第四章 同じ血
大黒PAに、見慣れない車が停まっていた。
EK9型シビック タイプR。ボディカラーはチャンピオンシップホワイト。ただしノーマルではなかった。フェンダーの張り出し方が違う。車高が落ちている。エンジンフードの隙間から覗くロールケージのパイプが、この車の素性を語っていた。
男が一人、エンジンルームを覗き込んでいた。
涼は車を降りて、自販機に向かいながら一瞥した。
「B16B?」
声をかけるつもりはなかった。口から出ていた。
男は顔を上げた。涼と同じくらいの年齢だった。短い髪。目つきが鋭い。しかし不愉快な鋭さではなく、何かをずっと見続けている人間の目だった。
「B18C改」と男は言った。「お前のは?」
「ノーマルのB18C」
「インテグラか」
「そう」
男はエンジンルームから視線を戻して、涼のインテグラを見た。ざっと見るのではなく、各所を順番に確認するような目だった。
「……青いな」
「ミッドナイトブルーだ」
「夜に走ったら目立たないだろう」
「目立つ必要はない」と涼は言った。
男は少しだけ笑った。
名前はオオタといった。苗字だけ教えて、下の名前は言わなかった。涼も聞かなかった。この場所では、そういうものだった。
「どのくらい走ってる」と涼は聞いた。
「三年」
「湾岸で?」
「最初は違う。山だった」
山、という言葉の後に、一瞬だけ間があった。何かを言いかけて、やめたような間だった。涼は気にしなかった。気にしないふりをした。
「今は湾岸だけか」
「湾岸が一番速いから」とオオタは言った。「速い道に速い奴が集まる。当然だヨ」
口調が似ていると思った。ヤマネに少し近い。首都高で長く走ってきた人間の喋り方というものがあるのかもしれなかった。
「走るか」とオオタは言った。
提案でも挑発でもなかった。ただそう言った。
涼は少し考えた。考えるまでもなかった。
「走ろう」
オオタのシビックは速かった。
速い、というより正確だった。無駄がなかった。コーナーへの入り方、ブレーキングのタイミング、立ち上がりのアクセルワーク。すべてが計算されていた。いや、計算という言葉も正確ではない。もっと身体に染み込んだものだった。
涼は離されなかった。
離されなかった、というのが正直なところだった。追いついてもいない。しかしオオタのシビックのテールランプが、視界の中に残り続けた。
最終コーナーで、オオタが少しだけ乱れた。
涼はそこに飛び込んだ。並んだ。一瞬だけ、横に涼のインテグラがいた。
そこまでだった。
立ち上がりでオオタが引き離した。シビックのテールランプが遠くなっていく。しかしあの一瞬は確かにあった。
大黒PAに戻ると、オオタが先に着いて煙草を吸っていた。涼が降りると、何も言わずにもう一本火をつけて、差し出した。
涼は煙草を吸わない。しかし受け取った。
「最終、入ってきたな」とオオタは言った。
「隙があった」
「あった。わかってた。……それでも入ってくる奴は、少ないヨ」
「なんで」
「怖いから」とオオタは言った。「あそこで並んで、立ち上がりで負けたら、そっちが壁に近くなる。わかってて入ってくる奴は、少ない」
涼は何も言わなかった。
「また走ろう」とオオタは言った。
「また走ろう」と涼は答えた。
それだけで十分だった。
それ以来、二人は走り続けた。
勝ったり負けたりした。シビックとインテグラでは速さの種類が違った。オオタは山で鍛えた正確さを持っていて、涼は首都高で覚えた壁との距離感を持っていた。互いに持っていないものを、互いが持っていた。
走るたびに、何かを盗んだ。
オオタのブレーキングを見て、涼はコーナーの入り方が変わった。涼のライン取りを見て、オオタは立ち上がりのタイミングが変わった。言葉で教えたわけではない。走りながら、盗んだ。
ある夜、オオタが言った。
「お前、黒いFit見たことあるか」
涼はハンドルを握ったまま、少しだけ固まった。
「……ある」
「どうだった」
「話にならなかった」と涼は言った。「停まってるみたいに抜かれた」
オオタは少しの間、黙っていた。
「オレも同じだ」と静かに言った。「あれを追いかけてる。ずっと」
「追いつけると思うか」
オオタは答えなかった。
答えない、ということが答えだった。追いつけると思っているかどうかは関係ない。追いかけることをやめない、それだけだ。
二人とも、同じものを見ていた。
暫くはDiscordにて限定公開していた作品のストックがあるので毎日投稿に遅れが生じたらその分出します...不定期になったらストックが切れたと思ってください




