↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
NIGHTCROSS(ナイトクロス)  作者: wisemanjr4
LAP.1 悪魔のフィット編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/65

第三十九章 慣らし

怖かった。


最初のコーナーで、怖いと思った。


アクセルを踏んだ瞬間、タービンが効き始めた。K20Aだけの時とは別物のトルクが、ボディを引っ張る。身体が後ろに引かれた。シートが背中に押しつけてくる圧が、以前の二倍近かった。


反射的にアクセルを緩めた。


緩めた自分を、すぐに認識した。怖くて緩めた。緩めたことは正しかった。しかしどこまで踏めるか、まだわかっていなかった。


ミウラの言葉が戻ってきた。


怖い感じがしてる間は、正しい乗り方ができてる。


わかった。わかっていて、怖かった。


湾岸の長い直線に入った。


アクセルを、少しずつ踏んだ。


タービンが回り始める回転数がある。そこに達した瞬間、背中への圧が変わった。K20Aのトルクの上に、ターボのブーストが乗った。別の次元の加速が始まった。


速度計の針が上がった。


上がった、というより、飛んだ。


「……速い」


声が出た。


速い。これは速い。以前のK20Aとは、根本から違う加速だった。直線の中程で、すでにK20Aの全開に近い速度域に達していた。しかしメーターはまだ上を向いていた。


怖くて、アクセルを戻した。


戻してから、笑いそうになった。全開にする前に戻した。まだ全開にする勇気がなかった。


大黒PAに一度戻った。


エンジンを切って、少し考えた。


ターボというのは、面白い仕組みだ。排気ガスでタービンを回して、吸気を圧縮する。エンジンが自分の排気を使って、自分をより強くする。NAのエンジンが自分だけの力で走るのに対して、ターボは仕組みの力を借りる。


その分、扱い方が変わる。


タービンが効き始めるまでの回転域と、効き始めた後の回転域で、車の性格が変わる。その切り替わりを、身体に入れる必要があった。


切り替わりのタイミングを覚える。


それが、まず最初にやることだった。


走り込んだ。


何本も走った。


タービンが効き始める回転数を覚えた。効き始める前のアクセルの入れ方と、効き始めた後の入れ方を、少しずつ変えた。コーナーの立ち上がりで、タービンが効く前にアクセルを入れて、効き始めた瞬間に追加で踏む。その二段階の踏み方が、少しずつ馴染んできた。


補強が入ったボディから、路面の情報が増えて届いた。ミウラが言っていた通りだった。剛性が上がった分、アスファルトの継ぎ目が、タイヤのグリップの変化が、以前より鮮明に手に伝わってきた。


重くなったのではなかった。


聞こえる声が、増えた。


三日後、オオタと走った。


オオタのシビックが前に出た。コーナーのたびに差がついた。涼はまだターボに慣れていなかった。タービンが効き始めるタイミングを迷う場面があった。その迷いが、コンマ何秒かのロスになっていた。


大黒に戻ると、オオタが先に降りていた。


「ターボ、まだ馴染んでないな」


「馴染んでない。直線の速度域は別物だけど、コーナーでまだ迷ってる」


「迷ってるのがわかった」オオタは続けた。「踏み始めのタイミングが、二種類混在してた。NAの踏み方とターボの踏み方が、コーナーごとに違ってた」


「気づいてたか」


「後ろから見てたからな」


涼はその指摘を、素直に受け取った。後ろから走っていたオオタの目が、涼の迷いを拾っていた。


「足回りが変わったのに、速度域は上がってる」オオタは続けた。「K20Aだけの時より、直線での加速が全然違う。慣れたら、相当になる」


「慣れるまで時間がかかる」


「かかっていい」オオタは短く言った。「焦って慣れようとすると、変な癖がつく。時間をかけて入れた方がいい」


その言葉が、以前のオオタとは違った。以前なら、早く速くなれと言いそうな言い方をした。今は、時間をかけろと言っていた。


「ミウラさんのおかげか」涼は言った。


「かもしれない」オオタは少し笑った。


一週間が経った。


ターボの扱い方が、少しずつ身体に入ってきた。


コーナーの立ち上がりで、タービンが効き始めるタイミングを予測して踏めるようになった。効き始めた瞬間の追加のトルクを、身体が待てるようになった。待てるようになった分、アクセルの踏み方が滑らかになった。


オオタとの差が、縮まった。


縮まった、という感覚は正確ではなかった。ターボが乗り始めた直線での速度域が別物になっていたから、コーナーで少し遅れても直線で取り返せるようになっていた。バランスが変わった、という方が正確だった。


その夜、オオタに並んだ。


湾岸の長い右コーナーで、並んだ。コーナーの奥でK20Aのトルクを使って、立ち上がりでタービンが効いた。シビックの横に、インテグラが入った。


オオタが前を見ていた。


涼も前を見た。


二台が、コーナーを並んで抜けた。


大黒に戻って、ヤマネが待っていた。


「速くなったな」煙草に火をつけながら言った。「ターボが入ったのは見ればわかる。ただ」


「ただ」


「扱いが上手くなってる」ヤマネは続けた。「ターボを積んで暴れてる奴をよく見る。お前は暴れていない。ちゃんと路面に乗せてる」


「ミウラさんのセッティングのおかげです」


「セッティングだけじゃないヨ」ヤマネはあっさり言った。「乗り手がターボを理解してないと、どんなセッティングでも暴れる。お前はわかってる。踏むタイミングを、ちゃんと理解してる」


「まだ迷う場面があります」


「あっていい。迷いながら覚えていくんだヨ。迷いがなくなった時、本当に身体に入った時だ」


その夜の帰り道だった。


オオタからメッセージが来た。


走り終えた後の時間帯だった。深夜の三時を過ぎていた。


「ミウラさんと話した。次のエンジンを決めた」


「何を積む」


少し間があった。


「B16B」


涼は少し止まった。


B16B。EK9型シビックタイプRの心臓。オオタが乗っているのはEK9だ。純正のエンジンに戻る、ということではない。B16Bはオオタのシビックに積まれているエンジンとは別物だった。


「今のエンジンとは違うのか」


「今のはB18C改だ。B16Bはシビックの純正だが、ミウラさんが全部組み直す。限界まで引き出したB16Bを積む」


「なぜB16Bにするんですか」


返信まで、少し間があった。


「親父のシビックと、同じ心臓にしたかった」


涼はその言葉を、しばらく転がした。


父親のEK9と、同じ型番のエンジン。限界まで引き出したB16Bを積んで走る。父親が見ていた景色まで行きたい、と言っていた言葉が戻ってきた。


「ミウラさんはなんと言ってた」


「止めなかった」オオタは返した。「理由を話したら、黙って聞いてくれた。それから、わかった、と言ってくれた」


「いつ入庫する」


「来週だ。お前のターボが上がってから入れる、と決めてた」


「待っていてくれたのか」


「ターボが上がる前に入庫したら、しばらく二台同時に走れなくなる。それは嫌だった」


涼はスマートフォンを持ったまま、夜空を見上げた。


オオタが変わっていた。以前は自分だけで決めて、自分だけで動いた。今は涼のことを考えた上で、タイミングを決めていた。


「わかった」涼は返した。「入庫したら、また観る側に回る」


「今度は代車で来るなよ」


「軽自動車で来る」


「来るんかい」


短いやり取りで、会話が終わった。


翌週、シビックが入庫した。


ミウラのショップに二台が並んだ。涼のインテグラと、オオタのシビック。並んで停まっていた。


ミウラがシビックのエンジンルームを開けた。


しばらく見ていた。


「B16Bを積む理由、聞いた」ミウラは涼に言った。「お前は知ってるか」


「聞きました」


「そうか」ミウラはエンジンルームから顔を上げた。「止めなかった。止める理由がなかった。あいつが向かっている方向は、間違っていない」


「速さへの、ということですか」


「それだけじゃない」ミウラは静かに言った。「父親が見ていたものを、自分も見ようとしてる。それは正しい動機だ。間違った動機じゃない」


「ただ」涼は言った。


「ただ、と言いたいのか」


「言いたいです」


ミウラは工具を手に取った。


「ただ、間違った動機じゃないものが、正しい結果に繋がるとは限らない」涼は続けた。「それが怖い」


「怖いか」


「怖いです」


「怖いと思う人間が側にいることが、一番だ」ミウラは言った。「止める言葉はない。ただ、側にいる人間がいる。それだけで、少し変わる。少しだけ、だけど」


シビックのエンジンが、最後の音を立てて切られた。


入庫した。


また観る側の時間が始まる。しかし今回は前回と違った。前回は自分のインテグラがなかった。今回はある。ターボが乗ったインテグラで、観ながら走れる。


オオタのシビックが戻るまでの間に、ターボを完全に身体に入れる。


それが今、涼にできることの全部だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。