3.消失(前)
本日は2本立ててお届けします。この後投稿される2本目もお楽しみに!
「ないっ! どうして?」
自宅に戻り、ギャラリーの売店で散財したことを思い出し、鞄からポストカードと画集を出している時のことだった。
ギャラリーで出会った、一見チャラそうに見えるが、美大卒で画家志望の男から別れ際に貰った彼の連絡先。その紙を受け取ってから確かに鞄の中に入れたはずだったが、鞄の中をいくら探しても見当たらなかった。
「何で? 確かに鞄に入れたはずなのに! ど、どうしようっ」
――ちょっと待って。私はそもそも彼に連絡するつもりが無かったんだから、連絡先を無くしたところで困らないじゃない……。
「そうよっ! 何を焦ることが? それに、青はいつもあの喫茶店にいるって言ってたし、会おうと思えば会えるんだし……」
――はっ! 私は何を考えて……会おうと思えば会える?
「いやいや、無いでしょ! 流石に無い! 自分から火の中に飛び込むつもりかっ、私は飛んで火にいる夏の虫かっ!」
自分でボケて自分でツッコミを入れる。これは一人暮らしが長くなった代償かもしれない。たまに友達と会って話すと、「独り言多くない?」と言われたこともあった。人前では気をつけないいけない……。今日は大丈夫だっただろうか、と今日の出来事を頭の中で反芻していると、意識は現実に引き戻された。
――今は連絡先の紙をどうするか、それが問題だ。彼と会うつもりは無いとは言え、他人の個人情報が書かれた物を無くすなんて、社会人としてどうなんだろう? 会いに行って謝罪するべき? それとも見つかるまで探すべき?
「あぁ〜! どうしたら……」
翌週――。
結局、あの日、帰宅後に来た道を戻って探してみたが、やはり彼の連絡先が書かれた紙は見つからなかった。帰りのバスの中で落としたのかと思い、バス会社にも確認してもらったが、バスの中にも落ちていなかったらしい。
「これはきっと神様が『青にはもう会うな』って言ってるんだ! うん、そうに違いない!」
そんな無理な解釈をして思い過ごすこと、それから3週間。ふとした瞬間に、そのことを思い出した。忘れようとしたが、反って気になってしまって忘れるどころか、毎日のようにそのことばかり考えていた。
――もしも悪い人に青の連絡先が拾われて、彼が事件に巻き込まれたら? 私は何かの罪に問われる? 青は私のことを訴えるような人には思えないけど、実際のところ、私は青のことを何も知らない。知ってるのは名前と、美大卒の画家志望ということだけ。
「やっぱり何かあれば、訴えられる、そう思うのが普通だよね。ここは何とか穏便に済ませるため、謝りに行く? でも、会いに行ったら今度こそ、もう、逃げられなくなる気がする。なんだかんだ言っても、桐生さんとの会話は楽しかった。とはいえ……だよね……」
――大して良くも知らない男に1人で会いに行くなど、正気とは思えない……。
「あぁ、もうっ! どうしたらいいのっ!」
それから2週間が経ったある日――。
「澪?」
「あっ……」
仕事帰りの最寄駅で、彼にバッタリと会ってしまったのだ。彼の姿を見て驚いた。黄みがかった明るめの茶髪は黒髪に代わっていて、肩に届きそうだった長い髪は耳にかかるくらいの短さになっていた。左右の髪はヘアワックスで後ろに流すように固められていて、大人の色気を感じさせる。
服装はTシャツにジーンズのラフな格好とは違い、今日はエリートビジネスマンのようなビシッと決まったスーツ姿だった。思わず見とれてしまうほどに……。
――前に会った時と全然違う。格好いい……。こんな時に何を考えてるのっ。それにしても、世間は狭いっていうのは本当だったんだ。まさか、同じ駅のある街に住んでいるとはいえ、普通、バッタリ会わないでしょ……。ここは、気づかないふりでもして走って逃げる? いや、流石にそれは無理か……。
無意識に辺りを見回して逃げ道を探していると、私の腕は彼に掴まれていた。彼を見ると、含みのある笑みを浮かべている。その顔は美しく整った顔立ちなだけに、その瞳の奥にある怒りの感情が伝わってきて、彼の腕を払うこともできず、その場から動けなくなってしまった。
――あぁ、終わった……。腕を掴まれたら、逃げようにも逃げれない。はぁ……。
彼に腕を引かれながら駅を出たのだが、いつの間にか彼の手は私の手を握っていた。手を繋いだまま無言で歩き続けることになった。
握られた手を離そうとしたが、男の握力に勝てる訳がなかった。彼はこちらを向いて私の顔をじっと見ている。何か言いたそうに感じたが、結局彼は私の手を開放することも、口を開くこともなかった。
ひたすら駅から歩き続け、見覚えのある風景が近づいて来た。私は内心で「やっぱり、そう来たか」と呟いた。
「いろいろと言いたいことはあるけど、とりあえず話は中でしようか?」
「は、はい……」
私たちはあの喫茶店の中に入った。それも手を繋いだままである。手を解放されたのは席に座る時だった。
「澪は何にする?」
「桐生さんのおす――」
「青だろ、やり直しっ」
「……」
実に面倒な男である。下の名前で、しかも呼び捨てをしなければ、正しく言えるまでこのやり取りは終わらないときた。
――もしかして、物凄く執着の強い人だったりして! まさか、ねぇ……。
「――青のおすすめは?」
「――あぁ、ディナーのおすすめはコレかな」
彼が指差したのは、ハンバーグのセットメニューだった。メニューの写真を見ると、ナイフで半分にカットされたハンバーグの中から、たっぷりの肉汁が溢れ出ている様子が映されていた。
見事なまでに食欲を誘う写真の数々に、私は恐れ入った。マスターのマーケティングの手腕が素晴らしいのか、専属のカメラマンでもいるのだろうか?
――これは、美味しそうっ! 焼き立てパンの食べ放題もあるの? 何て魅力的なメニューなのっ!
「澪はどうする?」
「私はコレにしますっ」
「了解」
彼はにっこり笑顔を私に向けると、すぐにマスターさんを呼んでオーダーしてくれた。オーダーの際に、マスターさんが私のことを覚えてくれていたみたいで「また来てくれてありがとう」と言ってくれた。
この店は彼の行きつけだけど、マスターさんに顔を覚えてもらえて嬉しかったからか、自分の行きつけの店にいるような気分になった。
料理を待つ間、彼は私が一度も連絡をしなかったことを責めなかった。何か言ってくれれば、その流れで謝れるものの……。完全に、謝るタイミングを見つけられずにいた。
――青と会ってしまったからには謝らないと。その上で、もう会わないとはっきり言おう。青は推しへの愛が重い人であることは間違いない。その愛が間違っても自分に向かないよう気をつけないと……。それでなくても、前回会った時に彼は私のことを褒めていたから。よしっ!
「あの、きりゅ……青、話があって……」
「…………」
「その、何て言えばいいのか……れん――」
「知ってるよ」
「へっ?」
「俺の連絡先を書いた紙を無くしたんだろ?」
「えっ! どうしてそれを? あっ、本当にごめんなさい! あの日確かに、鞄に入れたと思ったのに……。家に帰ってから鞄の中を探しても見つからないから、あの後すぐに来た道を戻ってもう一度探したんです」
「探しに戻ったのか?」
「えっ、はい、意図せず無くしたとはいえ、青の個人情報ですから、他人が拾って何か遭ったらと思ったら、気になってしまって……。でも探しに戻ったけど見つからなくて……バス会社にも確認したんです。バスの中には落ちてなかったって言ってました。青、いえ、桐生さん、大切な個人情報を無くしてしまって、本当にすみませんでした」
「……」
テーブルにおでこが当たりそうになるくらい深く頭を下げて謝った。
――桐生さん、怒ってるよね。連絡先を貰ってすぐに無くすなんて社会人失格だ。訴えられたらどうしよう……。
頭を下げながらも、頭の中は彼に怒鳴られたり、訴えられたり、と最悪なケースばかりイメージが浮かんだ。その時、頭上から笑い声が降ってきた。思わず顔を上げてしまった。
彼は目元を大きく下げて、お腹を抱えて笑っていた。
「はぁ〜、澪には何度も笑わされるな」
「……」
「知ってるって言っただろう?」
「えっ?」
「澪が探していたのはコレだろ?」
彼はジャケットの内ポケットからカードのようなものを取り出し、指に挟んで自分の顔の高さまで上げた。彼の指が挟んでいたのは、私が無くしたはずの彼の連絡先が書かれている紙だった。
「それ、どうして?」
「澪はコレを探しに戻った時、この店には戻らなかったのか?」
「はい、お店で鞄に入れたのは確かだと思っていたので、きっと外で落としたのだとばかり……まさか、ここに落ちていたんですか?」
「正解っ」
「嘘っ、そんなぁ~」
「翌日この店に来たら、マスターからコレを渡されたんだ。俺はてっきり澪がわざと置いていったのかと思ってた……」
「そんな……」
「澪の様子からして、俺に連絡するつもりは無かっただろ?」
「えっ、そ、それは……」
――何か言わなければっ。黙ってたら認めることになっちゃう。あぁ、こんな時に限って言い訳が浮かばない~!
「そうだろうと思ってた。俺も強引だったしな……。まぁ、だから本当はもう澪に会えないと思って諦めてたんだ。でも、まさか駅で会えるとは思わなかったけどな」
「…………」
「澪、もう一度だけチャンスをくれないか?」
「えっ? チャンスって……」
「今日、食事をしてる間だけで構わない。俺のことをもっと知ってほしい。その上でまた会うか、それとも2度と会わないかを決めてくれればいい。この通りだ、頼む!」
形勢が逆転したように、今度は彼が私に頭を深く下げている。
「ちょ、ちょっと待ってください。とにかく頭を上げてくださいっ。急にそんなことを言われても――」
「分かってる、澪を困らせるつもりはないんだ。ただ、初めてなんだ……同じ感性というか、俺の想いを絵から感じ取ってくれた人は……。今まで1人もいなかったんだ。同じように画家を目指す奴にも、美大の教授にも、パトロンとやらにも、皆偉そうに俺の絵を値踏みしてるくせに肝心なことは分かっちゃいない。
でも澪は、澪だけは違った。確かに絵のことは分からないんだろうが、それでも絵の本質を見抜いたのは澪だけだった」
「…………」
「実を言うと、俺はずっとスランプに陥っていたんだ。昔は寝食を忘れるくらい、絵を描くのが楽しくて仕方なかったのに……いつからか、絵が描けなくなったんだ」
「…………」
「俺の絵を欲しがる奴はいたが、その絵に込められたメッセージなんかどうでもいい、そんな奴らばかりだった。絵を幾ら描いても、俺の絵に込められた想いを知ろうとする奴はいなかった。だが、あの日俺は澪と出会った。澪は時間をかけて1つの作品を観てくれた」
――まさか、私が高い入場料の元を取ろうと、時間をかけて絵を見ていたとは言えない……。桐生さん、私を買い被りすぎです〜。あぁ、でもそんなこと言えないし……。
「たとえ、俺の思った通りの理由で澪が絵を見ていないのだとしても、それは構わない。絵を観て何を感じるのかは誰にも強制できないからな。だが、作品の一つひとつに込めた想いだけでなく、見事に絵画の全ての作品に込められたメッセージと意図を事も無げに読み解いた。これは紛れもない事実だ。
俺は本当に驚いたんだ。俺と同じ視点で絵を観てくれる人がいるんだって。あれから、失っていた創作意欲を取り戻せたんだ。次々と新作のイメージが湧いてくるように浮かんできた。澪、ありがとう。お前のおかげでスランプを乗り越えることができた。本当にありがとう!」
「そ、そんな、私は何もしてないですし、ただ頭に浮かんだことを言っただけで……」
「そう、確かに、澪は頭に浮かんだことを言っただけかもしれない。それでも俺はその澪の言葉に救われたんだ。お前が否定しようと、その事実は変わらない」
「…………」
「お待たせしました。ハンバーグのセットです。お熱いので、火傷に気をつけてお召し上がりくださいね」
「はふっ、熱っ!」
「言ってるそばから……全く……」
彼はバカにするように笑っていたが、その笑顔に悪意はなく、むしろやさしさで溢れていた。
――彼は言った。「澪は俺の救世主みたいなものだ」と。
救世主などと言われても、何と答えればいいのか分からない。とりあえず「ありがと、う?」と得意の疑問形で答えておくことにした。すると、彼はまた笑っていた。何故か、その笑顔が眩しく見えた。
食事をしながらの青との会話を楽しんだ。この時に知ったのだが、青と私は同学年だったのだ。見た目から自分よりもいくつか年下だと思っていたが、年齢を聞いて、今日の格好を見て納得した。青は、どこから見ても年相応の青年だった。
出会ってからずっと敬語で話したせいもあって、青から敬語はいらないと言われたのだが、なかなか普段通りに話せず、終いには敬語を使ったら罰金だ、とか言われるようになった。まぁ、本当に罰金を取るつもりは無いのだろうが……、できれば説にそう願いたいものである。




