第四十七章 並走
ヨシカワに電話したのは、翌朝だった。
「イイダという男を知ってますか」
少し間があった。
「……知ってるヨ」ヨシカワの声が、少し変わった。「どこで聞いた」
「本人から」
今度は長い間があった。
「会ったのか、お前」
「走りました。昨夜、名前を聞いた」
ヨシカワは電話口で何かを考えていた。考えてから言った。
「今夜、時間があるか」
大黒PAに三台のスバルが並んだ。
ヨシカワ、ナカノ、フルカワ。三人とも来ていた。
「イイダさんはWZEBRAより前からいた」ヨシカワは言った。「オレたちがショップを始めた頃、あの人はすでにこの道の古参だった。面識はない。ただ名前だけは知ってた」
「なぜ名前だけ」
「うちのオーナーと並んだことがある、という話が広まってたからだヨ」
ナカノが口を開いた。珍しかった。
「一度だけ見た」短く言った。「走ってるところを。あの速さは本物だった」
PAの照明が風に揺れた。
「一つだけ聞いていいですか」涼は言った。「残光が逝った後、イイダさんのことを誰か気にした人間はいましたか」
三人が少し顔を見合わせた。
「いなかった」ヨシカワは静かに言った。「気にしたくても、繋がりがなかった。あの人はずっと一人だったから」
その夜、C1での三周目だった。
後ろにヘッドライトが現れた。
距離の詰まり方で、すぐにわかった。
涼はペースを上げた。イイダもペースを上げた。距離が変わらない。涼がコーナーで仕掛けた。イイダはそれに合わせた。抜こうとしない。ただ、いる。
以前、モリタが後ろについてきた夜と形だけは似ていた。しかし圧が違った。モリタは測っていた。イイダは走っていた。
涼はラインを変えた。
イイダもラインを変えた。
右コーナーに入った。涼がブレーキングを奥まで引きつけた。ターボが効く。リアが踏ん張る。出口で加速した。
イイダが並んだ。
横に、黒いFitがいた。
二台がコーナーを抜けた。直線に出た。並んだまま速度が上がった。ターボが唸る。Fitのエンジン音が壁に反射して返ってくる。
静かだった。
あれだけ速いのに、静かだった。カジワラが言っていた通りだった。
次のコーナーでイイダが前に出た。涼は追った。差が開かない。開かないまま、コーナーが続いた。
大黒PAに戻ると、イイダが先に停まっていた。
車から降りなかった。窓が少し開いていた。
涼が隣に停めると、イイダが言った。
「足が変わったな」
「先月セッティングを見直しました」
「ターボのトルクが、ちゃんと地面に届いてる」
それだけだった。褒めているのか確認しているのか、判断できなかった。
「一つ聞いていいですか」涼は言った。
「何だ」
「残光と並んだ時、どのくらい詰まってたんですか」
窓の外で、トラックが走り去った。
「あと少し、だった」イイダは言った。「あと少しで届く、と思った夜に、逝った」
「その後は」
「走った」短く言った。「それだけだヨ」
エンジンがかかった。
黒いFitがPAを出ていった。
涼はテールランプが消えるまで見ていた。
あと少し、と思った夜に、逝った。
その言葉が、耳の奥に残った。オオタの最後の夜と、形が似ていた。一番いい走りをした夜に、止まった。




