第二十八章 旧い血
待ち合わせは翌週の木曜にした。
大黒PAに着くと、三台が端の方に固まって停まっていた。
スバルだった。
全部スバルだった。インプレッサのハッチバック、レガシィのツーリングワゴン、フォレスターのSTi。バラバラな車種だったが、どれも走り込んだ匂いがした。飾りで持っている車ではなかった。
男が三人、車に背中を預けて話していた。
涼が近づくと、真ん中の男が先に気づいた。
四十代後半。背が高い。目が静かだった。電話で聞いた声の持ち主だとわかった。
「中村か」
「そうです」
「ヨシカワだ」男は言った。「こっちがナカノ、あっちがフルカワ」
二人が軽く頷いた。ナカノは五十代で、フルカワは涼より少し上くらいだった。三人の中で一番若い。
「WZEBRAのメンバーだったんですか」
「元、だヨ」ヨシカワは言った。「ショップが畳まれてから、もう十五年になる」
話は、ヨシカワが中心になって進んだ。
WZEBRAは小さなショップだった。スバルのエンジンだけを専門に扱っていた。客商売というより、好きな連中が集まって好きなことをしていた場所に近かった。
「デモカーを持ってたのは本当ですか」と涼は聞いた。
「本当だヨ」ヨシカワは頷いた。「インプレッサのSTi。蒼いボディ。当時としては相当速い車に仕上げていた。それがショップの名刺代わりだった」
「今も走ってるという話があります」
ヨシカワは少し間を置いた。
「聞いた。それで集まった」
「知らなかったんですか」
「知らなかった」フルカワが口を挟んだ。一番若い分、少し率直だった。「ショップが畳んだ時に、あの車がどうなったか、オレたちは知らない。売ったのか、残したのか。知ってる人間がいなかった」
「オーナーは」
「オーナーは死んだ」ヨシカワは静かに言った。「ショップを畳んだ翌年に。病気だった。それで解散した。……デモカーの行方を追う気力が、その時はなかった」
ナカノが初めて口を開いた。無口な男だった。
「白石を知ってるか」
「知っています。SVXの人ですよね」
「白石はWZEBRAの常連だった」ナカノは言った。「オーナーとも仲が良かった。……SVXが動いているという話も、デモカーと同じくらい驚いた」
「今、あのSVXは松田さんという人が持っています」
三人が少し顔を見合わせた。
「知ってる」ヨシカワは言った。「一度だけ、遠目に見た。白石のSVXが走ってるのを見た時は、さすがに固まったヨ。心臓が止まるかと思った」
「中身は松田さんですが」
「わかってる。わかってるが、あの車体を見たら」ヨシカワは少し笑った。苦い笑いだった。「条件反射でナ。白石が戻ってきたと思った、一瞬だけ」
「蒼い残光については」と涼は聞いた。「今の残光のことを、どのくらい知っていますか」
三人がまた、少し間を置いた。
「知らない」ヨシカワはあっさり言った。「正直に言う。デモカーの最終的な仕様を、オレたちは把握していない。ショップが畳む前の最後の時期に、オーナーが一人で手を入れていた。何をしていたか、誰にも言わなかった」
「どのくらいの期間ですか」
「一年くらい。毎晩ショップに残って、一人でやっていた。完成した、という話も聞かないまま、オーナーが死んだ」
涼は頭の中で、繋げた。
一年間、一人でデモカーに手を入れ続けた。何をしたか誰にも言わなかった。そして死んだ。車の行方はわからなくなった。
しかし車は走っている。
誰も乗っていないのに。
「一つだけ聞いていいですか」涼は言った。「WZEBRAのオーナーは、どんな人でしたか」
ヨシカワは少し考えた。
「速さを、宗教みたいに思ってた人だヨ」やがて言った。「速さには意味がある、と本気で信じていた。速く走ることで、何かが伝わると信じていた。何かが残ると、信じていた」
「何かが残る」
「何かが、とオレたちに言ったヨ。何かが、としか言わなかった」ヨシカワは遠くを見た。「今となっては、何を言ってたのか、少しだけわかる気がするけどナ」
涼はその言葉を、すぐには返せなかった。
速く走ることで、何かが残る。
誰も乗っていないのに走り続けるデモカー。
「セルシオとステージア」と涼は言った。「WZRのやり方は、あれは誰が考えたんですか」
「フルカワだヨ」ナカノが言った。
フルカワが少し肩をすくめた。
「考えるのが好きなんです。トリックみたいなことが」フルカワは照れた様子もなく言った。「WZEBRAの時代から、頭を使って走るのが好きで。パワーで解決しない方法を考えるのが」
「スバルだから」とナカノが言った。「パワーだけじゃない走り方を、ずっとやってきた」
「なぜクロスに対抗しているんですか」と涼は聞いた。
ヨシカワは少し間を置いた。
「あいつらのやり方が嫌いだからですヨ」静かに言った。「速さを手段だと思ってる連中が嫌いだ。それだけだ。……WZEBRAにいた頃から、そういう走り方をする奴らとはやり合ってきた。今さら変わらない」
話が一段落して、三人が車の方を見た。
「中村」ヨシカワが言った。「お前は何を追いかけてる」
「黒いFitです」
「追いつけると思うか」
「わかりません。でも近づいてはいる」
ヨシカワは少し頷いた。
「蒼い残光はどうだ」
涼は少し考えた。
「まだ見たことがない。ただ、いつか会う気がしてます」
「会ったら、どうするつもりだ」
「追いかけます」
ヨシカワは少しだけ笑った。今夜初めて、温度のある笑い方だった。
「そうだナ」言った。「それしかないヨ。追いかけるしかない」
三台のスバルが、夜の大黒PAに並んで停まっていた。
褪せていない、しかし新しくもない。長く走り続けてきた車の佇まいだった。
「また走ろう」ヨシカワは言った。「今度は一緒に」
「よろしくお願いします」
涼はインテグラに戻りながら、振り返った。
三台のスバルと、三人の男。十五年前に解散したショップの人間が、蒼い車の噂を聞いてまた集まった。
速さには意味がある。速く走ることで、何かが残る。
WZEBRAのオーナーが言い続けた言葉が、今も首都高に残っていた。
車の形で。噂の形で。そしてこの三人の形で。




