第七章 旧道
夕方の受付時間が始まる前、涼とオオタはゲート前の駐車スペースに並んで停まっていた。
サーキットとして解放されてから三年が経つ。新しい首都高速が湾岸の沖を走るようになって、旧道は車線を塗り直され、ピットエリアが整備され、電光掲示板が設置された。法的には何も問題のない場所になった。
580円。それで好きなだけ走れる。その中で起きた事故は、自己責任として扱われるが。
それでも、この場所の空気は変わっていない。
「変わったと思うか」とオオタが言った。
「何が」
「ここが」
涼は少し考えた。「来たことなかったから、わからない」
「そうか」オオタはゲートを眺めた。「オレも来たのは解放されてからだ。昔のことは知らない」
エンジン音が近づいてきた。
ヤマネのRX-7だった。涼たちの隣に停めて、降りてきた。いつもの作業着。煙草に火をつけながら、ゲートを一瞥した。
「ずいぶん綺麗になったもんだヨ」
懐かしむような、あるいは少し苦いような言い方だった。
「昔、来てたんですか」と涼が聞いた。
「来てた、というか」煙草を吸った。「走ってた」
「捕まらなかったんですか」
「捕まったヨ」あっさりと言った。「二回。二回目は免停になった」
オオタが少し笑った。
「それでもやめなかったんですか」
「やめられなかったんだヨ、サーキットに行った」ヤマネは煙を吐いた。「理屈じゃない。ここには、ここにしかない速さがあった。閉じた空間で、壁との距離で、速さを覚える。それが好きだったんだ。……今も好きだけどナ」
涼はゲートを見た。整備されたコンクリート。白いライン。安全のために設置されたタイヤバリア。
「変わりましたか、走り心地は」
「変わった」ヤマネは即答した。「変わったし、変わってない」
「どっちですか」
「両方だヨ」煙草を指で挟んだまま、腕を組んだ。「安全になった。それは変わった。捕まる心配がなくなった。それも変わった。……でもアスファルトは同じだ。壁の位置も同じだ。カーブの角度も同じだ。速く走ろうとした時に、この道が教えてくれるものは、昔と何も変わってないヨ」
三人の間で、風が通り過ぎた。
「昔の方がよかったと思いますか」とオオタが聞いた。
ヤマネはしばらく黙った。
「わからないナ」煙草の先を見た。「怖かったのは事実だ。でも怖さが、速さを本物にしてた部分もある。今は安心して踏める。それがいいことなのか、何かを失ったのかは……まだわからない」
「昔の連中は、今でも来るんですか」とオオタが聞いた。
「来る奴もいる」ヤマネは煙草を踏み消した。「金払って入ってくる。……ただ、本物の奴らはここじゃないところを走ってるんじゃないかと思うヨ。新しい道を。まだ整備されてないところを」
涼は何も言わなかった。
黒いFitのことを思った。あの速度が、有料サーキットの枠の中に収まるものだとは、最初から思っていなかった。
その夜の走りは、いつもと少し違った。
同じ道だった。同じカーブで、同じ壁の距離で、同じアスファルトだった。しかしヤマネの話を聞いた後では、この道の下に別の道が透けて見えるような気がした。
ラインの跡が残っている気がした。
何年も前に、誰かが命を賭けて刻んだ速さの跡が。
涼はアクセルを踏み続けた。
同じ道で、同じように踏む。それしかできなかった。それでよかった。




