第三章 鏡
気づいた時には、もう映っていた。
バックミラーの中に、ヘッドライトがある。
自分は無意識にアクセルを踏み足した。この道でそう簡単に追いつかれる車ではない、という自負があった。しかし光は、縮まってくる。
おかしい。
首都高の壁が迫る。カーブが来る。自分はハンドルを切った。タイヤが鳴く。立ち上がり、アクセル。問題ない速度だ。悪くない走りだ。
それでも、縮まる。
「……なんだ」
誰かに話しかけるつもりはなかった。独り言が出た。
追ってくるのはコンパクトなシルエットだった。セダンでもクーペでもない、あの独特の形。ホンダのインテグラ。DC2型。峠でたまに見かけるが、ここ湾岸で本気のインテグラに会ったことはなかった。
ナメていた───と、自分は認めるしかなかった。
カーブのたびに詰められる。直線で離そうとしても、離れない。インテグラのヘッドライトはバックミラーの中で一定の距離を保ち続けた。揺れない。ブレない。ただそこにある。
それが、怖かった。
速さへの恐怖ではなかった。あの光の意志のようなものが、怖かった。諦めない、という感情が、ヘッドライトから滲み出ていた。
自分は逃げ切れなかった。
大黒PAに滑り込んだのは、意地でも逃げ切るという気力が折れたからだ。インテグラは追ってこなかった。そのまま湾岸を走り抜けていった。
自分は車を降りて、走り去るテールランプを見送った。
見覚えのある感覚だった。
少し前まで、自分もああいう目で誰かの背中を見ていた気がした。もっと速い何かに、追いつけないまま、それでも踏み続けていた頃の話だ。
「……あいつ、誰だ」
隣に停まっていた車から、別の男が降りてきた。同じものを見ていたらしい。
「知らないのか」とその男は言った。「最近よく出る。インテグラのやつ。名前は───」
自分は聞いていたが、頭に入らなかった。
テールランプは、もう見えなかった。




