第十八章 名前のない味方
何が起きたのか、わからなかった。
挟まれていた。それはわかった。前後左右、逃げ場がなかった。速度を落とせば詰められる。車線を変えれば寄せられる。頭の中でどう動いても、出口が見えなかった。
その瞬間、後方からパッシングが来た。
強いヘッドライトが連続で点滅した。クロスの注意が、一瞬だけ後方に向いた。その隙に左の車線が開いた。反射的にハンドルを切った。アクセルを踏んだ。隙間を抜けた。
次の分岐で降りた。
それだけだった。
降りてから、心臓が速く動いていることに気づいた。走っている間は感じなかった。降りてから来た。
大黒PAに戻ると、オオタが先にいた。
涼の顔を見て、何かを察したような顔をした。
「何かあったか」
「挟まれた」
オオタの表情が変わった。
「クロスか」
「たぶん。ただ」涼は少し考えた。「助けられた」
「誰に」
「わからない。セルシオが後ろからパッシングして、クロスの注意を引いた。その隙に抜けた」
オオタは黙った。
「セルシオ」繰り返した。「クロスの車じゃないな」
「ナンバーも見てない。その後どこに行ったかも知らない」
二人の間で、PAの照明が白く照らしていた。遠くでエンジン音が過ぎていく。
「WZRって聞いたことあるか」とオオタが言った。
涼は首を振った。
「オレもない。ただ」オオタは遠くを見た。「最近、ちらっと名前が出た。クロスが動くところに、必ず横から何かが入ってくるって話だ」
「チームか」
「わからない。名前だけが、一人歩きしてる」
翌日、ミウラに電話した。
「WZRって知ってますか」
少し間があった。
「聞いたことはある」
「どんな連中ですか」
「わからない」ミウラは静かに言った。「クロスが動く前後に出る、それだけしかわからない。車もバラバラだ。チームとも言えないかもしれない」
「昨夜、助けてもらいました」
「そうか」
それだけだった。もっと何か知っているような間があったが、ミウラはそれ以上を言わなかった。
夜になってから、ヤマネに会った。
フェンダーは修理が終わっていた。板金の跡が残っていたが、走れる状態に戻っていた。
ヤマネは涼の話を黙って聞いた。
セルシオのこと。ステージアのこと。陣形が崩れた隙に脱出したこと。
全部聞いてから、煙草を一本吸った。
「怪我はないか」
「ないです」
「車は」
「問題ない」
「ならいい」それだけ言った。
「WZRのことを、ヤマネさんは知ってますか」
ヤマネは煙草を指で挟んだまま、少し間を置いた。
「名前は知ってるヨ」
「それ以上は」
「それ以上は、知らない方がいいかもしれないナ」
「どういう意味ですか」
「知ってどうする」ヤマネは遠くを見た。「助けてもらった。それでいいじゃないか。名前も顔も知らない奴が、理由も言わずに助けた。この道にはそういうことが、たまにある」
「気持ち悪くないですか」
「気持ち悪いヨ」あっさり言った。「でも敵じゃないなら、今は走ることだけ考えろ。それだけだ」
その夜遅く、オオタから短いメッセージが来た。
「シビック、また弄った」
それだけだった。
涼は少し考えてから返した。
「どこを」
返事は来なかった。
ミウラの言葉が耳に戻った。壁を壊そうとしている、と言っていた。限界の外を走っている、とヤマネも言っていた。
涼にはどうすることもできなかった。
走り続けることしかできなかった。自分が、オオタが、それぞれの方向へ向かいながら。
インテグラのエンジンをかけた。
深夜の首都高に、青いボディが滑り込んでいった。




