第十三章 傷
涼がそれを知ったのは、翌朝だった。
オオタからの短いメッセージだった。
「ヤマネさんのRX-7、やられた」
それだけだった。
大黒PAに着くと、すでに何人かが集まっていた。
ヤマネのFD3Sは、フェンダーが大きく凹んでいた。右の後ろ。幅寄せをされた跡だった。ガードレールとの間に挟まれた形で、リアのクォーターパネルも逝っていた。走れなくはないが、レースが可能な状態ではなかった。
ヤマネは車に背中を預けて、煙草を吸っていた。怪我はなかった。
涼が近づくと、一瞥だけした。
「来たか」
「何があったんですか」
「走ってたら、挟まれたヨ」短く言った。「前に一台入られて、ペースを落とされた。後ろから来た2台が幅寄せした。壁との間に追いやられて、避けきれなかった」
「何台でしたか」
「三台」
涼は凹んだフェンダーを見た。修理代は安くない。しかしそういう話ではなかった。
「クロスです」とオオタが後ろから言った。「昨日、大黒で見た。三台で動いてた」
「証拠はないヨ」ヤマネは煙草を吸った。「ただ、まあ、そうだろうナ」
「怒らないんですか」
「怒ってるヨ」静かに言った。「ただ怒っても、フェンダーは直らない」
話は一日で広まった。
ヤマネは速い。この首都高で長くやってきた人間の中でも、知らない者がいない名前だった。そのヤマネがやられた、という話の広まり方は、普通の事故の話とは違った。
怒りの種類が、違った。
大黒PAで、何人かが声を上げた。クロスに文句を言いに行く、という話が出た。数で行けばいい、という話も出た。
ヤマネはそれを全部、一言で止めた。
「やめろヨ」
「でも」
「やめろ、と言った」煙草を踏み消した。「あいつらと同じやり方で返したら、こっちも同じになる。それは嫌だろう」
「じゃあどうするんですか」
「走って勝つ」ただそれだけ言った。「それ以外に、返す方法はない」
誰も反論できなかった。
その夜、涼はミウラのショップに寄った。
ヤマネのRX-7の修理の話をしていた。ミウラは黙って聞いていた。
「クロスは以前からいたんですか」と涼は聞いた。
「いたよ」工具を置いた。「ただ最近、やり方が変わった。前は普通に走ってた。……シノザキが来てから、変わった」
「シノザキ」
「リーダーだ。速い。本物の速さを持ってる」ミウラは少し間を置いた。「だから始末が悪い」
「速ければ、汚い手は要らないはずだ」
「そう思うよな、普通は」ミウラは腕を組んだ。「でもあいつの考え方は違う。速さは勝つための道具だ、と思ってる。道具を使うのに、きれいも汚いもない、とそう思ってる」
「それは間違ってる」
「確かに、間違ってるよ」ミウラはあっさり言った。「でも間違ってると証明するには、走って勝つしかない。言葉じゃ届かない相手だ、ああいうのは」
涼は少し黙った。
「オレに来ますかね、そのうち」
「来るだろうね」ミウラは即答した。「もう動いてる、たぶん。……お前のことを、あいつらは前から見てた」
涼はその言葉を、すぐには返せなかった。
「怖いか」とミウラが聞いた。
「少し」正直に言った。
「それでいい」ミウラは工具を手に取った。「怖くない奴は、怖さが来た時に対処できない。怖さを知ってる奴だけが、怖さの中でも走れる」
シャッターの向こうで、夜が深くなっていた。
涼はヤマネのFD3Sの凹んだフェンダーを思い出した。
あれはただの板金の話ではなかった。この首都高に流れるものへの、明確な侵犯だった。速さへのリスペクトが一切ない連中が、すぐそこにいる。
帰りの車の中で、涼はアクセルを踏みながら考えた。
走って勝つ、とヤマネは言った。それ以外に返す方法はない、と。
その言葉は正しいと思った。
正しいと思いながら、自分にそれができるかどうかは、まだわからなかった。




