↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
NIGHTCROSS(ナイトクロス)  作者: wisemanjr4
LAP.2 崇高のR編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/65

第四十九章 二百メートルの内側

大黒ジャンクションの合流で、黒いFitが並んだ。


ルールは決めていなかった。イイダがパッシングを一度だけ光らせた。それで足りた。


「……来たか」


涼はシフトを二速に落とした。


タコメーターの針が跳ねる。回転数は四千。ターボはまだ眠っている。この領域で踏んでも、K20Aは自然吸気の顔しか見せない。


「ここじゃない。まだ、ここじゃないんだ」


左足でクラッチを切る。右足はスロットルに残したまま、三速へ。ギアが噛み合う感触が、ステアリング越しに掌へ返ってきた。補強したボディは、そういう細かい音まで拾う。


五千。五千二百。


タービンが目を覚ました。


背中がシートに押しつけられる。ブースト計の針が0を越え、0.8、1.0と立ち上がっていく。視界の両端が、ほんの少し流れ始めた。


「乗った。ここから一気に来る」


Fitは右斜め前にいた。


ノーマルの顔をした黒いボディが、涼のインテグラと同じ速度で走っている。同じ、というのは正確じゃない。あちらが合わせてきている。ぎりぎり並べる位置を、あえて選んでいる。


「舐めてるのか。いや、違うな」


声に出してから、否定した。


イイダは舐めていない。距離を測っている。涼の速度域を、身体で確かめている。


湾岸線に入った。


ここから本牧まで、およそ十二キロ。直線が長い。壁が遠い。ターボ車の領域だ。


四速。


回転が七千を越えた。K20Aが高い声で鳴き始める。ブーストは1.3で頭打ちになった。それ以上は、ミウラが上げさせなかった。


「1.3か。今日は、ここで戦う」


ミウラの言葉が浮かびかけた。


すぐに消した。今は要らない。


Fitが前に出た。


わずかだった。車体の半分。それが一台分になった。涼は右足を床まで踏み込んだ。スロットルはとっくに全開だ。踏み込む場所は、もう残っていない。


「開くのか。ここで」


エンジンの音が変わる。Fitは静かなままだった。悲鳴も唸りもない。ただ、進んでいく。


一台分が、二台分になった。


「直線で勝てるとは思ってない。最初から思ってない。だが、こんな簡単に離れるのか」


奥歯を噛んだ。ステアリングを握る手に、力が入りすぎていた。


抜く。肩を抜く。


ヤマネに何度も言われた。力んだ腕は、路面の声を聞き逃す。


「息を吐け。次だ、次のコーナーだ」


前方に、東扇島の緩い左が見えた。


ここは半径が大きい。高速コーナーだ。ステアリングを切る量は少ない。しかし速度が高いから、荷重の乗せ方が全部を決める。


百メートルの看板を、視界の端で拾った。


まだ踏む。


七十メートル。


まだ、踏む。


Fitのブレーキランプが点いた。


「今だ」


涼は右足をブレーキに移した。


ペダルを踏み込むのではなく、乗せた。強く、しかし急がず。フロントにゆっくりと荷重が移っていく。ノーズが沈む。タイヤが路面を噛む。


「まだだ。まだ離すな」


ブレーキを残したまま、ステアリングを切り込んだ。


トレイルブレーキング。制動をコーナーの入口まで引きずる。FFの荷重は、前に乗せておけば曲がる。前に残しておけば、フロントが仕事をする。


インテグラのノーズが、内側へ吸い込まれていった。


「入った。決まった」


Fitのテールランプが、すぐ目の前にあった。


直線で開いた二台分が、コーナーの入口だけで半分に戻っている。


「ここだ。ここでしか詰められない」


リリース。ミウラに指摘された場所。頂点より少し奥。そこまでブレーキを抜かない。


抜いた。


同時に、右足をスロットルへ移す。ターボが一瞬だけ遅れる。そこを待つ。


ラグ。


タービンが回転を取り戻すまでの、ほんの数分の一秒。この間に、ステアリングを戻し始める。


「来い。来い、来い」


ブーストが立ち上がった。


背中に、圧が来た。


フロントタイヤが、路面を掴んだまま前へ引っ張っていく。リアは踏ん張っている。補強と足回りが、トルクを路面へ流している。


「出る。出られる」


Fitは、コーナーの出口で半車身だけ前にいた。


抜けなかった。しかし、離されてもいない。


「並べる。あと少しで並べる」


次の直線に入った。


またFitが動いた。


今度は加速の仕方がわかった。涼は目でそれを追った。Fitは、アクセルを踏み込む瞬間に、ステアリングをほとんど動かさない。舵を戻しきってから踏む。その順番が、恐ろしく正確だった。


「そうか。切り足しじゃない。切ったら戻して、それから踏んでる」


自分は違う。


涼はコーナーの出口で、まだ舵が残っているうちに踏み始めていた。ターボのトルクを信じすぎている。舵角が残ったまま加速するから、フロントが外へ逃げようとする。逃げる分を、ステアリングで押さえ込んでいる。


そこで、ほんのわずか、ロスが出ていた。


「くそ、そこか」


声が出た。


悔しさではなかった。見つけた、という声だった。


ベイブリッジが見えてきた。


長い上り。


ここは涼の苦手な区間だった。空気が薄くなる。壁がなくなる。視界が開ける分、速度感が消える。数字だけが上がって、身体が追いつかない。


「六速。ここは六速で、ブーストが落ちない」


シフトアップした。


ギアが吸い込まれるように入る。回転が六千まで落ちて、また立ち上がった。ブースト計が1.3に戻る。


Fitが前にいた。


一台分。


橋の上は風が強かった。車体が微かに揺れる。ステアリングを持つ手に、横風の圧が伝わる。


イイダのFitは、まったく揺れていなかった。


橋の継ぎ目の音が、規則正しく響く。タタン、タタン。涼のインテグラだけが、そのたびにわずかに跳ねた。


「差がある。足じゃない。何が違う」


考えるのをやめた。橋の上で考えても答えは出ない。


橋を降りきった。


本牧の手前で、道が右へ曲がり始めた。


そして、あの区間が来た。


S字。


右、左、右。三連続。壁が近い。この道で最もタイトな区間の一つだった。涼が、最初の頃に最も苦手にしていた場所だった。


「ここだ。ここでしか勝負できない」


涼はシフトを四速に落とした。


回転が跳ね上がる。エンジンブレーキが効いて、車体がぐっと沈む。同時にブレーキを踏む。ヒール&トゥ。右足のつま先でブレーキ、かかとでスロットルを煽る。


回転数が合った。ギアが繋がった。


「合った」


右へ。


ステアリングを切る。ノーズが向く。ブレーキを残す。荷重が前へ乗る。


Fitのテールランプが、すぐ前にある。


その光の位置が、微妙にずれた。


Fitのラインが、外側へ膨らんだ。


「入口を、浅くした?」


一瞬で理解した。


イイダは、一つ目の右を浅く入っている。次の左に、速度を残すために。連続コーナーは、最初を犠牲にして二つ目、三つ目を取る。


「知ってる。オレも知ってるさ。でもそれを、この速度でやるのか」


涼は選んだ。


同じ手を使うか。それとも自分のやり方で入るか。


一秒もなかった。


「オレのやり方でいく」


深く入った。


イイダより一メートル奥へ。ブレーキを残したまま、ステアリングをさらに切る。内側の壁が視界に迫る。壁の白い線が、フロントガラスの端を流れていく。


「近い。近い近い近い」


心臓が喉まで上がった。


しかし目は壁を見なかった。出口を見た。出口だけを見た。


リリース。


スロットル。


フロントが向いた。壁とインテグラの左側面のあいだが、十センチもなかった。


「抜けた」


一つ目の右を、抜けた。


Fitが横にいた。


ほとんど並んでいる。二台が肩を並べて、次の左へ向かっていた。


「次だ。次は外側から入る。イイダさんの内側は取れない」


左のコーナーで、涼が外側になった。Fitが内側を取っている。


内側を取られるということは、ラインを塞がれるということだ。


「詰まる。ここで前に出られたら」


イイダの走りが、変わった。


さっきまでの、涼の速度域を測るような走りではなかった。ラインが鋭くなった。減速から加速までの時間が短くなった。すべてが一段、研ぎ澄まされた。


「本気を出してきた。来たな」


笑いそうになった。


笑えなかった。


Fitが、内側から前へ出た。


出口で、涼のノーズの前を、すっと横切った。


「離されるのか。ここで」


二つ目の左を抜けて、三つ目の右に入った。


Fitのテールランプが遠い。


半車身。一台分。


「踏め。踏め、踏め、踏め」


三つ目の右で、涼はもう一度深く入った。


さっきより奥へ。


フロントタイヤが悲鳴を上げた。ステアリングが軽くなる。アンダーステアの前兆。フロントが外へ逃げようとしている。


「ここで諦めたら終わる」


ブレーキを、ほんの少しだけ強く踏んだ。


荷重をフロントに足す。タイヤの限界の、ぎりぎり内側へ。ノーズがもう一度、内へ向いた。


「戻った」


抜けた。


S字を、抜けた。


長い直線が、目の前に開いた。


Fitは、二台分先にいた。


「開いた。S字を出た時点で、二台分」


涼はスロットルを床まで踏んだ。ターボがフル過給に入る。ブーストが1.3を指して、そこで止まる。K20Aが七千五百まで吹け上がる。


「まだ足りない」


Fitとの距離が、縮まらない。


それは、前にも経験した感覚だった。


しかし今夜は、あの時と違った。


差が開いていかない。二台分のまま、一定でついていく。テールランプが、視界の中に、確かに残り続けている。


「見えてる。見えてるんだ、ちゃんと」


大黒の出口が近づいてきた。


最後のコーナーだった。長い右のS字を抜けて、大黒ふ頭の出口ランプへ入る。ここが、このバトルの終点だった。


「ここでしか、詰められない。ここだけだ」


涼は、ブレーキを遅らせた。


看板の百メートルを越えて、七十メートルを越えて、五十メートルを越えても踏み続けた。


Fitのブレーキランプが点いた。


「今、ここだ」


涼はブレーキを踏まなかった。


まだ、踏まなかった。


三十メートル。


「足りるか。足りるのか」


二十メートル。


「行け」


ブレーキ。


思い切り、踏んだ。


ABSのペダルが足の裏を叩いた。ノーズが沈み込む。シートベルトが胸を締める。視界が縦に揺れる。


止まる。


止まりきれる。


「決まる。ここで決まる」


ステアリングを切った。インテグラが、鋭く右へ向いた。フロントがぎりぎりで路面を噛んでいる。内側の縁石が、目の前にあった。


Fitのテールランプが、すぐ横にあった。


並んだ。


出口で、二台が横に並んだ。


そして、そのまま直線のランプへ。


「勝った。届いた、いや」


Fitが、加速した。


静かな加速だった。涼のターボのような、爆発的な立ち上がりはない。それでも、確実に、前に出ていく。


半車身。


一台分。


出口ランプの終わりで、イイダが前にいた。


二台とも、減速した。


大黒PAの入口で、Fitが先に停まった。


涼は、そのすぐ後ろに停まった。


エンジンを切った。


耳鳴りがした。ターボの余熱が、ボンネットの下でカチカチと鳴っている。手のひらがステアリングの形に固まっていた。


指を、一本ずつ開いた。


「……負けた」


声に出した。


短く、それだけだった。


イイダが車から降りてきた。涼のインテグラの横に立った。窓を開けると、男は覗き込むように言った。


「S字」


「はい」


「一つ目で、深く入ったな」


「入りました」


「オレなら入らない」イイダは言った。「あの速度で、あの深さは、入らない」


「でも」


「それでも抜けたな」


イイダはインテグラのフロントを見た。バンパーの端に、壁の白い線がうっすらと擦れた跡が付いていた。


「近かったヨ」


涼は何も言えなかった。


「それでいい」


イイダは、それだけ言った。


Fitに戻って、ドアを閉めた。エンジンがかかった。静かな音のまま、黒いボディがPAを出ていった。


涼は、その背中を見送ったあとで、ステアリングに額を預けた。


心臓が、まだ速く動いていた。


S字の壁の白い線が、目の奥にまだ流れていた。


大黒の夜風が、窓の隙間から入ってきた。涼は顔を上げた。

今回は実験的に、詳細に試合を描写してみました。是非是非、ご意見ください。

あと地理エアプすぎて一部地名がおかしいかもしれません;;

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。