第五十八章 ゲート前
木曜の夜、東京エクスプレスウェイのゲート前に、五台が並んでいた。
R34。Z。シーマ。ステージア。奥にR50。
涼はインテグラを、列から二台分離して停めた。
エンジンを切ると、ウチダがこちらに歩いてきた。顔が硬かった。
「中村さん、ですよね」
「はい」
「カガワさんが待ってます。奥に」
「他の人は」
「見てます」
ウチダはそれだけ言って、列に戻った。
セキグチは腕を組んだまま、涼を見ていた。ナカジマはステージアのルーフに肘をつけて、煙草を吸っていた。ミヤモトは視線を合わせなかった。
涼は歩いた。砂利を踏む音が、やけに大きかった。
R50の前で、カガワは立っていた。
「来たな」
「来ました」
「ここに来た人間は、うちのメンバー以外では二人目だ」
「一人目は」
「ヨシカワ」カガワは短く言った。「十年前だ」
ボンネットの上に、小さなモニターが置いてあった。ケーブルが、セキグチのR34の運転席へ伸びている。
「見てくれ」
セキグチが車内から手を伸ばして、再生ボタンを押した。
画面は暗かった。
ドライブレコーダーの映像だった。右下に日付が出ている。三日前の深夜、二時十四分。
C1の外回り。照明の橙が、等間隔で流れていく。
R34の速度は、百キロを少し超えていた。前に車はいない。後ろにも、いない。
画面の隅で、何かが光った。
ヘッドライトだった。ミラーの位置に、小さな光がひとつ。
次の瞬間、画面の左を、青い影が通り過ぎた。
音は入っていなかった。
風の音だけが、遅れてマイクを叩いた。
影はそのまま前へ抜けて、カーブの向こうへ消えた。
映像は三秒もなかった。
セキグチは、停止ボタンを押した。
「もう一度」
カガワが言った。
再生が戻った。
左を通り過ぎる瞬間で、カガワが一時停止した。
画面の中央に、青いボディが止まっていた。ぼやけている。ブレている。しかし輪郭だけは、はっきりしていた。
セダンだった。
涼は、画面に顔を近づけた。
照明の橙が、ボディを舐めていた。橙の光に包まれているのに、車体の色は、橙に負けていなかった。蒼かった。冷たい色だった。
「ハタノさんが見た車ですか」
「誰だ」
「ER34の男です。三日前、C1で蒼いセダンを見たと言ってました」
「時間は」
「夜中だと」
カガワはセキグチを見た。セキグチは頷いた。
「同じだ」
涼はもう一度、画面を見た。
「オレのインテグラに、似てますか」
誰も答えなかった。
ナカジマが、煙草を地面に落として踏んだ。
「似てる」
低い声だった。
「ただ、お前じゃない」
「どうしてわかるんですか」
「お前は三日前、辰巳にいた」ナカジマは続けた。「ER34の男と走ってた。オレは大黒にいた。見てた」
「見てたんですか」
「ROVERSは、この道の夜を全部見てる」ナカジマは言った。「全部、じゃない。見られる分だけだ」
セキグチが口を開いた。
「画面に映ったのは、三秒だ。その三秒の間、R34のメーターは百十キロを指してた」
「それで」
「向こうは、少なくとも三百は出てる」
涼は、何も言えなかった。
カガワは画面を消した。
モニターの黒い面に、ゲートの照明が白く映った。
「見せたかったのは、これだ」
「なぜ、オレに」
カガワは答えなかった。
R50のボンネットに手を置いて、涼を見た。その目は、あの夜明けのPAで見た目と同じだった。測るのではなく、探している目だった。
「理由は、あると思ってた」カガワは言った。「見せれば、わかると思ってた」
「わかりましたか」
「わからなかった」
声が低くなった。
R50のエンジンは切れていた。ゲートの向こうで、新しい首都高の光が、遠くに流れていた。
「お前のインテグラを見た時に、あの蒼い影を思い出した」カガワは続けた。「それが何なのか、説明がつかない。だが、あの車を見ると、動けなくなる」
「動けなくなる」
「大黒で、エンジンをかけても、足が動かない。何度も」
ウチダが、息を呑んだ。
後ろの方で、セキグチが目を伏せた。
「ROVERSの人間には、言ってなかった」カガワは続けた。「言うつもりもなかった。ただ今夜は、お前に見せなければいけない気がした。それだけだ」
涼は、R50のボディを見た。
低い車体だった。世界に五十台。ライトの奥で、ガラスのような光が止まっていた。
「カガワさん」
「何だ」
「オレは、残光じゃないです」
「知ってる」
「なら」
「それでも、動けなくなる」
カガワは、涼から視線を外した。
「だから、決めた」
「何をですか」
「ROVERSは、お前に手を出さない。クロスにも出させない。それは、今まで通りだ」
「はい」
「その上で」カガワは息を吸った。「いつか、走る」
涼は、動かなかった。
「今夜じゃない。理由がわかってからだ」
「わかるまで、待ちますか」
「待たない」カガワは短く言った。「走るうちに、わかる」
ナカジマが笑った。短い、乾いた笑い方だった。
「回りくどいヨ」
「うるさい」
カガワが言い返した。それが、今夜初めて、リーダーの声に聞こえた。
ゲートを出る前に、涼はインテグラのドアに手をかけた。
後ろから、足音が近づいた。
ウチダだった。
「中村さん」
「はい」
「カガワさん、昔はああじゃなかったんです」
涼は振り向いた。
「いつも決まってました。何を選ぶかも、誰に会うかも。迷わない人でした」
「今は」
「迷ってます」ウチダは視線を落とした。「でも、悪い迷い方じゃない気がするんです。うまく言えないけど」
「そうですか」
「あの」
ウチダは言葉を探した。
「勝ってください」
「何にですか」
「カガワさんに」ウチダは小さく言った。「負けたら、あの人、また一人で消えそうで」
涼は、何も言えなかった。
ドアを開けた。座席に乗り込んだ。
窓を下ろすと、ウチダはもういなかった。列の方に走って戻っていくところだった。
エンジンをかけた。
ターボが息を吸った。
ゲートの向こうで、R50のヘッドライトが一度だけ光った。ウインカーの色ではなかった。パッシングだった。
涼は、答えなかった。
ゆっくりとインテグラを出して、闇の中に入った。
ミラーの中で、五台の車が、ゲートの光に小さく並んでいた。




