第二十三章 包囲
来たのは、木曜の深夜だった。
最初に気づいたのはバックミラーだった。
二台が後ろについていた。車間が近い。意図的な近さだった。涼はペースを上げた。二台もペースを上げた。離れない。
左を見た。並走するように、一台が車線をキープしていた。
前方に目をやった。
モリタのランエボが、ゆっくりと速度を落とし始めていた。
「……来たか」
声が出た。
四方を固める形だった。前が詰まる。後ろが詰める。左が塞がれている。右は壁だった。
前回と同じ形だ。しかし前回と違うのは、今夜はパッシングが来なかった。どこからも。無線を持っていないから、WZRが動いているかどうかもわからない。
自分で抜けるしかなかった。
モリタのランエボが、さらに速度を落とした。
後ろの二台が詰めてくる。左の一台が寄せてくる。四台が涼のインテグラを中心に収縮していく形だった。
涼は前を見た。
ランエボの後ろ。その隙間。
狭い。車一台分もない。しかし完全にゼロではない。
次の右コーナーが来る。コーナーに入る前の一瞬、ランエボの速度が落ちる。コーナリング中は外側に膨らむ。その内側に、一瞬だけ隙間ができる。
一瞬だけ。
涼はブレーキを踏まなかった。
ランエボがコーナーに向いた瞬間、インテグラを内側に向けた。ランエボの想定より深く、想定より速く。ミウラに指摘されたブレーキリリースのタイミングが、ここで機能した。フロントの荷重がコーナーの奥まで残る。タイヤが路面を掴んでいる。
隙間に飛び込んだ。
ランエボの右フロントと、涼のインテグラの左リアの間が、数十センチになった。
アクセル。
抜けた。
後方でクロスの陣形が崩れる気配があった。想定外の動きに、四台の連携が一瞬乱れた。
涼はアクセルを緩めなかった。
次のコーナーを抜ける。また次のコーナー。後ろから来る気配がある。ランエボが立て直して追ってきている。しかし位置が変わった。前後左右に固められた形から、後ろに一台いる形になった。
後ろだけなら、走れる。
涼はペースを上げた。
ランエボが追ってくる。モリタは速い。しかし四台で組んでいた時の形ではない。一対一の形になった瞬間、涼の方が速かった。ミッドナイトブルーのインテグラが、コーナーのたびに差を開いた。
次の分岐で、涼は降りた。
大黒PAに戻ると、手が少し震えていた。
気づかなかった。駐車してから気づいた。アドレナリンが、走り終わってから来ていた。
しばらく車の中で、天井を見ていた。
抜けた。自分で抜けた。WZRが来なくても、抜けた。
それは素直に、よかったと思った。
しかし同時に、次は来るという確信もあった。クロスはこれで終わらない。モリタが涼の動きを見た。次は対策してくる。
ドアを開けて降りた。
オオタがいた。
「見てたか」と涼は言った。
「見てない」オオタの顔が、いつもと少し違った。「ただ。よく抜けたな、あそこから」
「運がよかった。そういや、見せたのか。シビック」
オオタは何も言わなかった。自分はミウラに見せていない、ということが、その沈黙の中にあった。
「シビック、一度ミウラさんに見せろ」と涼は言った。
「前にも言った、それ」
「また言ってる」
「止められたくない」
「止められに行けとは言ってない」涼はオオタを見た。「ただ見せろ、と言ってる。ミウラさんはお前の走りを止める人間じゃない。方向を間違えてたら教えてくれる人間だ」
オオタはしばらく黙った。
「考える」
答えになっていなかった。しかし以前より、少しだけ近かった。
翌朝、シノザキから直接電話がきた。
モリタ経由ではなかった。初めてのことだった。
「クロス代表だ。昨夜は見事だったヨ」
涼は少し間を置いた。
「見てたんですか」
「見てた。また少し遠くから」
「感想が聞きたくて電話してきたわけじゃないですよね」
「そうだ」シノザキの声が、少しだけ変わった。「一つ聞きたかった。お前は何を追いかけてる」
「前にも同じことを聞かれた気がします」
「誰に」
「クロサワさんに」
「なるほど」少し間があった。「答えは同じか」
「同じです。黒いFitを追ってる」
シノザキはしばらく黙った。
「追いつけると思うか」
「わかりません。でも追います」
また沈黙があった。今度は長かった。
「お前と走ってみたい」シノザキは言った。「クロスのやり方じゃなくて、一対一で」
涼は少し驚いた。
「なぜですか」
「純粋に速さが見たい。お前の走りに、久しぶりに見たいものがある」
「久しぶりに、というのは」
「昔の自分に近いものだ」静かに言った。「速さそのものを追いかけていた頃の、オレに」
涼はその言葉を、すぐには返せなかった。
「今は違うんですか」
「違う」あっさり言った。「いつから違くなったか、自分でもわからないけど」
「走りましょう」涼は言った。
「それでいい」
電話が切れた。
涼はしばらく、スマートフォンを握ったまま立っていた。
シノザキと一対一で走る。それは近い将来の話だと思った。そしてそれは、クロスとの話が別の局面に入るということでもあった。
窓の外で、昼間の首都高が動いていた。




