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第13球 全国レベルとの邂逅


 試合が終わってコートの外に出ると、藤崎が待っていた。


「お疲れさま。とりあえず――初勝利、おめでとう」


 藤崎がいつもの落ち着いた声で、そう言った。ほんの少しだけ、口元がゆるんでる気がした。たぶん、気のせいじゃない。


「っ、おう! ありがとな、藤崎!」


 俺はベンチにどさっと座り込んだ。足がもう、ガクガクで膝が盛大に笑っていた。汗だくだった。母さんの作ってくれた弁当、まだ食べてないけど、今はそれどころじゃない。


 勝った――。初めての公式戦で、初めての一勝。


 ……でも。


「なんつーか……ぜんぜん、余裕じゃなかったわ」


 俺は正直に言った。


「田中君、別にめちゃくちゃ格上ってわけじゃなかったと思うんだ。左右のフラットショットで、なんとかポイントは取れてた。でも、途中から、セカンドサーブを狙い撃ちされてた。そんでコートの前に詰められて、リターン強打されたら、もう、どうしようもなくて」

「そうね」


 藤崎は、頷いた。


「途中から完全にサーブを狙われてたわね。アンダーサーブは確実に入るけど、それだけじゃただのカモになる。前に言ったことね。深く入れて相手を前に出させないこと。そこに気づけたのはよかった」

「ああ。確率は低いけど、上から打つしかない、って。途中で腹くくった」

「うん」


 藤崎は俺の正面に立って、少し改まった感じで言った。


「ねえ、千両君。おさらいするわ。――あなたはなぜ今回、田中君に勝てたか、分かる?」


 なぜ勝てたか。


「……えーと。セカンドサーブと、トップスピン、だよな」

「具体的には?」

「セカンドは、相手を前に出させないように……基本に忠実に、深くコートに入れることを意識した。それで、田中君が前に詰められなくなった」


「そう。もう一つは?」

「ストロークで……トップスピンのかけ方が分かった。っていうか、実感できた」

「ええ。それは私も見ていて分かったわ」


 藤崎は、そこで少し身を乗り出した。なんかこういう話になると、目の色が変わるんだよな、この人。


「スライスに対抗するためのトップスピン、急に回転かかるようになったってことでしょう」

「ああ。なんか、思い切り振ったら、今までにないような手応えだった」

「それよ」


 藤崎は、人差し指を立てた。


「トップスピンはね、実は、五十パーセントの力でおそるおそる打つより、百パーセントの力で振り切ったほうが、ボールの回転速度が上がるの。回転がしっかりかかれば、ボールは山なりに飛んで、コートの中にちゃんと収まる」

「……へえ」

「いろいろ理屈はあるけど、大事なのは、スイングスピード。速く振り切ること。あなたは追い込まれて、それを自分の身体で実感したのよ」


 ……あー、そうか。

 そういうことだったのか。


「それ……前に、なっちゃん部長が言ってたんだ」


 俺は、思い出しながら、言った。


「練習のとき、ちょっと相談したら、『トップスピンはビビって当てにいったらダメ、思いっきりブンって振り切れ』って。でも、そのときは、『ブンって言われても……』って感じで、ぜんぜん、ピンときてなくて」

「ふふ。なっちゃん部長らしい教え方ね」


 藤崎が、ちょっと笑った。


「でも、言ってることは、正しいの。感覚的だけど、本質を突いてる。あなたは今日、それを頭じゃなくて身体で理解したのよ」


 頭じゃなくて、身体で。

 まさに、それだ。


 部長に言われたときは、言葉として知ってた。でも分かってはいなかったんだ。今日追い込まれて、思い切り振って、初めて「あ、これか」って腑に落ちた。


「藤崎」

「何」

「練習って、大事だな」


 俺は、しみじみ言った。


「俺さ、正直基礎練とか、ちょっと地味で退屈だなって思ってたんだ。素振りとか、フットワークとか。でも今日の試合で、ぜんぶ大事だってことがわかったんだ。教わったこと、練習したこと。それが本番で重要な事だったんだ」

「……いいこと言うじゃない」


 藤崎は、ちょっと意外そうにしていた。でもそれ以上に満足そうに頷いた。


「そう。練習はただやればいいわけじゃないの。すべて本番の試合で勝つため。その目的意識を持つか持たないかで、効率が全然変わるのよ。なんのためにこの練習をしているのか、それを分かってやると伸びが違うの」

「だな。俺、これから、もっと考えて練習するわ」

「ええ。あなたは、まだ初心者。できないことも、たくさんある。でも一つずつ潰していきましょう。目的意識を持って、ね」

「おう!」


 なんか、いいな、これ。


「ふふ、いいわね。練習の大切さって言うのは初心者のときが一番身に染みるのよ。成長を実感できるから。私の時もそうだった、でも練習に慣れてくると次第になぁなぁになっちゃうの。そして無茶しちゃうの」

「え……」

「今はもう踏ん切りついたけどね。千両君を見てるとつい練習をがんばってた時を思い出しちゃうの。あ、怪我する前の話ね」


 そっか、藤崎、怪我したって言ってたもんな……。


「試合に勝つために、何度も試行錯誤して少しずつでも前に進む。あなたは今日勝ったのよ。そしてを次に繋げていきましょう」

 

 そうだ、負けたわけじゃない。勝ったんだ。でも、ただ喜ぶだけじゃなくてなんで勝てたのかを、ちゃんと振り返る。次につなげよう。

 ……俺、ちょっとずつテニス選手になってきてるのかもしれない。


「ちなみに」


 藤崎が付け加えた。


「今日の試合、ほかにも対処の方法は、いろいろあったのよ。相手がネットに出てきたとき、足元に沈めるとか、ロブで頭の上を抜くとか」

「ほぅ……それは、聞き捨てならないこと聞いた……」


 俺は、わざとらしく、腕を組んだ。


「さぁ、藤崎先生。この非才なる我に、ひとつ、レクチャーを――」

「ちょっとは自分で考えてみなさい」

「ええー!?」


 ばっさり、切られた。藤崎先生容赦ない。でもなんか楽しそうな顔してる。


 *


 そんな軽口を叩いてたら。


「あれ? 藤崎さん?」


 不意に向こうから声がした。

 振り向くと、男子の選手が、立っていた。


 知らない顔だ。たぶん、同い年くらい。背は、俺と同じくらいか、ちょっと高い。すらっとしてて、よく日に焼けてて、いかにも「テニスやってます」って感じのこなれた雰囲気。

 誰だ?


「……二ノ宮君」


 藤崎がその選手の名前を口にした。知り合いなのか。


「久しぶり。やっぱり藤崎さんだ。男子の大会で藤崎さんがいるの、珍しいなと思って。声かけちゃった」


 その選手――二ノ宮はにこやかに笑った。

 で、俺のほうを見て、ちょっと、首をかしげた。


「あれ。藤崎さんって、聖蹊だよね。聖蹊って、女子校じゃなかったっけ。なのに、男子と一緒にいるから……あ、もしかして彼氏?」

「違うわよ。うちの、初めての男子部員。千両利士君」

「へえ! そうなんだ。そっか、聖蹊、共学になったのか。知らなかった」


 二ノ宮は納得したように頷いて、それから、俺ににっと笑いかけた。


「こんにちは。千両君、だよね。二ノ宮優斗です。噂になってたよ。両手とも、フォアハンドで打つ選手がいるって。さっきの試合、ちょっとだけ見てた。すごいね、あれ」

「あ……どうも、っす」


 なんか爽やかなやつだな。感じは悪くない。


「あ、敬語じゃなくていいよ。同い年だし」

「お、おう。じゃあ……二ノ宮君な」

「うん。よろしく」


 二ノ宮君は、にこにこ笑ってる。


 ……でも、なんか、変だ。


 口元は、確かに笑ってる。でも――目が笑ってない。


 いや、笑ってないっていうか。俺を、見てるんだけど。なんか、こう。値踏みされてる感じ。どのくらい強いか、どこが穴か、測られてる。そんな、目だ。


 野球やってたとき、たまにいた。にこにこしてるのに、バッターボックスに立つと、急に、刺すような目になるピッチャー。あの感じに近い。

 ……なんか、ぞくっとした。


「じゃあ、またあとでね」

「?」


 二ノ宮はひらひら手を振って、去っていった。


 *


「……なあ、藤崎」


 二ノ宮の背中を見送りながら、俺は、聞いた。


「今の二ノ宮って、誰?」

「あなたの二回戦の相手よ」


 ……は?


「えっ!?」

「そして」


 藤崎は少し、間を置いて言った。


「今日の大会の、優勝候補」

「ええっ!?」


 優勝候補。あいつが。


「私も、ジュニア時代から知ってる。何度か顔を合わせたことがあるわ。――どうする? 彼の情報、いる? それとも、なしで行く?」

「いる! いります、藤崎先生!」


 俺は即答した。情報は多いほうがいい。


「よろしい。その勝利への貪欲さは、認めましょう」


 藤崎は、ちょっとふっと笑って、それから真顔に戻った。


「二ノ宮優斗。一言で言うと――オールラウンダーよ」

「おーるらうんだー」

「ストローク、ネットプレー、サーブ、持久力。すべてが、全国ジュニアのレベル。穴が、ほとんどない」


 ……なん、だと。


「全部、できるってこと?」

「そう。全部できる、その上高レベル」


 ……なん……だと……。


「逆に言うと」


 藤崎は続ける。


「平均が高い分、突出したものがない。例えばすごいパワーテニスだとか、ビックサーバーだとかそういうのね。それが、強いて言えば、弱点かもしれない。決定的な必殺技みたいなものは、彼にはない」


 ……でも、それって。


「全部、平均以上に強いってことだよな。穴がないって……」


 俺は、頭を抱えた。


「俺、穴だらけなのに……」

「ええ。そして」


 藤崎は、容赦なく、続けた。


「おそらく彼はもう、あなたの弱点を把握している。さっきの試合を見ていたのが見えたから。セカンドサーブ、低い球への対応。ほかにもあるかもしれない。そこを確実に突いてくるでしょうね。間違いなく」

「……」


 俺は、しばらく、黙った。


 全部できる相手。穴がない相手。そいつが、俺の弱点を全部分かってる。

 ……どうやって、勝つんだ、これ。


「……あの、藤崎」

「何」

「俺、そんな人に、どうやって勝てばいいんですか」


 藤崎は俺を見て、ちょっと目を見開いた。それからふっと笑った。


「あら。勝とうと、思ってるのね」

「え?」

「全国レベルが相手でも。あなた、勝つ気でいるんだ。――さすがね、千両君」


 ……いや。

 いや、まあ。そりゃ、勝ちたいけど。


「正直に言うわ」


 藤崎は、まっすぐ、俺を見た。


「今のあなたじゃ、手も足も出ない。それくらい二ノ宮君は強いテニスプレーヤーよ」

「……グスン」

「でも」


 藤崎の声が、少し、変わった。


「だからこそ。今のあなたにできることを、思い切りぶつけてきなさい」


 ……思い切り。


「全国レベルの選手と、本気で戦える機会なんて、そうそうないのよ。負けるのは、たぶん決まってる。でもその負けから、何を持ち帰るか。それは、あなた次第」


 藤崎は、フェンスの向こうの、コートのほうを、見た。


「稲葉コーチも言ってたでしょ、あなたは強くなるって。そのうえで自分に、何が足りないのか。全国のトップは、どのくらいすごいのか。それを、肌で確かめてきたらどう? 今日の、田中君との試合が、あなたを一つ成長させたみたいに。――二ノ宮君との試合も、きっとあなたを変える」


 ……。

 俺は、深く、息を吸った――。

 負けるのは、決まってる。藤崎が、そう言うんだから、たぶん、本当だ。


 でも、逃げる理由にはならない。

 むしろ――全国レベルって、どんなんだ。俺の、両フォアは、フラットは、覚えたばっかのトップスピンは。どこまで通用するんだ。

 ……ちょっと、見てやろうじゃないか。


「……っし。うっしや」


 俺は、立ち上がった。足の震えは、まだちょっと残ってたけど。


「行ってきます、藤崎先生!」

「ええ。行ってらっしゃい」


 *


 そうして、俺は、二回戦に向かった。


 相手は、二ノ宮優斗。今大会の、優勝候補。全国ジュニアレベルの、オールラウンダー。


 結果は――。


 <0-6>、<1-6>。


 完敗だった。



【作者あとがき】

 この度はお読み頂きありがとうございました。

 実はトップスピンやスライスというのは、スイングスピードに大きく依存しているという話でした。ここに気づいた千両君はどう成長するのか…。


 それでは引き続きよろしくお願いします。

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