第二十四章 純粋
待ち合わせは、東京エクスプレスウェイのゲート前だった。
深夜の一時。シノザキのR35が先に来ていた。モリタの姿はなかった。クロスの車も、どこにもいなかった。本当に一人で来ていた。
「来たな」
「来ました」
二人で、しばらく黙って立っていた。奇妙な静けさだった。
「ルールは一つだ」シノザキは言った。「一対一。横入りなし。幅寄せなし。それだけだ」
「わかりました」
「お前の方こそ、WZRとやらを呼ぶなよ」
「呼ぶ方法を知らない」
シノザキは少し考えてから、頷いた。
ゲートを抜けて、二台が並んだ。
涼はR35のアイドリング音を聞きながら、頭を空にした。シノザキのクロスとしての話は、今夜は関係ない。前にいるのは、速い車に乗った速いドライバーだ。それだけだ。
最初のコーナーで、シノザキが前に出た。
速かった。
クロサワのR34より速い。クロスのやり方で涼を追い詰めようとしていた時とは、次元が違う走りだった。R35のAWDが四輪で路面を掴む。コーナーの立ち上がりで、トラクションが抜けない。踏んだ分だけ前に出る。
涼はブレーキングを限界まで引きつけた。
インテグラのフロントが向く。リリースのタイミング。ミウラに言われた場所。コーナーの奥まで荷重を残す。アクセル。
差が、縮まらなかった。
縮まらなかったが、開きもしなかった。
四つ目のコーナーで、涼は気づいた。
シノザキのラインが、わずかに膨らんでいた。
R35のパワーに任せた走り方だった。コーナーの奥まで詰める必要がない。パワーで解決できる。そういう走り方だった。
そこに隙がある、とは言えない。
言えないが、インテグラのやり方はそこじゃない。
涼はラインを変えた。R35が膨らむ外側ではなく、内側を狙った。スペースが狭い。しかしインテグラなら入れる。入れると判断した根拠は、感覚だけだった。
飛び込んだ。
並んだ。
シノザキが反応した。早かった。内側を閉じる動きが来た。しかし涼はすでにコーナーの頂点を過ぎていた。アクセルを踏んだ。出口で、一瞬だけ前に出た。
次の直線でR35に抜き返された。
しかしシノザキのラインが変わった。
それからは別のバトルになった。
シノザキが本気で走り始めた。
パワーに任せた走り方ではなくなった。コーナーの入り方が変わった。奥まで詰めてくる。涼が入ってくる場所を、先に埋めてくる。
涼は別の場所を探した。
探しながら踏み続けた。
シノザキが読む。涼が変える。涼が仕掛ける。シノザキが対応する。その繰り返しが、続いた。
差は縮まらなかった。
縮まらないが、シノザキが本気を出していた。本気を出させていた。それが、今夜涼にできることの全部だった。
走り終えて、二台がゲートの外に出た。
シノザキが先に降りた。涼が降りると、R35のボンネットに手を置いたまま、少しの間そこにいた。
「久しぶりだ」
「何がですか」
「こういう走りが」静かに言った。「ラインを変えてくる奴と走るのが。読んでも読んでも違うことをしてくる奴と走るのが」
涼は何も言わなかった。
「お前のインテグラ」シノザキはR35から手を離した。「夜に走ると、蒼く見えるな」
「ミッドナイトブルーだから」
「バックミラーで見た時、一瞬だけ別の何かかと思った」
涼は少し止まった。
「別の何かというのは」
「蒼い残光だ」シノザキはあっさり言った。「お前もC1で出たという話は聞いてるだろう。インプレッサのSTi。……あれを初めて見た夜から、蒼いものを見ると反応するようになった」
「残光を見たんですか、シノザキさんは」
「見た。C1で」少し間があった。「あれは速さじゃない。速さの外にいる何かだ」
涼はその言葉を、頭の中で繰り返した。
速さの外にいる何か。
「シノザキさんは」涼は聞いた。「昔、WZEBRAを知ってましたか」
シノザキの目が、わずかに動いた。
「なぜその名前を知ってる」
「SVXを見たことがあって。ステッカーが貼ってあった」
シノザキはしばらく黙った。夜の空気が、少しだけ重くなった気がした。
「知ってる」やがて言った。「昔の話だヨ。オレがまだ、速さそのものを追いかけていた頃の話だ」
「それ以上は」
「それ以上は、今夜は話せない」
涼は頷いた。聞けることと、聞けないことがある。それはカジワラも同じだった。WZEBRAを知っている人間が、この首都高にまだいる。そしてその全員が、同じところで口を閉じる。
「もう一度走るか」シノザキが言った。
「走ります」
「今度はお前が先に出ろ。追いかける側で走ってみたい」
珍しいことを言う、と涼は思った。シノザキが後ろから走る。クロスのリーダーが、追いかける側を選んだ。
しかしその意味が、涼にはわかった気がした。
追いかける側にいた頃の走り方を、この男はまだ覚えていた。忘れたくなかった。あるいは、取り戻したかった。
「行きましょう」
二台のエンジンが、夜の中に音を立てた。




