第5話 後ろの番人(1)
大阪のチーフと九州の若手が「完璧に仕上げた」と言う零観に、エースは再び身体を滑り込ませた。
周辺哨戒のため、機体は離水する。 エンジンが力強く唸り、零観はぐんぐん高度を上げていく。
三千、四千メートル。 ちぎれ雲が眼下に広がる高さまで来たころ、後ろの席から新米の声が伝声管に響いた。
「旦那、なんでこんなに高く飛ぶんです?」
「……俺たち、遅いからな。前回のバッファロー戦で、嫌ってほど思い知った」
「遅いと、高く飛ぶんです?」
「帰ったら教えてやる。今は余計なこと考えず、周りを警戒しろ」
その直後だった。
「……旦那! 七時の方向に……いるだ!!」
「いる? 敵か!?」
「分かんねぇ……でも、いる!」
「わかった。お前が言うなら間違いねえ。だが新米、上も見とけよ。上から来られたら、この複葉機じゃどうにもならん」
新米の“目”は、もう完全に信頼できるものになっていた。操縦桿を倒し、零観を七時方向へ向ける。 雲の切れ間に、黒い影が浮かび上がった。
「ありゃ……見たことないぞ」
「見たことない? 旦那、味方ですか?」
「そんなわけあるか。敵だ!」
優美な楕円翼。 イギリス空軍のスピットファイア。
しかも一機ではない。 二機、三機、さらに続く。
やがて十二機編隊が姿を現した。
「前回同様、突っ込んでからひねる。だが今回は数が多い。必ず後ろに付かれる。頼んだぞ!」
「……了解だ、旦那!」
ジャコッ、と音がした。
新米が後部の7.7mm旋回機銃を装填したのだ。
バッファロー戦の時に見せていた緊張は、もうない。その音を聞いた瞬間、エースも腹を決めた。
――昨日のことが、ふいに脳裏をよぎる。
物資調達のために入ったジャングルで、野ウサギが飛び出した。
食い物を確保するための、ちょっとした狩りのつもりだった。だが、足元の枯れ葉を踏んだ音で、ウサギは逃げ出した。
弾丸のような速さで走る小さな背中。
その瞬間――ダァン!
新米の銃声が響いた。
ウサギは前のめりに倒れ、動かなくなる。
「おい……新米、いまの走ってるやつ、当てたのか!? しかもこれ……頭、か……?」
「頭に当てただ。体に当たると、弾こが肉にめり込んで、食べるとこ減っちゃいますからね……」
その淡々とした言葉を、エースは忘れていなかった。走るウサギの頭を一発で抜けるなら、空の敵にも通用する。そう思った。
視線を戻すと、スピットファイアの編隊が一斉に急上昇してこちらへ向かってきていた。
「クソッ、遅れた!」
零観は降下での突っ込みが得意ではない。
しかも数年のブランクが、エースの感覚をわずかに鈍らせていた。
「まだ感覚が腐ってるな……」
コックピット中で愚痴を言っても仕方がない。遅れながらも、俺は死に物狂いで操縦桿を押し込み、敵の進路へ軸線を合わせる。
(これだけの数に囲まれたら……ただ捻るだけで避けられるのか?いや…速度差はある…あっちの方が早いが、こっちも降下してるんだ。運動エネルギーなら……こっちに分がある!)
捻って、もう一回捻って、そこから一気に降下か?頭の中で猛スピードで戦術を組み立てているうちに、一瞬で距離が詰まる。
距離三百。
早めに機首の7.7mmをスパッと放ち、牽制射撃。
その直後、機体を大きく捻りながら急上昇へ移った。




