕事の合間にご当地のグルメを楽しむのが精一杯だよ」

「――橘さんはやっぱりすごいです……私は将来、何をしたいのか、どんな仕事に就きたいのか、すら分かりません……」


 大学の友人は本格的な就活に向けて準備を進めている。それに比べて自分は未だに進路が決まらない。焦りはあるものの、まだ今年1年あるから何とかなるだろう、と問題を棚上げする始末だ。このままではいけないと思いつつも、何もできないでいた。


「佐倉さん、将来のことは焦って決めるものではないよ。僕は偉そうなことを言える立場ではないけれど、君より少しだけ長く生きているからね」

「あのっ、橘さん……何かアドバイスもらえませんか?」

「――そうだな、人には向き・不向きもあれば、好き・嫌いもある。どんなに好きなことでも不向きなことだと、長くは続かない。一方で、苦も無くできることが自分に向いているということもある。選び方を間違えると、自分だけでなく周りも不幸にする。まずは自分と向き合うことから始めてみるといいと思うよ」

「向き・不向き……好き・嫌い……自分と向き合う……」

「――例えば、僕の場合は知らない土地に行ったり初対面の人と話すことが好き、会社と自宅を往復する生活や閉鎖的な人間関係、環境は苦手。対人や交渉事は得意だけど、スケジュール管理は不得意、ってな感じでね。好きなことと得意なことを掛け合わせた職業や業種に絞っていくと、自分に合った仕事に就ける可能性が高くなる。どう?」

「はい、自分と向き合う、それくらいなら私にもできそうです」

「うん、その調子だ」

「はい」


 話が途切れたタイミングでコース料理の前菜がテーブルに並べられた。横長のプレート皿にはスプーンが5つ並んでおり、それぞれに一口で味わえる前菜が盛り付けられていた。

 美しく装飾された料理に目を奪われ、将来の悩みとやらはどこかへ吹き飛んでしまっていた。頭の中は目の前に並ぶ料理だけが占めていた。


「橘さん、ご馳走様でしたっ」

「うん、とても美味しかったね」


 ディナーはフレンチのフルコース。マナーが心配だったけど、先月、親族の結婚式に参列したのが功を奏した。披露宴でフルコースが出された時に、親の真似をして食べたから、何とか覚えていた。


 食事中は彼がさまざまな話題を振ってくれたため、楽しい時間を過ごすことができた。特に、海外旅行の経験がなく、彼が話す海外でのバックパッカー旅はとても刺激的だった。



「佐倉さんに喜んでもらえて良かったよ。改めて、今回はいろいろとお世話になったね。佐倉さんがそばにいてくれて、本当に助かったよ。ありがとう」

「いえ、とんでもないですっ。私は代わりに買い物へ行っただけですから……。何より、橘さんが元気になられて良かったです。それに、私の方こそ、こんな素敵なお店に連れて来てもらえて、嬉しかったです。こちらこそ、ありがとうございます」

「そういえば、さっき佐倉さんは海外旅行に行ったことがないって言ってたよね?」

「はい……?」

「実はね、ここから車で2時間半位の場所に世界一周に近い体験ができるテーマパークがあるんだけど、1度行ってみたいと思ってたんだ。だけど、男1人で行くにはちょっとね……。もしよければ、明日佐倉さんも一緒に行かない?」

「えっ……」


――そ、それって……ドライブデートってこと? で、でも、明日だなんて……どうしよう……。


「車はレンタカーを借りればいいし、もちろん僕が行きも帰りも運転するから、佐倉さんは疲れたら助手席で眠っていてくれていい。どうかな?」

「……」


――いきなり2人で遠出をするなんて……でも、そんな近くに世界一周を体験できる施設があるなら行ってみたい! 明日は大学も休みだし。けど、そんなに楽しい想い出が増えちゃったら、橘さんと別れるのが辛くならないかな? もちろん、好きって訳じゃないけど……。

 う~ん、考えても埒があかないっ。先のことを考えてもしょうがないよね。それなら、今を精一杯楽しもうっ! 楽しい想い出を作って、笑顔でお別れすればいいんだからっ。


「橘さん、退院したばかりで長時間運転しても大丈夫なんですか?」

「あぁ、もちろんっ。入院2日目には元気過ぎて、暇を持て余して仕事をしていたくらいだからね。それに今日免許更新も無事に終わったから、安心して」

「今日、免許更新してきたんですか?」

「あぁ、東京に帰ったら、また仕事で忙しくなって手続きに行く暇もないだろうからね。幸い、申請期間内だったから面倒な手続きもなく、すぐに終わったから良かったよ」

「そうなんですね。それは良かったです」


――橘さん、体調はもう大丈夫なんだ、良かった。それなら……。


「じゃあ、お言葉に甘えて、明日もご一緒させていただきますっ」

「良かったー、そのテーマパークっていうのがここなんだけど……」


 彼は自分のスマホでテーマパークの公式サイトを表示し、私に説明してくれた。


「本当だぁ。アフリカやアジア、アメリカ大陸……まるで世界一周旅行みたい……」

「ねっ、面白そうでしょ?」

「はいっ、明日が楽しみですっ」

「さて、そろそろいい時間になってきたね。明日もあるから、今日はこの辺でお開きにしようか」

「はいっ」



 私たちは再び駅まで歩き、バス停に向かった。


「本当に家まで送らなくて大丈夫?」

「はい、大学の友人と呑みに行く時はもっと遅い時間に帰ることもあるので大丈夫です」

「――それは、心配だなぁ……」

「それに、この時間はまだ乗客も多いですし、バス停を降りてからも家まで近いので心配いりません」

「そうか、分かったよ。せめてバスに乗るまではここで一緒に待たせてもらうよ」

「はい、ありがとうございます。橘さんって、案外心配性なんですね」

「えっ? いや……それはそうでしょ。こんな遅くに可愛い子を1人にするなんて、できないよ」

「かわいい、子……。橘さんの恋人はきっと幸せな方でしょうね……」

「えっ? 佐倉さん、今何か言った?」

「あっ、いえ、何でもありませんっ! とにかく1人で大丈夫なのでっ」

「うん、僕はバスが来るまではここを動かないよ」


――橘さん、やっぱり心配性すぎっ! 私は彼女でも何でもないのに……。もしかして、私のこと……。そ、そんな訳ないっ! ある訳ないっ! 私は学生で、まだ子どもで……でも、橘さんは彼女でもない私にまでこんなにやさしく接してくれる大人の男性なんだから……。きっと、他の子にも同じようにやさしくするはず。咲っ、変な勘違いはしちゃダメっ!!!


「バスが来たね……」

「――本当だ……」

「じゃあ、佐倉さん、気をつけて帰ってね。一応、心配だから家に着いたら連絡くれると嬉しい」

「はい、分かりましたっ」

「じゃあ、また明日駅でね」

「はい、また明日……」



 バスの座席に座り、窓の外を見ると、バス停の横でやさしい微笑みをこちらに向ける彼の姿があった。バスが発車する寸前、私は彼に小さく手を振ると、彼も手を振って応えてくれた。


――何だろう。数時間一緒にいただけなのに、もう少し一緒にいたいと思ってしまう……。また明日会えるのに……。


 彼の姿はもう見えない。彼は東京に帰るまで、駅前のホテルに宿泊するらしい。彼が帰ってしまう日まで、残り2日。明日は最高に楽しい想い出を作ろうと思い直し、暗くなった気分を無理やり上げることにした。


――明日は何を着て行こうか? そうだっ、お弁当でも作ってく? 橘さんとの待ち合わせは8時頃だから、十分時間がある! 明日着る服は家に帰って今日中に決めておけば、明日の朝バタバタせずに済むよね。よしっ、そうと決まったら、家に帰ってからスーパーに行かなきゃ。

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