表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一人暮らしのはずだった俺の部屋に中二病の従妹が転がり込み、隣にはヤンデレ同級生が住んでいる地獄な件  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/35

第28話 夜の共有スペースは、本音が少しだけ出やすい

 夜というのは、昼間にうまく片づけたつもりの感情を、わりと簡単に引っ張り出してくる。


 その日もそうだった。


 夕飯を食べて、食器を洗って、風呂の順番を決めて、表面上はいつも通りに夜が進んでいたのに、部屋の空気のどこかが少しだけ落ち着かなかった。


 理由ははっきりしている。


 昼間、依子に言われた言葉がまだ残っているからだ。


 鬼塚さんみたいな“家の中の当然”にはなれないから、別のところで取りにいく。


 あの静かな声と、静かな顔のまま、ちゃんと譲らない目。


「……面倒だな」


 洗面所で歯を磨きながら小さく呟くと、扉の向こうから朱音の声がした。


「何がだ」

「うわ」

「うわ、とは何だ」

「気配消すなよ」

「消していない」

 引き戸の向こうで、朱音が少し不機嫌そうに続ける。

「お前が勝手に意識を散らしているだけだ」

「その言い方だと、俺が全部悪いみたいだな」

「そうではない」

「じゃあ何だよ」

「……半分くらいは、お前が悪い」

「増えたな」

「増やした」


 歯を磨き終えてDKへ出ると、朱音はテーブルに肘をついて、湯気の立つマグカップを両手で持っていた。

 部屋着のまま、髪は少しだけ下ろしている。寝る前の顔だ。昼間よりもいくらか柔らかい。


「まだ起きてたんだな」

 俺が言うと、

「お前もだ」

 と朱音。

「先に寝る気配がなかった」

「見てたのか」

「見てはいない」

「じゃあ何」

「気配だ」

「便利ワード」

「そういうのがいちいち腹立つ」


 俺は冷蔵庫から麦茶を出して、向かいに座った。


 101号室の夜は、最近少しだけ密度が高い。

 昼間のにぎやかさが引いたあとでも、完全に一人の空気には戻らない。手前の部屋には朱音の気配が残っているし、壁の向こうには依子がいる。どこかのタイミングで大友が帰ってくるかもしれないし、ひなたが風呂上がりに飲み物を買いに出る足音がすることもある。


 静かではある。

 でも、“誰もいない静けさ”とは違う。


「……昼間のことか」

 朱音が先に言った。


「うん?」

「面倒だと言っていた件だ」

「……まあ」

「隣室か」

「言い方」

「違うのか」

「違わなくはない」

「どっちだ」

「便利な返しするなよ」


 朱音は少しだけ目を細めた。

 それから、カップの縁へ視線を落として、小さく言う。


「依子は」

「うん」

「思った以上に、静かに詰めてくる」

「……」

「昼の話を聞いた限り」

「そうだな」

「だが」

「だが?」

「それを、お前が本気で嫌がってはいないことも分かる」

「……」

「何だ、その顔は」

「いや」

 俺は少し苦笑した。

「そこまで分かるのかって」

「分かる」

「何で」

「お前の反応だ」

「みんな顔見すぎだろ」

「お前が分かりやすすぎる」


 その言い方が、少しだけ依子に似ていた。

 気づいてしまって、何となく笑いそうになる。


「何だ」

 朱音が聞く。

「いや、お前まで依子みたいなこと言うんだなって」

「……それは不快だ」

「そうか?」

「そうだ」

「でも本当だろ」

「違う」

「違わないって」

「違う」

「はいはい」

「その返しをやめろ」

「最近こればっかりだな」


 少しだけ会話がゆるむ。


 それでも、夜だからか、昼よりも言葉の奥にあるものが見えやすい気がした。


「お前は?」

 俺が聞く。

「何だ」

「昼の話、どう思った」

「どう、とは」

「そのまま」

「……」

 朱音はしばらく黙っていた。


 すぐには答えない。

 この“少し考えてから口を開く時間”が、最近の朱音には増えた気がする。前ならもっと反射で刺してきたはずだ。今は、自分の中で一度整理してから言葉を選ぶ。


「……嫌だった」

 と、朱音が言った。


 声は小さかったが、はっきりしていた。


「そうか」

「うむ」

「何で」

「何で、とは何だ」

「いや、どういう嫌か」

「……」

 朱音は少しだけ眉を寄せた。

「全部だ」

「雑だな」

「雑ではない」

 朱音はカップを机へ置いた。

「静かな顔で、当然みたいに“取りにいく”と言うところ」

「……」

「お前がそれを、完全には拒まぬところ」

「……」

「そして」

 そこで少しだけ詰まる。

「我が、それを聞いて腹を立てているのに、どこかで納得もしているところ」

「……納得?」

「そうだ」

 朱音はゆっくり言う。

「あれは、ただの意地悪ではない」

「うん」

「本気で、お前の中へ入りたいという言い方だった」

「……」

「だから嫌だった」

「嫌なのに、納得もした」

「そうだ」

「面倒だな」

「面倒だ」

 朱音は少しだけ、ほんの少しだけ笑った。

「そこは一致している」


 その笑い方が、やけに年相応で、俺は少し目を奪われた。


「何だ」

 すぐに気づかれる。

「いや」

「何だ」

「今日、お前ちょっと素直すぎないか」

「夜だからだ」

「何その理屈」

「夜は、少しだけ油断する」

「初めて聞いた」

「我も今言語化した」

「便利だな」

「うるさい」


 窓の外で、どこかのドアが閉まる音がした。

 たぶん二階だろう。

 そういう小さい音が、今夜はやけに耳につく。


「なあ」

 朱音が言う。

「何」

「お前は」

「うん」

「依子と話しているときと、我と話しているときとで、違う顔をする」

「……」

「何だ」

「いや」

「何だ」

「そこ、そんなにはっきり見えてるんだなって」

「見えている」

「どんなふうに」

「依子と話しているときは」

 朱音は少しだけ考えた。

「お前の中の、“どう返すのが正しいか分からない感じ”が前に出る」

「うわ、細かい」

「我と話しているときは」

「うん」

「正しさを考える前に、先に言葉が出ている」

「……」

「それが、よくも悪くも気に食わぬ」

「どっちなんだよ」

「どちらもだ」

「便利だな、その返し」


 それはたぶん、当たっていた。


 依子と話しているとき、俺はいつも少しだけ言葉を選ぶ。

 選ばないと、どこまで本気で受け取るべきなのか分からなくなるからだ。

 でも朱音に対しては、先に口が動く。昔からそうだったし、今さら取り繕う方が変な感じがする。


「で」

 朱音が続けた。

「我はどちらがいいという話ではない」

「うん」

「だが」

「だが?」

「お前が“選んでいない”ように見えて、実はちゃんと相手ごとに違うのは分かる」

「……」

「そこが、少し面倒だ」


 その“面倒”は、たぶん俺が感じているものとかなり近い。

 誰かを比べたいわけじゃない。

 でも、違う近さがもう二つある時点で、何も考えないのは無理になってきている。


「お前さ」

 俺は麦茶のコップを指で回しながら言った。

「意外と、こういう話できるようになったよな」

「誰とだ」

「俺と」

「……」

「前ならもっと、“うるさい”“黙れ”“知らぬ”で終わってただろ」

「……今も半分くらいそうだ」

「まあ、それはそう」

「だが」

 朱音は少しだけ肩の力を抜いた。

「今は、言わぬとお前が分からぬ」

「ひでえ」

「事実だ」

「便利ワード」

「そして」

「うん」

「依子が、言う」

「……」

「ならば、我も多少は言わねば遅れる」

「遅れる?」

「そうだ」

「何に」

 そこで朱音は、ほんの少しだけ間を置いた。


「お前の中の位置に」


 声は小さい。

 でも、その一言は驚くほど真っ直ぐだった。


「……」

「何だ、その顔は」

「いや」

 俺は少しだけ呼吸を整えた。

「今日はお前の言葉の破壊力が高いなって」

「夜だからだ」

「万能だなそれ」

「今夜はそういう夜だ」

「怖いこと言うなよ」

「怖いのか」

「少し」

「……そうか」

「何だよ」

「いや」

 朱音はカップを持ち上げて、一口飲んだ。

「我も、少し怖い」

「え」

「言う方も、だ」

「……」

「何だ」

「いや、お前でもそうなんだなって」

「何だと思っている」

「もっと平然としてるかと」

「家の中ではな」

「うん」

「だが」

「だが?」

「お前に対しては、最近少し平然でいられぬ」

「……」

「言わせるな」

「いや、でも」

「何だ」

「そういうの、ちゃんと言われると嬉しい」

「……」

「何その顔」

「それを」

 朱音は顔を赤くしながら言う。

「毎回、素直に返すな」

「だって本音だし」

「そういうところだ」

「最近それ言いすぎだろ」

「何度でも言う」

「便利だな」


 そのとき、玄関の外で小さく物音がした。


 かす、と何かが触れる音。

 次に、少し遠慮がちなノック。


 こんこん。


 俺と朱音が同時にそちらを見る。


「……」

「……」

「まさか」

 俺が言うと、

「その、まさかだろうな」

 と朱音。


 玄関を開けると、依子が立っていた。


「ごめん」

 小さな声。

「起きてた?」

「起きてるけど」

「どうした」

 俺が聞くと、依子は少しだけ視線を下げた。


「飲み物、買いに行こうと思ったら」

「うん」

「小銭、部屋にないの気づいて」

「……」

「それで、両替お願いできるかなって」

「いや」

 俺は思わず苦笑した。

「普通に言えばいいのに」

「夜だし」

「夜だと遠慮するんだ」

「するよ」

「昼間との差がすごいな」

「昼と夜は違うから」

「今日みんなその理屈使うな」


 依子が101号室の中を少しだけ見る。

 テーブルの上のマグカップが二つ。

 向かい合って座っていた位置。

 まだ少し残っている会話の温度。


 それを見て、依子はほんの少しだけ黙った。


「……話してた?」

「うん」

 と、俺。

「何の」

「お前のことも少し」

「……」

 依子は一瞬だけ目を瞬いた。

「そうなんだ」

「そうだ」

 と、朱音が後ろから言った。

「お前のこともだ」

「鬼塚さん」

 依子の声が少しだけやわらかくなる。

「そんなにまっすぐ言わなくてもいいのに」

「今夜はそういう夜らしい」

 と、俺が言うと、

 依子は少しだけ笑った。

「何それ」

「お前が来る直前にそう言ってた」

「へえ」


 依子はしばらく黙っていた。

 それから、静かな声で言う。


「じゃあ、少しだけ仲間に入れてほしいかも」

「……」

「何その顔」

 俺が聞くと、

「だって」

 依子はほんの少しだけ困ったみたいに笑った。

「夜の101、たぶん今いちばん本音が出る場所でしょ」

「……」

「そこに私の話があるなら、私もいたいなって思った」


 静かな声のまま、やっぱりこういうことを言う。


 朱音が、後ろで少しだけ息を止めたのが分かった。

 でも今日は、すぐには刺さなかった。


「……両替だけではないな」

 朱音が言う。

「ばれた?」

 依子が少しだけ笑う。

「ばれる」

「そうだよね」


 俺は玄関のドア枠にもたれたまま、小さく息を吐いた。


「入る?」

「いいの?」

 依子が聞く。

「今さらそこ聞く?」

「聞くよ」

「……」

 俺は少しだけ後ろを振り返る。


 朱音と目が合う。


 数秒だけ、何も言わないやり取りがあった。

 それから、朱音が不本意そうに言う。


「……飲み物を買う前に、少しだけなら」

「ありがとう」

 依子は穏やかにそう言って、101号室へ入ってきた。


 夜の共有スペースは、本音が少しだけ出やすい。


 そして、その“少しだけ”が積み重なって、もう前みたいに何もなかった頃へは戻れなくしていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ