第二十九章 ROVERS
フルカワから連絡が来たのは、WZRとの会合から数日後だった。
「クロスの件で、会わせたい人間がいる」
「WZEBRAの人ですか」
「違う。別の連中だ。ただ、敵じゃない」
待ち合わせは東京エクスプレスウェイのゲート前だった。
日産だった。
全部ではないが、日産が多かった。R34のGT-R、フェアレディZ、シーマ。どれも速そうな顔をしていた。しかし一番奥に停まっている車が、涼の目を引いた。
見たことのない形だった。
GT-Rだとわかった。わかったが、知っているどのGT-Rとも違った。ボディラインが違う。低さが違う。存在感が、他の車と次元が違った。
「R50だ」とフルカワが隣で言った。「イタルデザインとのコラボ。世界に五十台しかない」
「五十台」
「発売価格1億5000万円。そのうちの一台が、ここにいる」
男が一人、その車に背中を預けて立っていた。
三十代半ば。細身。腕を組んでいた。涼たちが近づいても、表情が変わらなかった。変わらないのではなく、最初から何かを測るような目をしていた。
「カガワだ」男は言った。
「中村です」
「知ってる」カガワは涼のインテグラを一瞥した。「青いな」
「蒼い、とよく言われます」
カガワは少し間を置いた。値踏みではなかった。値踏みより、もっと静かな何かだった。
「ステージアを持ってるのはROVERSだ」カガワは言った。「フルカワたちに力を貸した時、出したやつだ」
「知りませんでした」
「知る必要もない。ただ、お前には話しておいた方がいいと思った」
「なぜですか」
「クロスが動く時、WZRとROVERSは動く」カガワは続けた。「それぞれ別の理由でな。ただ向いてる方向は同じだ。クロスのやり方を、この首都高に根付かせたくない」
「ROVERSの理由は何ですか」
カガワは少しだけ笑った。温度のない笑い方だった。しかし嫌な笑い方ではなかった。
「Rへのリスペクトだヨ」
「R?」
「スカイラインのR。GT-Rの系譜だ」カガワはR50に目をやった。「この道を走ってきた車の中で、GTRほど速さの意味を体現してきた車はない。R32から始まって、R33、R34と続いた。その速さは、正面から走って正面から勝つことで磨かれてきた。……クロスのやり方は、その対極にある」
「シノザキもR35に乗ってます」
「知ってる」カガワの目が少し変わった。「だから余計に許せない部分がある。あれだけの車に乗りながら、あのやり方を選ぶ。GT-Rへの侮辱だと思ってる」
他のメンバーが少しずつ近づいてきた。
R34のGT-Rに乗っているのはセキグチといった。無口な男で、涼に一度だけ頷いた。フェアレディZはミヤモトで、シーマはウチダだった。
「ステージアは誰のですか」と涼は聞いた。
少し離れた場所に、黒いステージアが停まっていた。例の夜に使われたものだった。
「オレのだヨ」と後ろから声がした。
振り返ると、体格の良い男が立っていた。四十代。短い白髪。首都高に似合う顔をしていた。
「ナカジマだ。そのステージアに乗ってる」
「あの夜、運転していたのはあなたですか」
「そうだヨ」ナカジマはステージアを見た。「フルカワが面白いことを考えた。オレが動かした。それだけだ」
「RB26が入ってると聞きました」
「入ってる。ステージアのオーテックだからな、元からだ。ただ純正のままじゃない」ナカジマは少し笑った。「タービンを換えてある。あのサイズのワゴンが、あの速度で動けるのはそのためだ」
「背の高さが武器になるとは思いませんでした」
「フルカワが気づいた。他に比べれば、ほんの少しなんだがな」
「その少しが、いい感じの壁になる」ナカジマはフルカワを見た。「こいつは変なことを考える。でも大体当たる」
フルカワが肩をすくめた。
カガワが涼の隣に来た。
「幾つか聞く」カガワは言った。「蒼い残光を見たことがあるか」
「まだない」
「そうか」少し間があった。「C1に出たという話は聞いてるか」
「聞いています」
「湾岸だけに出ていたものが、C1に現れた」カガワは静かに言った。「何かが変わった。この首都高で、何かが変わり始めてる」
「シノザキさんも同じことを言っていました。」
カガワの目が、わずかに動いた。
「シノザキと話したのか」
「はい。それと、一対一で走りました」
カガワはしばらく黙った。何かを考えているような間だった。
「あいつは速い」やがて言った。「クロスのやり方と、シノザキ自身の速さは、別物だ。……一対一で走って、どうだった」
「届きませんでした。ただ、本気を出させることはできた」
カガワはその言葉を、転がすように考えた。
「本気を出させた、か」静かに言った。「シノザキに本気を出させる奴が、まだいたか」
褒めているのかどうか、わからなかった。しかし軽く言ったわけではないことはわかった。
「R50について聞いていいですか」涼は言った。
「聞け」
「なぜその車なんですか。GT-Rの系譜を崇拝しているなら、R34やR35の方が」
カガワは少し間を置いた。
「R35は持ってる」あっさり言った。「ただ、この道を走る時はR50で来る」
「なぜですか」
「GTRの系譜の、一つの到達点だから」カガワはR50を見た。「R32からR35まで、日産がGT-Rをどこまで連れて行けるか、ずっと続いてきた。R50は、その先の景色を見ようとした試みだ。完成形じゃない。ただ、方向を示している」
「その方向というのは」
「速さは美しくあるべきだ、ということだヨ」カガワは静かに言った。「速ければいい、勝てればいい、じゃない。速さの中に、美しさがある。それがGT-Rが示し続けてきたものだ。クロスのやり方には、それが一切ない」
涼はその言葉を、頭の中で繰り返した。
速さは美しくあるべきだ。
WZEBRAのオーナーが言っていたこととも、どこか繋がる気がした。速く走ることで、何かが残る。残るものの中に、美しさがある。
「また来るといい」カガワは言った。「ROVERSは、目指してるものが近い奴は歓迎する」
「ありがとうございます」
「ただ」カガワは最後に言った。「オレたちは助けるために動くわけじゃない。向いてる方向が同じだから、結果的に重なることがある。それだけだ。勘違いするなヨ」
涼は頷いた。
R50のボディラインが、夜の照明の下で低く構えていた。
世界に五十台。しかしこの首都高を走るために作られたわけではない車が、この道に来ている。その理由が、今夜少しだけわかった気がした。
速さは美しくあるべきだ。
その言葉を持った男が、この道にいる。
それだけで、この夜に来た意味があった。




