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恋愛小説のオムニバス  作者: 蒼井スカイ
第2集 青の世界
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6.澪という色(後)

「澪、丁度キリがいいから、上のカフェで休憩するか」

「――うん、そうだね。喉が、渇いたかも……」


――あの絵は誰なんだろう? 青がそれを話さないのは、青の過去にも関係があることなの?




 美術館は2階建てになっていて、1階は美術作品の展示室で、2階はカフェと屋外の展望室になっていた。カフェは全席が窓際に設置されていて、どの席に座っても遠景や敷地内の日本庭園を望めるように設計されている。


「わぁ、眺めがいい席だね。静かだし、読書にもぴったり!」

「澪はアート鑑賞だけじゃなくて、読書も趣味なのか?」

「うん、休日は本屋で気になる本を買って、居心地のいいカフェで読書して、美味しいスイーツを食べて帰るのがルーティンだったなぁ。今の仕事を始めてからは引っ越しやら、前職の引き継ぎやらで忙しくて全然行けなかったんだよね……」

「じゃあ、もしかして、あの日俺たちが出会った日もそのつもりだったのか?」

「うん、そうなの。本当は本屋で仕事関連の本を買って、マスターさんの喫茶店で読書をして帰ろうと思ってたんだけど、あの個展ギャラリーの青い看板に魅せられてしまって……」

「そんなに青色が好きなのか……」

「うんっ! だって綺麗じゃない? 世界にはいろいろな色があるけど、私は10代の頃からずっと青が好き」

「青が好き……文字に変換すると、何だか照れるな……」

「えっ? 文字に変換?」

「いや、何でもないよ……」


 青は窓に顔を向け、外の景色をじっと見ていた。その横顔を見ると、耳が僅かに赤くなっていた。


――青、急にどうしたんだろう? まぁ、いっか。それより、さっきの恩師の先生が描いた絵のモデルが気になるなぁ。


「そういえば、さっきの絵のモデルは奥様じゃないって言ってたよね? 青はあの絵のモデルが誰なのか知ってるの?」

「あー、あの絵のモデルね……」


 青は急にそわそわし出して、様子がおかしい。


――私、何か聞いちゃマズイことを聞いちゃったのかな……。


「いや、まぁ、別に隠すことでもないと思うんだけど……。あの絵の男性は恩師の先生で間違いない。隣にいた女性は……たぶん、昔、好きだった人だと思う……俺も話に聞いていただけで、会ったことはないから実際はどうか分からないけど」


――奥様じゃなくて、昔好きだった人……。亡くなる直前に、結ばれなかった女性と生涯を共にするという夢を叶えられなかったから、最期の力を振り絞って絵画に残したってこと? ロマンチックだけど、奥様は……。

 もしかして、青も……あの絵に、真白さんと自分を重ねて観ていた? だから、あんなに真剣な表情を?


 その時、胸に鋭利な物が刺さったような痛みを感じた。


――まただ、この胸の痛み……どうして……。


「美大に入る前、先生から1度だけ聞いたことがあったんだ。自分には若い頃に将来を誓い合った女性がいた、と。だけど、親同士が決めた許嫁との縁談が決まって、その女性とは離れ離れになってしまったみたいだ」

「それじゃあ、その許嫁の相手が今の奥様ってこと?」

「いや、先生は結局許嫁との縁談を破談にして、両親と縁を切って家を出てから、その女性を探し回ったって言ってたよ。好きだった女性を見つけた頃には、もうすでに結婚していてどうにもできなかったらしい」

「そんな……」

「先生は好きだった女性を忘れずにいた。そんな時、奥さんと出会ったんだ。奥さんは先生にずっと忘れられない女性がいることを知った上で、結婚を決めたらしい。

 先生は口数が少なくて冷たい人間だと勘違いされがちなんだけど、奥さんはその点、先生のことをよく分かっていたみたいだ。葬式に参列した時に、あの絵のことを奥さんからも聞いたんだ」

「奥様は、何て?」

「奥さんは『主人の心の中には最初から最期まで彼女だけだった。それでも私はこの人のそばに居られて幸せだった』と言ってたよ」

「そう……」


――何だか、切ない……。奥様の愛は報われたのかな? 本当に幸せだったのかな? こんな、こんな切ない愛し方があるなんて、知らなかった……。先生の奥様と真白さんは似てるのかもしれない。自分よりも大切な人のことを第一に考えていて……。

 私は、こんな愛し方できない。私には真似できないよ……。



 その後、暫くの間、私はアイスティーを、青はコーヒーを静かに啜った。




 残りの作品を観終わった時には、すでに外は日が落ちようとしていた。



「さて、暗くなってきたな。そろそろ家に帰るか」

「そうだね。あっ、でも夕食はどうする? 家で食べる? それとも外で食べる?」

「あぁ、朝も昼も外食だったからな、夜は家で食べるか」

「うん、そうだね。冷蔵庫に何が残ってたかなぁ?」

「スーパー寄ってく?」

「青は何か食べたいものある?」

「澪が作ってくれるのか?」

「うん、そのつもり。青は運転で疲れてるでしょ。家に帰ったら湯船にゆっくり浸かって疲れを取るといいよ」

「――あぁ、そうさせてもらうよ」


 美術館の駐車場に着いた時、青が思い出したように口を開いた。


「そういえば、この辺に夜景が綺麗に見える展望台があるって聞いたんだけど、どうする? 行ってみる? 疲れてるなら、このまま帰ってもいいし」

「夜景? 行きたいっ!」

「帰り道にあるから、行ってみるか」





「公園?」

「普段は子どもの遊び場らしいんだけど、夜は夜景を見るのにいいらしいんだ。先生の奥さんから聞いた」

「そうだったんだ。夜景スポットにしては他に誰もいないね」

「夜景の穴場スポットだったってことか。まぁ、静かでいいんじゃない?」

「それもそうだね。あそこが一番高い場所じゃない?」

「あぁ、行ってみよう……澪、はいっ」


 青は自分の手を出してきた。何のために手を差し出しているのか分からず、黙っていると青の手が伸びてきて、私の手を握った。


「足元が結構暗いからな、澪が転ばないように手を繋いで行こう」

「う、うん……」

「何だ? いつもよりしおらしい反応だな?」

「そ、そんなことないよ……。それなら、青だって、今日はやたらと手を繋いできて、やさしいことばっか言ってくるじゃない……」

「…………そうかー?」

「そ、そうだよっ」


 そんな軽口を叩き合いながらも、手はしっかりと握り合っていて、園内でも一番高い展望台へと無言で向かった。


「わぁ! 本当に綺麗な夜景だ……」

「あぁ、来て良かったな」


 少しの間、夜景にうっとりしていると、青が沈黙を破って話し始めた。手はずっと握られたままだった。どちらからも離そうとはしなかった。




「澪という字には、『水の流れで自然にできた航路』っていう意味があるらしい」

「へぇ、そうなんだ。自分の名前にそんな意味があるなんて知らなかった。青は何でそんなことを知ってるの?」

「えっ、いや……俺の場合、調べるのが趣味みたいなものだからな……」

「調べるのが趣味? 例えば?」

「例えば……そうだな、気になった作品の画家の生い立ちや人生観、画家になるまでのプロセスとか? とにかく気になったものは片っ端から調べるクセがあるんだ」

「気になったものは調べる……ふぅ~ん、そうなんだ……」


 展望台は足元を照らすための小さな照明が点いていたが、隣にいる青の顔はうっすらとしか分からなかった。それ以上、青の趣味の話が広がる様子もなく、私は綺麗な夜景を目に焼きつけようと再び無数の明かりが灯されている遠景を楽しむことにした。


 すると、少し経ってから、隣で小さな溜息が聞こえてきたと思ったら、青が途中だった「澪」の漢字の話題に戻した。正直、唐突過ぎる話題に困惑したが、一度切れた話題を戻すくらいだから、何か話したいことがあるのだろうと大人しく聞くことにした。


「コホン、さっきも言ったけど、澪という字は『水の流れで自然にできた航路』という意味がある。つまり、澪は勢いのある水流で船を運ぶ『水路』だ。差し詰め、俺は水の流れによって運ばれる『舟』ってこと」

「ねぇ、それ、どういう意味?」


――青が言っていること、全く意味が分からないんだけど……。何が言いたいんだろう? 水路とか船だとか……。


「――『舟』という字に『青』と書いて、『速度の速い舟』っていう意味になるんだよ。まぁ、読み方は『せん』だけどな。それで、俺が言いたいのは、船を運ぶ『澪』、澪という水流に運ばれる舟の『俺』。俺たち、相性ぴったりだと思わないか?」

「……」

「俺は澪の言葉で再び、キャンバスに向き合うことができた。俺は幸運だったと思う。澪に、出会えて……。澪は俺の幸運の女神だ……」

「……」

「澪、何か言ってくれよ。まるで俺が滑ったみたいな空気になるじゃないか……」

「――何か、気恥ずかしいというか……。だって、いつもの青じゃないから……」

「いつもと違う俺って? どこがどう違うの? ねぇ」


 暗闇に慣れてきたせいか、青が目を細め、それはそれは妖艶な微笑みを浮かべる顔を捉えた。その顔はやけにしっかりと見えている。


――何だか、青の顔が大きくなっているような……ちょ、近づいてきてるっ!


「ちょ、ちょっと、近いっ!」


 思わず、青の顔に両手を当てて、押し返してしまった。青は未だ、色気たっぷりの笑みを浮かべたままである。


――びっくりしたぁ~。今キスされるのかと思った……。そんな突然キスされたら、私にだって心構えとかあるし……ん? 心構え……私、青のキスを受け入れるつもり? まさか、ね。だって私たちは今までそんな甘い雰囲気になったことは一度もなかったし……。


 次の瞬間、青の顔に押し付けた指に青の唇が触れた。青はあろうことか、私の指に口づけをしだした。薄暗く静かな公園の展望台に、たった2人。小さなリップ音がやけに生々しく耳に届いてくる。


「ちょ、ちょっと、な、何すんのっ!」

「あぁ、そうだ、言い忘れてた。俺の新作の絵が高く評価されてね、結構いい値段で売れたよ。それから、海外での個展が決まった。まぁ、小さなギャラリーだけど、来週から制作を始めるから忙しくなる」

「本当にっ? 良かったね! 青の絵を評価してくれる人がいて、私も嬉しいっ!」


 青の絵が評価されて、自分のことのように嬉しくなった。ついつい子どものように大声を上げてしまったが、青も嬉しそうだから良しとした。


「それでさ、あのギャラリーの絵を見た美術商に聞かれたんだ」

「聞かれたって何を?」

「画家には代表作に使われる色の名前と画家の名前を取って、二つ名みたいなものが与えられるんだ。例えば、シャガール・ブルーとか、ピカソ・ブルーとかね。

 俺はその美術商に、『青の世界』でベースに使った青の名前をどうするのか、と聞かれたんだよ。色の命名は画家本人が名付けることもあるんだ」

「へぇ、作品に使った色に名付けする文化があったなんて知らなかった……ん?」


――『青の世界』の青の名付け……画家本人が名付け? ん? なんで青が……? ん? 青……龍青……桐生青……き、りゅうせい……?


「まさか……青が龍青なの?」

「あー、俺、言ってなかった、か……」

「聞いてないよっ! だって、てっきり青は龍青っていう人の狂信的なファンだと思ってたから……」

「狂信的って……お前……俺のこと何だと思ってたんだよっ」

「それにっ! 青だって! 龍青のファンだって嘘ついてたじゃないっ」

「そ、それはアレだよ。俺が本人だと名乗ったら、澪は本当のこと話さないだろうと思って、だな……」

「だったら、その後で話してくれれば良かったじゃないっ!」

「そ、それは……まぁそうなんだけど、筆が乗って久しぶりに絵が描けるようになったから、すっかり忘れてた、というか、てっきり話していたとばかり思ってた……」

「――じゃあ、私は本人の前で偉そうに感想を話してたってこと? あぁ~、嘘でしょっ……」


――恥ずかしすぎるっ! 穴があったら入りたい、まさに今すぐこの身を地に埋めてしまいたい……。


「まぁ、そういうことだから。でも、俺が龍青だろうと、俺は澪が知ってる青のままで、今までと何も変わらない。そうだろ?」

「――それはそうだけど……」

「言っただろ? 俺は澪のおかげでまた自由に絵を描けるようになったんだって」

「うん……」

「あぁ、そうだった。それで話を戻すけど、美術商に何て答えたと思う?」

「さっき言ってた色の二つ名のこと? 『青の世界』のブルーと画家の名前だから、青・ブルーとか?」

「あははは……まぁ、普通ならそうなるよなっ。でもそれじゃあ、海外だとブルー・ブルーって訳されるだろ?」

「あぁ、確かに! じゃあ、龍青・ブルー? ドラゴンブルー・ブルーとか?」

「おいおい、何か大喜利みたいになってきたぞ。わざとだろ?」

「えぇ〜? そんなことないよ~」

「澪、顔が笑ってるぞ」


――そんな急に色の名付けが何か、なんて分かる訳がないじゃない。さっさと教えてくれればいいのにっ。意地が悪いんだから……!


「それで? 結局、青は何て答えたの?」


 青の表情が悪戯気なものから、優美な微笑みへと変わった。そして、思いもしなかった名を聞いて、驚いてしまった。


「澪・ブルー」

「えっ……それって……画家の名前を冠にするんじゃ……」

「その美術商にも同じことを言われたよ。でも、今の俺があるのは間違いなく澪のおかげだし、『青の世界』の青色のおかげで澪と出会うことができた。だから、俺がこれから描くブルーは『澪・ブルー』と呼ぶに相応しいんだ……」


 青はそう言うと、私の顔へ自分の顔をごく自然に近づけてきた。


 徐々に近づいてくる青の顔を見ていられなくて、顔をそっぽ向けたが、背けた顔は青の両手に包まれ、無理やり青に向けられた。


 青の顔が段々と近づいてきて、顔の角度が変わったかと思うと、次の瞬間、唇に温かく柔らかな感触を覚えた。触れる唇は何度も角度を変え、離れては何度も触れた。


 目を閉じて、その感触に夢現となっていると、唇に触れていた温もりが離れていることに気づき、瞼を開いた。


 目の前には熱を帯びた眼差しを向ける青の顔があった。


「澪……」


 青は切なげな声で私の名前を呼んだ。


「澪、好きだよ」

「…………」


――青が私のことを好き? まさか、そんなこと今まで一度も……。私は青を好きでいてもいいの? 青はこんな私でもいいの? だからといって、青を突き放せる? 青のそばからいなくなって後悔しない? そんなの嫌だっ! 私だって青のそばにずっといたい。


 その時、美術館で観た老夫婦の肖像画を思い出した。そして、その時自然に、頭に浮かんだ年老いた青と自分が寄り添う姿を。


 胸を打つ鼓動はドクン、ドクンと大きく高鳴っていく。


――そうか、私、とっくに青のことが好きだったんだ。だから、おじいちゃんとおばあちゃんになっても、一緒にいる姿を思い浮かべたんだ。それは、私の心の底からの想いだったんだ。


 私は青の顔から背けるように俯いた顔を上げた。すると、そこには少し不安そうな表情をした青の顔があった。視線が重なり合って、青は再びその形のいい口を開いた。


「澪は?」

「私も……青のことが好き……今やっと、自分の気持ちに気づいた……」

「良かった……俺の独りよがりじゃなくて……」


 唇は再び重なり合った。何度も、何度も。


 これまで積み重なった想いが溢れたのか、数え切れないほどの口づけを交わした。唇が離れて視線が重なると、急に恥ずかしくなって思わず青の肩に顔を押し付けていた。

 すると、青にやさしく抱き締められた。その腕に、広い胸に包まれ、今まで感じたことのない幸せを噛みしめていた。




「澪、俺たちこのまま一緒に暮らそう」

「……」

「もう二度と、大切なものを手離したくない……」

「うん、私も青と一緒にいたい……白髪になっても、皺くちゃになっても……」

「あぁ、ずっと一緒にいよう、ずっと……」



 それから暫くの間、青のキスのシャワーが止むことはなかった――。





  第2集 完

『青の世界』を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

再びお時間をいただき、第3集の執筆を進めて参りたいと思います。

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