第九章 回転数
オオタのシビックが変わっていた。
大黒PAで並べた時、涼はすぐに気づいた。車高が下がっている。タイヤの幅が変わっている。エキゾーストの音が低くなっていた。以前の澄んだ高回転域の音ではなく、もっと太い、腹に響く音になっていた。
「エンジン弄ったのか」
「少し」
「どこを」
「いろいろ」
それ以上は言わなかった。涼も聞かなかった。
走ってみてわかった。
速くなっていた。オオタのシビックが、明らかに速くなっていた。以前は互いに勝ったり負けたりしていた。今夜はコーナーの立ち上がりで、差が出た。インテグラが追えなかった。
大黒に戻って、涼はシビックのエンジンルームを覗いた。
「ヘッドだけじゃないな。カムも変えてる」
「よくわかったな」
「音で」
オオタは何も言わなかった。
「急いでるのか」とヤマネが後ろから言った。煙草を吸いながら、シビックを見ていた。「ここ最近、お前のペースが上がってる」
「急いでない」
「そうか」ヤマネは煙草を吸った。「まあいい。ただ、急いで弄った車は、急いで壊れるヨ。それだけだ」
オオタは何も言わなかった。否定も肯定もしなかった。
走り終わった後、二人でPAに座っていた。
深夜の三時を過ぎていた。人が減った時間帯だった。遠くでトラックが走り去る音がして、また静かになった。
「父親の命日が近い」とオオタが言った。
突然だった。涼は少し間を置いてから返した。
「そうか」
「この時期になると、走りたくなる」
「走ってるじゃないか」
「もっと、だ」オオタは遠くを見ていた。「もっと速く、もっと遠くまで。どこかに行けそうな気がして……どこにも行けないんだけど」
涼は何も言わなかった。
「親父はここで死んだ」オオタは続けた。「この道で。黒いFitを追いかけて、行き過ぎたんだ、たぶん。……あいつを追いかけると、そうなるのかもしれない」
「それでも追うのか」
オオタは少しだけ笑った。笑い方が、いつもと少し違った。
「追う以外に、何がある」
涼はその言葉を、すぐには返せなかった。
追う以外に何があるか。それを問われたら、涼にも答えはなかった。しかし涼が「追う」のと、オオタが「追う」のは、同じ言葉でも、少し違う気がした。
うまく言葉にできなかった。
できないまま、夜が深くなっていった。
翌週、ヤマネが涼に言った。
「オオタと走る時、気をつけろヨ」
「何をですか」
「ペースだ」煙草を指で挟んだまま、遠くを見た。「あいつのペースに引っ張られるな。あいつは今、少し速く走りすぎてる」
「速く走りすぎる、というのは」
「限界の外を走ってる、ってコトだヨ」ヤマネは短く言った。「速さってのはナ、自分の限界の少し内側を走ることで初めて制御できる。限界の外に出た瞬間、それは速さじゃなくなる」
「じゃあ何になるんですか」
ヤマネはしばらく黙った。
「運だヨ」静かに言った。「運だけになる」
涼はその言葉を、頭の中で繰り返した。
オオタのシビックの音が、耳の奥に残っていた。あの低く、腹に響く音が。以前の澄んだ高回転の音じゃない、別の音が。
速くなっていた。




