6.澪という色(前)
本日の投稿が、『第2集 青の世界』の最終話となります。
少し長くなったため、2本に分けて投稿します。
青のマンションで暮らすようになって、1週間が経った。管理人さんとも無事に連絡が取れて、その日のうちに部屋の鍵を交換してもらった。
本当なら、アパートに荷物の処分をしに戻らなければならないところだが、青が「週末に真白のお墓参りに付いて来てもらう訳だし、まだ1人でアパートに帰すのは心配だ」ということで、もう暫く青のマンションでお世話になることになった。
青と過ごす毎日は楽しくて、あっという間に次の週末の朝を迎えた。
今朝は何故だかスマホのアラームが鳴る前に目が覚めてしまった。外はまだ薄暗く、陽が昇る前だった。痛みは無いが、胃の辺りがどんよりと重い感覚を覚えた。まぁ、それもマスターの朝食を食べる頃にはすっかり忘れるのだが。
今日の予定は、マスターの作る朝食を食べてから、青の車で真白さんが眠る墓地へと向かい、その帰りに青の恩師の遺作が寄贈された美術館に寄るつもりだ。
「そういえば、青は真白さんの墓地の場所をどうやって知ったの?」
「あぁ、その話はまだしてなかったな。真白の両親が遺品整理をしてる時に、俺からの手紙や当時の日記を見つけたらしい。それで、俺に手紙で知らせてくれたんだ。手紙は実家に届いていたけど、真白の死を受け入れられなかった俺は、その手紙を取りに行くのをずっと避けていた。
そしたら、姉貴が俺のマンションに越して来た時に母親から手紙を渡すように言われたらしくて、俺の所にその手紙が届いたって訳だ」
「静さんが……そっか、でもこれからはいつでも真白さんに会いに行けるね、良かったね」
「あぁ……でも、真白に会いに行くのは今日で最後にするつもりだ」
「――そっか……」
「あぁ……」
何で真白さんに会うのが今日で最後なのか、その先は聞けなかった。何故か分からないけど、きっと聞かない方がいい気がした。それが青の為なのか、自分の為なのかは分からなかったし、それ以上考えようとも思わなかった。
ただ、今日は青の付き添いで着いて行くだけ、それ以上の深い意味は無いのだから……。
******
「とても素敵な場所だね」
「あぁ、そうだな……」
真白さんのお墓がある墓地は、郊外の小高い丘にある敷地の広い場所だった。隅々まで掃除が行き届いていて、とても眺めのいい場所だ。こんな素敵な場所にお墓を作ってもらっているということは、ご両親からとても愛されていたのだろうと思った。
青は墓地の駐車場に着いてから、口数が極端に減った。無理もない、思春期を共に過ごした大切な人が眠っているのだから……。
――青の緊張感が移ったのかな? 何か、胃がキリキリしてきた。朝ごはん食べ過ぎたかな?
こんなにも胃に不快感を感じたのは前職の退職を願い出て、有給消化中にも関わらず元上司から嫌がらせのように引き継ぎの対応をさせられていた時以来だった。思わず浮かんだ苦い記憶を頭の中から振り払い、無言で歩く青の背中を追った。
「私はここで待ってるから、行ってきて」
「――澪にも着いて来てもらいたい。真白に、澪を紹介したいんだ……」
青の眼差しは真剣そのもので、それを見てしまったら断れなかった。私が静かに頷くと、青は私の手を引いて再び歩き出した。青のもう片方の手には、数種類の白い花でまとめられた花束を携えて……。
青の温かく大きな手に握られてホッとしたのか、キリキリとした胃の痛みは和らいでいき、いつしかその痛みは消えていた。
墓地の敷地は思った以上に広く、彼女のお墓のある場所へ辿り着くまでに数分を要した。彼女のお墓を見つけた青は私の手を離し、花束を墓前に手向けている。
青の背中を眺めていることしかできない自分が情けなく思った。彼女はすでに他界しているが、今も尚、青の心に生き続けている人なのだと痛感させられた。
――また胃がキリキリしてきた。何でだろう……ここへ歩いて来るまでは大丈夫だったのに……。
何故こんなにも胃が痛むのか、その理由が分からずにいた。少し我慢していればいつものように痛みは消えるだろう、とそれ以上は考えないようにした。
青がポケットから線香とライターを出して、すぐに線香の煙が鼻腔を掠めた。私は両手を合わせる青の後ろ姿を静かに見守ることにした。
――私も手を合わせる方がいいんだろうけど、今は青が真白さんと2人きりで話す時間だから、私は後ろで待っていよう。
数分後、青は後ろを振り返り、私の名を呼んだ。
「澪、おいで。真白に紹介させて……」
名前を呼ばれて、紹介すると言われて、正直、彼女が不快にならないだろうか、と戸惑ってしまった。彼女はすでに亡くなっているのは分かっていたが、自分が青の隣にいてもいいのか、戸惑ってしまった。
その場から一歩も動こうとしない私を見て、青が近づいて来た。そっと私の手を取り、やさしく手を引いた。
青の隣に並ぶと、彼は私にも聞こえる声で彼女に話しかけた。
「真白、彼女が澪だよ。君が言っていたように、ようやく俺は……俺と同じ視点で絵を観てくれる人に出会ったんだ。君の言葉が、俺と澪を引き合わせてくれたんだと思ってる。ありがとう、真白……」
「……」
「澪も何か一言だけでも構わない。真白に挨拶してやってくれないか?」
「えっ、う、うん……」
――こういう時って何を話せばいいんだろう? 青から話に聞いてても実際はどんな人か知らないし……。一言だけ、挨拶か……そうだっ。
「真白さん、初めまして、安桜澪と言います。きっと真白さんも青の絵をこの先もずっと見たい、ですよね? だから、これからは私が青をしっかり見張っておくので、安心してくださいね」
「ぷっ、何だよ、ソレ。俺を見張るって、人を前科者みたいに言うなよ」
「だって、真白さんもきっと、青が絵を描かなくなったら悲しむだろうから……だから、私が青を見張っていれば、また絵を描けなくなることがあっても、何か力になれるかもしれないでしょ?」
「澪……。だってよ? 真白、俺はこれからずっと澪の監視下で絵を量産し続けることになりそうだ……」
「何よっ、その言い方はっ! まるで私が看守みたいじゃないっ……」
2人の視線が合わさると、どちらからとも無く笑い出した。故人の前で笑い合うなんて不謹慎極まりない行為だが、真白さんならきっと一緒に笑ってくれているような気がした。
「真白、俺はもう大丈夫だから、ゆっくり休んでくれ……」
「……」
青はもう一度お墓に向かって両手を合わせると、「行くぞ」と私に言い、来た道を戻って行く。私はもう一度手を合わせてから、青の後を追った。
――真白さん、私は青の力になれるか分からないけど、できることはするので、どうか安心してください。さようなら、真白さん。
青は墓地に着いた時と同じく、無言で来た道を戻っていく。隣に並ぶと、弱々し気な笑みをこちらに向けた。その表情を見て、思わず青の手を取った。手を握ると、青が指と指を絡めるように手を握り返してきた。手を繋ぎ、無言のまま駐車場に戻る道をひたすら歩き続けた。
青は運転席に座ると、両手を車内の天井の高さまで上げて伸びをして腕を下ろした。少しの間だけ目を瞑ると、顔だけ助手席に座る私に向けて、口を開いた。
「澪、今日は一緒に来てくれてありがとな。澪がいてくれて良かった。ようやく真白に別れの言葉を言うことができたよ……澪のおかげだ」
「うん、良かったね」
いつもなら謙遜して、「私のお陰だなんて、全然そんなことないよ」とでも言っていただろう。でも今日は謙遜する方が青や真白さんに失礼な気がした。だから、青からの感謝の言葉は素直に受け取ることにした。
「さて、恩師の遺作を観に行きがてら、どこかメシでも食べに行くかっ!」
「うんっ、賛成っ!」
青が空元気なのは分かっていた。だからこそ、今は、今だけは気づかないふりをして、明るいノリに付き合うことにした。青がこれ以上、辛そうな表情にならないように……。
気づいた時には胃痛はどこかへ吹き飛んでいた。
******
青の恩師の遺作が寄贈されたという美術館は海岸沿いにあるらしい。途中の海沿いにオシャレなカフェを見つけて、そこで昼食を取ることになった。
丁度お昼時ということもあり、店内は満席だった。若い女性客のグループやカップル、子連れのファミリーで賑わっていた。予約待ちの客はいなかったため、店内の待合室で席が空くのを待つことにした。
待合室にあるメニュー表を見ると、ランチメニューは全てワンプレートに盛り付けられていることが分かった。食材から調味料に至るまでどれも無農薬、無添加で揃えられていて、「体にやさしい食」というのがこのカフェの売りのようだ。
幸い、屋外にある見晴らしのいい席が丁度空いたようで、それほど待たずに席へ案内された。
「わぁ、青い空に、青い海っ! とっても綺麗な景色だね」
「あぁ、偶然見つけたにしては当たりだな」
「うん、本当にっ。満席だって言われて、どうしようかと思ったよ」
「まさか、こんな特等席がすぐに空くとは思いもしなかったけどな」
「もしかしたら、真白さんのおかげかもしれないね……」
「――あぁ、そうかもな……真白なら、やりそうだ……」
青の顔にはもう暗い陰のようなものは感じられなかった。ようやく、真白さんの死を、過去のことを受け入れて、手放すことができたのだろうか。
青は清々しい笑顔で遠くに見える海を、空を見ていた。その笑顔は輝く太陽のように美しかった。
――良かった。思ったよりも元気そうで……。
食事を終えて、店内で青が支払いをしている時、女性客の熱い視線が青に向けられていた。私は青から少し離れた場所で待つことにした。
――また、青は女性から熱い眼差しを受けてる。本当にモテるんだろうな……。青はモテる上に、マンションを所有するような人……。それに比べて私は……何て平凡な人間なんだろう……。
「何でそんな隅っこにいるんだ?」
「あぁ~、えっと、何となく、ね……」
「――さて、腹も溜まったし、美術館に向かうか」
――青は女性客からの熱い視線に気づいていないのかな? それとも気づいてないふりをしてるの? もしも後者なら、女性慣れしてる? わ、私は何を考えてるの? 何? 今度は胸がギュッと締め付けられるみたいな感じ……。
「ここが、青の恩師の画家さんの絵がある美術館かぁ。凄く立派な美術館だね」
「あぁ、生前はプロの画家として個展も開いていて、その傍らで子どものために絵画教室を月1回開いていたんだ」
「へぇ、凄い人だったんだね、青の先生は」
「あー、でもかなり、というか、結構スパルタな先生でね。生徒はその厳しい指導に付いて行けなくて辞めてく奴がほとんどだったな……」
「スパルタ教育……でも、青はそのおかげで今の青があるんだもんね?」
「――そうだな……そうかもしれない。まぁ、しんどいと感じる時の方が多かったけどな。それでも、厳しさの中にやさしさもある人だって分かってたから、何とか付いて行けた気がする」
「大人2枚……」
「こちら、館内の案内図になります。どうぞごゆっくりご覧になってください」
「そういえば、美術館に来るの久しぶりだ」
「私も」
「澪はどんな絵が好きなんだ?」
「私? う~ん、風景画が好きかな。水彩画やアクリル画で描かれた?」
「へぇ、好きな画家とかいるの?」
「ううん、あんまり詳しくないの。だけど、ゴッホとかピカソ、シャガールだっけ? 有名な画家の名前や世界的に有名な作品くらいは知ってるよ。あっ! でも、1人だけいるよ。好きな画家さんっ」
「誰っ?」
「龍青、さん?」
「えっ……そうか……そうだと思った」
「私は『青の世界』の青い絵しか観たことがないけど、どこかの美術館でも展示とかされてるのかな?」
「美術館には展示されてないよ。そんなの当たり前だろ? まだ俺はそこまで……あぁ、そうか……忘れてた……」
「ん? 何か言った?」
「いや、何でもない……」
この美術館は地元の企業が運営する私立美術館で、国内の画家を中心とした現代アート作品を展示しているという。青の恩師の奥様が知人を介し、この美術館に遺作となった最後の作品を寄贈したらしい。
こんなに立派な美術館に展示されるのだから、きっと亡くなられた恩師の方も喜んでいるだろうと思った。
青はやはりアーティストなのだと感じた。展示された作品を観る視線は真剣そのものだ。遠くから観察したり、近くに寄って見たりと1つの作品を鑑賞するのに費やす時間は非常に長かった。それでも、私はそんな青の新たな一面を知った気がして嬉しくなった。
「悪い、俺、1つの作品を観るのに時間がかかるから、退屈だよな?」
「そんなことないよ。初めて見る絵ばかりだし、龍青さんの青い絵を観てから油彩画も素敵だなって思うようになったから、見てて楽しい」
「――澪はやっぱり変わってるな」
「そう? おかしいかな?」
「いや、そういう訳じゃない。ただ、昔、美術館デートに誘った女は皆、飽きて途中で帰っていったからさ」
「青……美術館デートはアートに興味がない子を誘ったらダメだよ。もうっ、青は本当にデリカシーが欠けてるんだから」
「…………」
青はバツが悪そうな表情をして、頭を掻く仕草をしていた。
――なんだ、女慣れしてる訳でもないのか……はっ! また私は何を……。また変なことを考えてる……。美術鑑賞に集中しないとっ。
「澪? どうした?」
「へっ? う、ううん、何でもないっ。さぁ、次の展示エリアへ行こう!」
「……? あぁ」
「澪、こっち来て」
「ん? うん……何?」
「コレだよ、先生の遺作……」
「これが……」
青の恩師が亡くなる直前に完成させたという絵画は、老夫婦の肖像画だった。
――老夫婦の肖像画……きっと恩師の先生とその奥様の絵ってことか。共に白髪になっても寄り添って、支え合って生きて来られた……とても素敵なご夫婦だな。私もこんな風に歳を取っても愛する人と一緒に微笑んでいられたら、どんなに幸せだろう……。
頭の中に突然1つのイメージが湧いた。黒髪が真っ白に、顔には笑い皺がある、歳を取った青。そして、その隣には同じく真っ白な髪を束ね、青と同じように笑い皺が刻まれた年老いた自分の姿を。
――青とこの先もずっと一緒に居たら、あんな風になるのかな……。青もこの絵みたいに、2人が寄り添う絵を描いてくれるかな……。えっ? 私、何を想像して……。いくら素敵な夫婦の肖像画を観たからって、さすがに青と私じゃ、ね……。
頭に浮かんだイメージを掻き消すように、青に話題を振った。
「とても仲がいいご夫婦だったんだね。亡くなる直前まで奥様と自分が並ぶ肖像画を描いていたなんて、ロマンチックだね。とっても素敵なご夫婦……」
「――澪、感動してるとこ悪いんだけど、これは先生の奥さんじゃないんだ」
「えっ? そうなの? じゃあ、先生のご両親とか?」
「…………」
青は私の問いに答えようとしなかった。ただ真っ直ぐに、まるで、その絵を自分の瞳に焼きつけるように、眺めているようだった。




