3.消失(後)
本日2本目の投稿です。
青のおすすめのハンバーグは言うまでもなく絶品だった。マスターが作るものは全て美味しいのだろう、そう思うようになっていたからだ。実際に、何を食べても私の期待を上回る美味しさだったから、味を疑う余地など最初からなかった。
食事を終えると、「食後のデザートに」とマスターがプディングをサービスしてくれた。私には特別に、フルーツを盛り合わせたプリンアラモードを作ってくれた。
「美味ひぃ〜! 毎日でも、ううん、毎食後に食べたくなる味〜」
「澪、本当にマスターの作るプディングが好きなんだな」
「うん、だってこんなに美味しいプディングを食べたのは初めてだもの。自分でも作るけど、なかなかうまくいかないんだよね……」
「澪は料理するのか?」
「そりゃあ、一人暮らしなら自炊もするよ。毎日外食やコンビニ通いじゃ、お金がいくらあっても足りないし」
「まぁ、それもそうか……」
「まさか、青は毎食、マスターさんの料理を食べてる訳じゃないよね?」
「そうだけど?」
「嘘でしょ! 何でよ、ズルいっ!」
「ズルいって、それなら澪も通えばいいだろ?」
「マスターさんのお料理は最高だけど、毎食外食してたら生活続けられなくなるの!」
「それなら俺が奢ってやるよ。それなら文句ないだろ?」
「いやいや、そういう問題では……」
――この人は一体何を考えているんだろうか? 毎日3食を2人分、1カ月続けただけで私の月給はあっという間に消えちゃうって。
もしかして青はお金持ちのボンボンなの? いやまさかね、いつも似たような服ばかりだし、靴も草臥れてていた。どこにもお金持ちの要素が見当たらない。でも、よく見ると、今日着ているスーツは皺もないし、生地の品質も良さそう。そういえば、革靴もピカピカだった……。
それとも私と会わない間にプロの画家になって、パトロンとやらがついて……。たんまりお金を貰っているとか? う〜ん、その線はアリか? この格好の良さなら、お金持ちのお姉さんたちが手を差し伸べそう……。
「澪、そんなことより、俺と会う気になったか?」
「な、何を唐突に……!」
「唐突でもないだろ? 俺は最初に言ったはずだ。話をしてから判断してくれって」
「――まぁ、たまに会うくらいなら、構わないけど……」
「本当か? 後で撤回するとか言わないだろうな?」
「言わないわよ、子どもじゃあるまいし」
「よしっ! それなら忘れないうちに連絡先を交換しておこう」
「えっ!」
「えっ、とは何だ。これから頻繁に会うんだから、連絡先は知っておいた方が何かと便利だろ?」
「まぁ、そうかもしれないけど……」
「ほら、スマホ出して。早くっ」
「分かったってば、ちょっと待ってよ」
スマホを出してロック画面を解除すると、青は私のスマホを奪い取り、自分の携帯番号を登録した。私のスマホから自分のスマホにワンコールしてから切ると、表示された私の携帯番号を登録して嬉しそうにスマホを見ながらニヤけていた。
「青、そんなに嬉しいの?」
「まぁね、澪の連絡先を得るのに随分と時間がかかったからな。戦利品みたいなもんだ」
「ふぅ〜ん、戦利品ね……」
「それはそうと、そろそろ暗いし帰った方がいいんじゃないか? なんなら車で送ってってやろうか?」
「遠慮しておきます! そんなこと言って、体良く私の住んでる場所を突き止めようとしてるんでしょ! その手にはならないんだからねっ」
「ちぇっ、バレたか……イケると思ったんだが」
「青の考えてることが分かってきた自分が怖い……」
「何、訳の分からないこと言ってるんだよ。ほら行くぞっ」
「ちょっと、1人で帰るって言ったでしょ」
「分かってるって、バス停まで送ってくだけだ」
――良かった。青が家まで来たら、青のことだ、毎日でも遊びに来そう。それだけは絶対に死守しないと!
「はぁ、何だか今日は疲れたな。明日は休みだし、帰ったらさっさと寝ちゃおう」
鞄から家の鍵を取り出し、玄関ドアの鍵穴に鍵を差し込もうとした時、ドアが僅かに開いていることに気づいた。
――えっ、何で? 今朝、確かに鍵を閉めて家を出たはず……まさか、空き巣? 中に入って確かめないと。ダメだ、もし犯人がまだ中にいて鉢合わせでもしたら? 交番? 近くにないし、車の鍵も部屋の中だ。ど、どうしよう……。
落ち着け、落ち着きなさい、私っ! こんな時どうしたらいいの?
あっ、そうだ。管理人さん……ダメだ、今日から1週間、息子さんちに泊まりで遊びに行くって言ってたんだった……。一先ずここから離れよう。
何とか物音を立てずにアパートを出ることができた。それはいいが、このままでは部屋の中に入れないし、何を盗られたかさえも確認できない。1人じゃ怖くて中に入れそうもない……。
――夏美に……ダメだ。この時間じゃ、子どもを寝かせているはずだし。秋乃……最近仕事で忙しんだった……。あぁ、こんな日に限って、誰にも頼れないなんて。
そ、そうだ。青、青がいるじゃない! でもこんな遅くに連絡したら迷惑だよね……。だけど、他に頼れる人もいないし、背に腹は代えられない。迷惑かけるかもしれないけれど、青に連絡しよう。
青に電話すると、2コール目で出てくれた。
――もしもし? 何だ、澪、もう俺の声が聞きたくなったのか?
「せ、青っ、グスン」
――澪? 泣いてるのか? 何か遭ったのか? 澪? 澪っ! 今どこにいるっ?
青はすぐにこっちに来てくれると言っていた。青が来るのを待っている間、私は自分でも思っていた以上に気が動転していたらしく、アパートから少し離れた場所で座り込み、立てなくなっていた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか?
青の顔を見るまで、酷く長い時間が過ぎたような気がした。青は気が動転して何もできない私に代わって、警察に連絡してくれた。
暫くして警官2人がアパートに到着した。警官は部屋の中へ入り、中の様子を確認した。部屋は荒らされていたが、幸いというべきか、犯人の姿はなかった。
その後、盗まれた物がないか確認するために、警官と一緒に室内へ入ることになった。
室内に入ると、他人が侵入してあちこちを物色したような形跡があった。部屋の中には現金はもちろん、貴金属の類も、売ってお金になるような物も置いてなかったため、部屋を荒らされた以外の被害は何もなかった。
青は被害届を出した方がいい、と言っていたが、警官の話だと、犯人の追跡が難しい上に、何か盗まれた物があるといった被害もない。被害届を出すことは可能だが、犯人が捕まったとしても荒らされた部屋が元通りに戻る訳ではない、と言っていた。
悩んだ末、大ごとにして親切な管理人さんに迷惑をかけたくない、という思いもあり、今回は被害届を出さないことで話はまとまった。
「澪、念のため鍵を変えた方がいい。澪?」
「う、うん……」
「大丈夫か? んな訳ないよな……」
「澪、今日は駅前のビジネスホテルに泊まれ。明日は仕事休みだろ? 生活に必要な物を買い替えた方がいい。誰が触れたか分からない物を触るのは嫌だろ?」
「う、うん……」
「持ち出した方がいい貴重品はあるか?」
「ううん、特にない。ノートパソコンは落とされたのかヒビが入ってたから、きっと買い替えないとダメかも……でも、そんな余裕ない、のに……」
「――澪、家の鍵貸して。一応閉めておこう」
青にそう言われてから彼の車の助手席に座るまで、その間の記憶がプツリと消えていた。
「澪? 澪っ!」
「へっ?」
「澪、大丈夫か?」
「私っ、どうしたらっ! 生活にも余裕がないのに……何もかも失ってしまった……」
――温かい……。ここはどこ?
顔を上げると、目の前に青の顔があった。驚いて顔を隠すように俯くと、そこで初めて青の腕の中に抱きしめられていることに気づいた。
「ようやく泣き止んだな」
青は自分の腕を解くと、体から温もりが消えていった。名残惜しいような感覚になって、自分はこんな時に何を考えているのか、と内心で自分の頬をビンタした。
「ごめんなさいっ、青に迷惑をかけてしまって……」
「澪、俺は迷惑だなんて思ってない。むしろ……こんな時に不謹慎だが、澪が頼ってくれて嬉しかった。だから、気にするな」
「うん、ありがとう……でも情けない姿を見せちゃったね。青の前で大泣きして……恥ずかしい」
「誰だって自分の部屋があんなに荒らされたら、気が動転するだろ。恐怖で立てなくなったり、泣きたくなったりしてもおかしくない。お前は良くやってた。警官と話してる時も気丈に振る舞っていた。泣いたのも、きっとやるべきことを終えて、張ってた気が緩んだんだろう。だから何も気にするな。俺に謝らなくてもいいし、何も言う必要はない」
私は青のやさしさに救われた気がした。こんな時に頼れる人が他にいなかったことに、自分でも驚いた。親は遠くに住んでるから会えないにしても、近くに友達もいるし、やさしい管理人さんもいる。
いざという時の対応は頭の中で想定していたはずだった。でも実際は時間を気にせずに頼れる人は1人もいなかったのだ。もしも今日、青と連絡先を交換してなければ、今頃どうなっていただろうか……。落ち着いて大丈夫だと思っていたが、再び震えが全身を襲った。
青は何も言わず、車の運転に専念していた。私は俯いたまま、震える体を腕で抑えるのに必死だった。
バタンと音が聞こえたと思い、恐るおそる顔を上げると、ビニール袋を片手に持った青が車に戻って来たところだった。窓の外を見るとコンビニの駐車場にいると分かった。
「澪、少し飲め、温かいものを飲めば少しは落ち着く」
「――ありがとう」
ありがとうと言うので精一杯だった。
コンビニの駐車場を出て数分後、青は車をどこかの駐車場に停めた。
「着いたぞ」
「着いた? ってどこに?」
青はバツが悪そうな表情をしていた。仕方がないと諦めたのか、車を停めた場所を白状した。
「――俺のマンションだよ……」
「――青のマンションか……マン、ション……えぇ!」
急展開すぎて、すでに思考が停止していた頭は使いものにならないほどに、パニックに陥っていた。
「澪っ! 落ち着け、頼むから落ち着いて俺の話を聞けっ」
青はアタフタする私を落ち着かせるべく、私の両肩に自分の両手を置いた。肩に触れる温もりで、私は落ち着きを取り戻した。
「もちろん部屋は別々だ。俺の姉もこのマンションに住んでいる。俺の方は空き部屋があるから、お前はその部屋を使えばいい。そういうことだ」
「そういうことだ、じゃないわよ。そんな突然マンションに連れて来られても……着替えも何もないし……」
「はぁ〜、やっぱりこうなるよな……」
窮地から救ってくれた恩人に対して、私は何という言い方をしているのだろうか。本当は自分でも分かっている。青は私のために、私を心配して、わざわざ自分のマンションに連れて来てくれたのだ。積極的に、というよりも仕方なく、というのが青の表情からもよく分かっていた。
それなのに、私ときたら心にもないことを言ってしまった。何故、素直に「ありがとう」が言えないのだろうか。そんな自分が嫌になった。
戸惑う私に対し、青は至って冷静だった。何故自分のマンションに連れて来たのか、その理由を話し始めた。
「澪のアパートの管理人は1週間経たないと帰って来ない。家にあるものはどれも使えそうにない。泊めてくれそうな人もいない。かといってホテルに泊まり続ける金もない。俺のとこならタダで泊まれるし、幸い俺は使う予定もない蓄えがあるから、澪が生活を立て直すまでサポートできる。現状でこれ以上の選択肢はないと思うが?」
「うっ! そ、それは……」
ぐうの音も出ないというのは、まさに今の状況を言うのだろう。私に反論の余地など最初からなかったのだ。




