第3話 そして南方へ
大騒ぎの末、エースの「中国戦線」は、あっけなく幕を閉じた。前線で上官を泥水に叩き落とした代償は、予想通り、いやそれ以上に陰湿だった。
銃殺こそ免れたが、待っていたのは島流しに近い左遷だった。それからの数年、彼は海軍のあちこちをたらい回しにされた。
最初に回されたのは、航空教育隊の教官だった。
「お前みたいな狂犬は、もう前線には出さん。大人しく内地でヒヨコどもの面倒でも見ていろ」
そう言われて任された仕事だったが、彼の実戦主義は教官向きではなかった。
厳しすぎる訓練は、頭でっかちな連中に嫌われ、結局は陸上勤務へ回された。
飛行帽を奪われ、机に向かう日々。
あるいは、飛行機の一機もない僻地での警備。
かつての仲間たちが南方の激戦区へ飛び立つ中、彼はただ、錆びついていく自分の腕を見ているしかなかった。
そんな「死んだような時間」を経て、戦争の坂道を転げ落ちるように命じられた先が、昭和十八年の東南アジアだった。
地図にもろくに載らない、無人島の前線基地である。
鬱蒼としたマングローブの林と、絶え間ない波の音だけがある静かな入り江。
本国から半ば見捨てられたような砂浜に、ヨレヨレの軍服を着た彼は立っていた。
目の前にあるのは、赤く塗られた九六艦戦ではない。戦闘機とは呼びがたい、
不格好な複葉水上機――零式水上観測機(零観)。
エース:「……はぁ。戦闘機乗りのこの俺が、こんな『複葉の偵察機』に乗れってか。海軍もいよいよ焼きが回ったな」
自分のため息の重さに、余計に胸がムカムカしてくる。胸ポケットから取り出したヨレヨレのタバコを咥え、マッチに火をつけようとした、その時だった。
新米︰「旦那、火コ、足りてるだ?」
のんびりした東北訛りの声が横から飛んできた。
振り向くと、不器用な手つきでマッチを差し出す、いがぐり頭の新兵がいた。
大きなヤシの実を抱え、へらへらと笑っている。
新米:「……お初にお目にかかります、旦那。今日から後ろの席(偵察員)さ乗せていただくことになった、東北の山から来た新兵だ。よろしくお願いしますだ」
少年は、照れくさそうに右手の人差し指で鼻をズッと擦った。いつもの癖なのだろう。
エース:「……おい新米。ここは戦場だぞ。お前、何しにこんな南の果てまで来たんだ?」
新米:「いやぁ、お国のためだの何だのはよく分かんねぇ。オラ、山で熊や鳥コ撃つ『目』だけは自信あんだ。旦那の乗る大きな鳥コの話、聞いてだ。旦那の鉄砲の目になれって言われて、ここさ来ただ」
エース:「へっ、熊撃ちかよ。言っとくがな新米、アメリカの飛行機は熊より何倍も速くて頑丈だ。
後ろの7.7mmなんて豆鉄砲、ビビってゲロ吐かずに握ってられたら褒めてやるよ」
新米:「……ゲロは吐かねぇ。山さ居る親父の鉄砲より、ここの鉄砲、ずっとデカくて強そうだもの」
新米は後ろの座席の7.7mm機銃を見上げて、まるで宝物でも見つけたよう目を輝かせている。
エース︰「こいつが、後ろ…大丈夫か?」
そう呟いたエースの目の前で、新米は何も分かっていないように笑っていた。
だが、戦場はそんな笑顔をいつまでも許してはくれない。
明日は、今日よりずっと近くで敵に会う。
その時、こいつは本当に撃てるのか――。




