第十二章 クロス
リーダーの名前はシノザキといった。
三十代後半。細い目。声が静かで、怒鳴ることがない。怒鳴らなくても人が動く、という種類の男だった。
車はR35GT-R。ブレードシルバー。ネオン、エアロが大量についている。改造の総額を聞いた者は誰もいなかった。聞こうとした者もいなかった。見ればわかる、という類いの車だった。
「今夜はどうする」とシノザキは言った。
助手席のモリタが答えた。「青いインテグラが来てる。最近よく出る奴です」
「知ってる」
「やりますか」
シノザキは少し間を置いた。「まだいい」
それだけで、モリタは何も言わなくなった。
クロスというチームが大黒PAに現れたのは、半年前のことだった。
最初は三台だった。それが今では七台になっている。全員が改造費に糸目をつけない車を持っていた。腕はそれぞれだったが、金のかけ方は揃っていた。
ただ速さを競うだけなら、目立ちはしなかった。
問題は勝ち方だった。
ある夜、クロスに絡まれたS2000の話が広まった。バトル中に後続の一台が幅寄せをした。S2000が壁に近い側に追いやられ、ペースを落とさざるを得なくなった。
偶然ではなかった。
別の夜には、クロスと走った翌日に脱輪した車もいた。その噂も広まった。
「なぜああいうやり方をするんですか」
モリタが一度だけシノザキに聞いたことがあった。
「勝てればいいんだヨ」とシノザキは言った。「負けた奴に、負けた理由が何かなんて関係ない。勝者だけが走り続ける。それだけだ」
「でも」
「でも、何だ」
モリタは続けられなかった。
シノザキの目が変わっていたからではなかった。変わっていなかったから、続けられなかった。静かなままだった。怒りも、蔑みもなかった。ただ事実を言っている目だった。
それが一番、怖かった。
シノザキ自身は速かった。
本物の速さだった。チームの力を借りなくても、一対一で正面から走っても、この首都高で負けたことがない。それは事実だった。
だから余計に、わからなかった。
なぜ汚い手を使うのか。使わなくても勝てるのに。
一度だけ、それを聞いた者がいた。古参のメンバーだった。
「勝てるから使うんじゃない」シノザキは言った。「確実に勝つために使うんだヨ。速さってのは絶対じゃない。路面が変われば変わる。タイヤが変われば変わる。調子が変われば変わる。……だから確実にする。それだけだ」
「それは速さへの冒涜じゃないですか」
シノザキは少しだけ笑った。笑い方が、温度のない笑い方だった。
「速さに、冒涜も何もないヨ」静かに言った。「エンジンが周り、タイヤが回転し、路面を進む。それだけだ」
そのメンバーは翌週からクロスに来なくなった。
大黒PAの端で、シノザキは偶然停車したインテグラを見つけていた。
青いボディ。ミッドナイトブルー。夜の光の中では蒼く見える。走り方を、遠目に何度か見ていた。
今のままでは、まだクロスの相手にはならない。しかし伸びている。走るたびに変わっている。そういう車の伸び方を、シノザキは知っていた。
放っておくと、面倒になる。
「モリタ」
「はい」
「あのインテグラの情報を集めろ。改造の内容、来る曜日、誰と走ってるか。全部だ」
「つぶしますか」
シノザキは少し間を置いた。
「まだ決めてない」
それだけ言って、R35のドアを開けた。
エンジンがかかった。その音は静かで、無駄がなく、恐ろしいほど整っていた。
テールランプが遠くなっていく。
モリタはその背中を見送りながら、一つだけ確かなことを思っていた。
シノザキが「まだ決めてない」と言う時、たいていの場合、もう決まっている。
その夜、まだ涼はクロスのことを知らなかった。
走り終えて、エンジンを切って、静かな夜の中にいた。今夜の走りを頭の中で反復していた。十三コーナーの入り方。もう少し奥まで入れた気がした。
誰かの視線には、気づかなかった。




