ゾンビ出現
陽が沈みかけているのに、クソ暑い。
そんな中でも、周りの家ではバリケードや鉄格子を掛ける作業が急ピッチで進められている。俺が住んでいる所は普通の住宅街だったはずだが、いつから留置所へと変わったのだろうか?
「母さんは……どんな風に改造するかな」
俺の母さんは、驚くほど沢山の資格を習得している。
話を聞く限りでは、母さんと父さんが結婚する前のこと。まだ、2人が会社勤めだった頃に、母さんが父さんに一目惚れして、逆ナンパしたけど見事に玉砕したのが始まりらしい。
ここだけ聞くと、プロポーズと資格習得なんて関係ないと思うのが普通だが、俺の両親の思考回路は少し異常なのである。母さんにプロポーズされた時、父さんが断った1発目の理由が『俺の給料だと家は買えないから』である。
いや、父さん……どれだけ未来を見ているんだって突っ込みたくなる。
マイフォームを買うか買わないかなんて、結婚してから考える事であって、結婚する前……しかも、恋人として付き合う前に話し合う事ではないと思う。
そして、父さんを納得させるために、1級建築士の資格を習得する母さんも母さんである。母さんは『愛する人に尽くすのは当然の事じゃない?』と、顔を赤くして言っていたが、限度というものがある。
「まあ、それが愛の形なのは分かるけど」
1級建築士、調理師、栄養管理士、食生活アドバイザー。これだけでも、母さんがどれだけ父さんと結婚したかったのかは伺えるが、問題なのは現在迎えに行っている小雪ちゃんである。
小雪ちゃんは、俺の親友でもある光一の義理の妹で、光一とは似ても似つかない可愛い小学生の女の子。
鍛冶職人を目指す光一は、1人暮らしをしていて、実家には小雪ちゃんと母親しか居ない。
光一の親は共働きをしているため、母親も家に居る事が少なく、最近では小雪ちゃんを我家で預かる事が多いのだが……。
「小雪ちゃんが、母さんみたいになるのは嫌だな」
最近、母さんが小雪ちゃんに『好きな人にはね?』とか、コソコソ話をしている事が多いから、小雪ちゃんの将来が心配で頭痛の種となっている。
「本気で小雪ちゃんには、普通に成長して、普通に結婚してほしい」
そういえば、この事件が起きた直後に、光一から【すぐに戻る!】とメールが届いたが、飛行機や新幹線が全便運行停止している状態で、どうやって帰って来るつもりなのだろう?
「あいつ、馬鹿だから絶対自転車で帰ってくるんだろうなぁ」
じりじりと照付ける悪意に満ちた太陽光が、アスファルトと協力して異常な暑さを生みだし、上下からの挟み撃ち攻撃で、脚を踏み出すたびに、汗の雫がぽたぽたと落ちる。
「うへぇ―――気持ちわる」
ゾンビに殺される気はないが、襲われる前に熱中症で死ぬかもしれない。日本に感染者が現れたときの事を考えると、いろいろとめんどくさすぎる。
通い慣れた道を進み、小雪ちゃんの家に到着し、玄関のベルを鳴らして、小雪ちゃんを呼ぶが返事がない。鍵が掛かっているし、車もないから母親と外出したのかも知れないが……。
「買い溜め? 光一の迎えか? どちらせよ危険極まりない」
玄関前で首を傾げながら考え込んでいると、扉の下に着いていた郵便受けの窓が突然パカっと開く。
「ん?」
「合言葉は?」
その場にしゃがみ、郵便受けの窓を覗くと小雪ちゃんと目が合った。
「あ……小雪ちゃん? 開けてくれる?」
「……合言葉は?」
「え? いや、あまり時間もないから」
郵便受けの窓がパーンっと勢いよく閉められ、扉の向こうから『合言葉なしでは開けません』と言われてしまった。いつも会ってる筈なのだが、こんな時でもあるし警戒されるのは当然かも知れないが、もっと臨機応変に対応してほしい。
「小雪ちゃん。こ~ゆ~きちゃん」
今一度、郵便受けの窓が開き『合言葉は?』と聞かれる。
しゃがみこんで、俺の顔をじーーっと見つめる小雪ちゃんに『雪マークのコーヒー牛乳』と告げると、小雪ちゃんの目が、ぱぁーっと見開き、鍵の開く音が聞こえた。
「大和兄ちゃん! 迎えに来てくれたんだね!」
家から跳び出して来た小雪ちゃんに、頭から突撃され、そのままぎゅ~っと抱きしめられる。
「当り前……じゃないか。無事で……よかった」
思ったよりも頭突きの威力があって、あまりの痛みに声と足が震え、冷汗が滲み出てくる。こういう所で、病は静かに俺の体を蝕んでいるのだと痛感させられる。
「小雪ちゃん、お母さんは?」
「何かあったら大和兄ちゃんに守って貰えって言ったきり、1ヶ月以上帰って来てない」
「あぁ、だから最近俺の家に泊まる事が多かったのか」
「うん……でも2日前にお兄ちゃんから電話が掛かってきて、大和兄ちゃんが迎えにくるまで、絶体に外には出るなって言われたから、ずっと待ってたんだよ?」
両手を目元に近づけ、泣きまねをする小雪ちゃん。
ときどき上目遣いで、ちらちらと俺の顔を伺う仕草は可愛いと言うほかないが、これも母さんが教えた恋愛テクニックなのだと知っているから、少しイラっとする。
「それじゃ、俺の家に帰る前に1か所寄り道してもいいかな?」
「何か買ってくれるならいいよ」
「あ、そう言うと思って持って来たよ?」
小雪ちゃんは鼻歌を歌いながら、飴を口に入れたり、小さな舌でぺろぺろ舐めながら後ろを付いて来る。飴玉一つで、ここまで喜んでもらえるとは思わなかった。
「ねぇ、大和兄ちゃん? どこに行くの?」
「神社に行ってから……帰りにコンビニでも寄ってみようか?」
コンビニと聞いた小雪ちゃんは、その場でぴょんぴょん跳びはね「早く行こう!」と俺の手をぐいぐいと引っ張り、そのまま小走りで先に行ってしまった。
大型スーパーでも、食料品がごっそり無くなっていた事を考えると、コンビニは既に蛻の殻になっているかも知れないが、飴玉の1つぐらいは転がっているかもしれない。
「あ! 食糧の事も考えないといけないのか」
腕を組みながら、どこか食糧が残ってそうな場所を考えながら歩いていると、先に行った筈の小雪ちゃんが血相を変えて戻って来た。
「どうしたの?」
「や、大和兄ちゃ~ん」
抱き付いて来た小雪ちゃんの体が、ぶるぶると震えている。何も言わず震えながら抱き付いてくるのは、ホラー映画を一緒に見た時に検証済みだから、先程の泣き真似ではなく本気で怯えている。
「怖い人でも居たの?」
「お化けがいた」
不審者の線も考慮して聞いてみたが、ただの人間なら『お化け』とは答えないはず。それに、小雪ちゃんは、ずっと俺の体に顔を埋めて震えているから、相当怖い物を見たのだろう。まあ、何を見たのかは安易に想像できるが……小雪ちゃんを抱き上げ、小さい頭を撫でながら、それを確かめる為に歩いていくと、小雪ちゃんが怖がる原因が俺の目にも飛び込んできた。
「お化けっていうか……化物だな」
謎の黒い液体を吐き、腹部から垂れた臓物を引き摺りながら、ふらふらと歩く化物。ニュース映像で何度か見た事があるが、実物を目にすると、恐怖というより、あまりの気持ち悪さに体が一瞬膠着してしまう。
「気持ち悪いだろうとは思っていたが、予想以上に気持ち悪い」
ふと右手を見ると、行きの時に持っていた鉄パイプがない事に気付く。
「あ、しまった」
恐らく、小雪ちゃんの玄関先に置き忘れて来てしまったのか。母さん仕込みの合気道と空手があるから、素手でも倒せなくはないが……こんな気持ち悪い奴に触りたくない!
「はぁ~。しょうがないか」
1ヵ月前に買ったばかりの靴に合唱して別れの言葉を呟き、ふらふらと近づいて来るゾンビの頭に回転蹴りを入れると、ゾンビの頭は首の所でブチブチと音を立てながら裂け、体と別れを告げて跳んでいった。
「この靴……気に入ってたんだけどなぁ」
ゾンビと言えど人間の姿をした化物を殺した罪悪感よりも、靴が汚してしまった事に罪悪感を抱くのは、俺も母さんや父さんのように、思考回路が異常なのだろうか?
「小雪ちゃん、怖い人居なくなったよ」
「……」
「小雪ちゃん?」
「スゥー、スゥー、スゥー」
数分まで怯えていたのに、何でこの数分間の内に寝れるのか理解出来ない。寝たというよりも、恐怖のあまり気絶した? いや、肩にがっつり涎を垂らされているから、これは普通に寝たんだろうな。
「はぁ~。まぁ、その可愛い寝顔に免じて許してあげるか」
その後、神社に奉納されていた護身刀を担ぎ、途中にあるコンビニにも寄ってみたが、残っていたのは腐臭とウジ虫が湧いた弁当だけだった。




