第八章 格
相手の名前はカジワラといった。
スープラだった。JZA80。2JZ-GTE。純正でも280馬力を絞り出す直六ツインターボを、さらに弄っている。大黒PAでその話を最初に聞いた時、涼は自分と同じ土俵の話だとは思わなかった。
「やる気あるなら声かけてやれよ」とヤマネが言った。
「オレに言いますか、それ」
「お前に言ってるんだヨ。カジワラは強い。でも今のお前とやれる奴が、ここにはあまりいない」
涼は少し黙った。
「オレがカジワラより強いとは言ってないヨ」とヤマネは続けた。「やれる奴がいない、と言っただけだ」
同じに聞こえたが、違う話だった。
カジワラは四十代だった。仕事帰りにここに来る、と言っていた。それ以上のことは聞かなかった。
「青いインテグラか」スープラを眺めながら言った。涼を見ていなかった。「噂は聞いてる」
「どんな噂ですか」
「速いって」それだけ言って、やっと涼の方を向いた。「ただ、噂と本物は違う。走れば分かる」
挑発ではなかった。事実を確認するような言い方だった。
「走りましょう」
スープラのパワーは本物だった。
直線に入るたびに、差が開いた。ターボが効き始めた時のあの暴力的な加速は、B18Cには物理的に対抗できない。涼にはわかっていた。最初からわかっていた。
だからコーナーで全部回収した。
ブレーキングを奥まで遅らせた。スープラが減速を始める地点を通過してから踏む。タイヤが鳴く。壁が近い。しかし届かない。インテグラのフロントが綺麗に向く。アクセル。立ち上がり。
直線で離される。コーナーで詰める。
その繰り返しだった。
最終コーナーの立ち上がりで、並んだ。並んだまま、直線へ。スープラのターボが唸る。涼は踏み続けた。踏み続けながら、負けると思っていた。
しかし次のコーナーの入り口で、スープラのブレーキランプが早く光った。
涼は前に出た。
大黒PAで、カジワラは煙草を吸っていた。負けた顔ではなかった。しかし何かを考えている顔だった。
「最終、早めにブレーキ踏んだでしょう」
「踏んだ」
「なんで」
「お前が来ると思ったから」短く言った。「来ると思ったら来た、と。……なんでわかったんだ」
「ライン取りで」
カジワラはしばらく黙った。煙草を一本吸い終えてから言った。
「一個聞いていいか」
「どうぞ」
「蒼い残光を、見たことあるか」
涼は少し止まった。この質問を、別の場所でも聞いた気がした。
「ない」
「そうか」カジワラは遠くを見た。「……お前のインテグラ、夜に走ると蒼く見えるんだヨ。青というより、アオ、あー、鬱蒼のソウだ。ミッドナイトブルーってそういう色なんだな」
涼は何も言わなかった。
「一瞬、別の何かが走ってるのかと思った」カジワラは煙草を踏み消した。「バックミラーで見た時、な」
また風が通り過ぎた。
「残光は、どんな車に乗ってるんですか」
「インプレッサだ」カジワラは即答した。「STiのセダン。蒼い。……お前のとよく似た色だヨ」
「でも、誰も停まっている残光を見たことは無い。分からない、ってゆーことだナ」
その夜初めて、涼は蒼い残光の車種を知った。
帰り道、涼はバックミラーを見た。
夜の照明の中で、自分のボディカラーが返ってくる。ミッドナイトブルー。深い紺色。昼間は落ち着いた色だが、夜の光の中では―――確かに、蒼かった。
別の何かに見えなくもない。
涼はその考えを、頭の隅に追いやった。
黒いFitを追っている。それだけだ。自分が何かに見えるかどうかは、関係のない話だと思った。
―――関係のない話だと。




