第21話 研鑽
────夜の海を
一隻の小さな補給船が静かに近づいてきた。
月明かりだけが波を銀色に照らしている。
玉田は数日間、この基地で過ごしていた。
とうとう迎えが来てしまったらしい。
この間、玉田は新米に写生帖の使い方を教えていた。
「正確に意思疎通できたら、任務が遂行しやすくなるからね。しっかり覚えるんだ!」
新米も一生懸命に学んでいた。
「味方だけではアカン! 敵ともCommunication……取れなきゃあかんな!」
すると…
なぜかチーフの英語講座まで始まった。
珍回答の連発で、皆で笑った数日間だった。
だが、ここは戦場だ。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去る…
島の浜辺では、大発動艇のエンジンが低く唸った。
「よし、行くぞ」
俺の声に、チーフ、九州、新米…
そして玉田が乗り込む。
大発は静かに浜を離れ
黒い海を滑るように補給船へ向かった。
船腹に横付けすると
甲板から縄梯子が降ろされる。
「玉田……今度は弾を食らうなよ」
玉田は少し笑って敬礼した。
「隊長…次は、もう少し戦えるようになって戻ってきます」
「もう十分戦えてるさ……でもな、無理はするなよ」
「了解です…ご武運を」
二人は固く握手を交わした。
「また遊びに来たらえぇわ。二式水戦も見てみたいでな。お前がおらんと、新米が寂しがる」
チーフが肩を叩きながら握手する。
玉田は最後にもう一度、四人を見た。
「……ありがとうございました」
それだけ言って、縄梯子を登っていく。
ふと新米を見ると、俯いたままだった。
「……よし! ドラム缶や!」
チーフの一声で空気が変わる。
甲板から転がされる燃料ドラムを
四人で受け取り
大発へ積み込んでいく。
一本、また一本。
島では何より貴重な命綱だ。
積み終える頃には
大発はずっしりと重くなっていた。
補給船の汽笛が一度だけ鳴る。
別れの合図だった。
「玉田!頑張れよ!」
甲板の玉田が帽子を振る。
「また会いましょう!」
「おう!」
補給船はゆっくりと暗い海へ向きを変える。
玉田の姿は、いつまでも船尾に立ったままだった。
やがて船影は夜の闇へ溶け、灯火だけが小さく揺れながら消えていく。
補給船が闇に消えても
新米はいつまでもその方向を見つめていた。
「……寂しいですって、言えば良かったべかな……」
チーフがその肩に手を置いた時…
ようやく新米は小さくため息をつき
波の音だけが残った。
「……帰るか」
チーフが静かにエンジンを掛けた。
大発は重い燃料を積み
再び島へ向かって走り出す。
「なぁ……新米」
「……なんだべ……」
「玉田少尉はなぁ、ワレが一人前になるんを楽しみにしてるんとちゃうかなぁ。そんなにメソメソしてたら笑われるで」
チーフの言葉に
俺が隣から新米の肩をポンと叩いた。
「チーフの言う通りだ。別れに慣れろとは言わん。だがな、俺たちはこの島で戦う為にここにいる。新米、次に会う時…玉田に何を見せたい?」
新米は少しだけ顔を上げ
濡れたような瞳でエースを見た。
「……腕を、上げたとこだべな」
俺は、その肩をぐっと引き寄せた。
「そうか。じゃあ、下ばっかり見てちゃダメだな。上手くなる!それが、一番の挨拶だろう」
大発が再び波を切り裂き始める。
重くなった船体は
行きよりもずっと力強く海を進んでいく。
新米は深く息を吐き出すと
少しだけ背筋を伸ばした。
夜の海は相変わらず冷たい。
だが…船のエンジンの熱がすぐそばで
確かな温もりとして伝わっていた。
「ここからが、大仕事やで!! 気張りや!」
浜辺に戻ると、チーフと九州、新米は倉庫へ走っていく。
俺は大発のお守り《おもり》だ。
少しすると、九州と新米が
零観を倉庫まで運ぶ
転輪を改造した台座を運んできた。
三人で台座にドラム缶を乗せ
チーフに合図を送る。
巻き上げ機が起動し
少しずつドラム缶が運ばれていく。
「これ、便利だな!」
「これなかったら、浜辺から倉庫まで転がしていくんだべか……死んでしまうべ……」
何往復かして、倉庫にドラム缶が並ぶ。
「ここからが本番やで! よし、回せ」
「ん? 何するんだ?」
「ろ過するんや。このままやったら、エンジンすぐに焼き付くで」
「……!? そうなのか? これ、使えないのか?」
「まぁ、見とき」
チーフの合図で
九州がウィンチのハンドルを回し始める。
錆びついた手回し式のウィンチが
軋んだ音を立てた。
重いドラム缶が
滑車を伝ってゆっくりと吊り上げられていく。
「おい、新米!そっち持て…上がるで!」
チーフが指示を出す。
簡易の架台の上で、ドラム缶がきしんだ。
「もうちょいゆっくり頼むべ。こぼしたら怒られるべ」
「怒られるのは俺らだ」
苦笑しながら、新米が下で漏斗を押さえる。
その横では、チーフが布を何重にも折って口元に当てていた。
「砂、まだ残っとるか?」
「……いったん沈めたけん、上だけ使うたい」
九州がウィンチのハンドルを回し
ドラム缶をさらに持ち上げる。
「ほら、傾けるで。ちゃんと見ときや!」
「大丈夫。こっちも受ける準備はできてるよ」
チーフが缶の口を少しずつ傾ける。
薄い液が、細い筋になって漏斗へ落ちていく。
「……どげな感じです?」
「まあまあやな。けど、前のよりはマシやな」
チーフと九州が燃料を確認している。
「こんなもんでも飛べるんだな」
俺が半ば呆れたように言うと
チーフは鼻で笑った。
「燃料貰えるだけありがたいと思わなアカンやろな。ここじゃ、選り好みしとる余裕はあらへん」
「……でも、こんなに色々混ざってるんだべな。これ、普通に使ったら飛行機壊れてまうんでねぇか?」
「すぐに焼き付くやろうなぁ。せやからこれをせなアカン訳や」
そう言いながら、チーフはまたドラム缶を少し傾ける。
ぽた、ぽた、と燃料が落ちる音だけが響いた。
「砂、結構ありますねえ……」
「布で漉しとる。底まで行かせんかったら大丈夫や」
不思議そうに見ている新米に、九州が話しかける。
「水も混じっとるけん、こればせんといかんとよ」
「水も入って? なんでそったら沢山混じるんだべ?」
九州がドラム缶を指差す。
「こっちのドラム缶、だいぶ錆びとるやろ?腐食もしとるとよ。できるだけ状態のよかドラム缶ば使うて、ろ過してからこっちに移し替えよるっちゃん。精油の設備も、本土みたいに整っとらんけんね。そこは、もう仕方なかとよ」
「んー……大変なんだべな……空を飛ぶのも……。これ……全部やるんだべか??」
「当たり前やろ!! 全部や全部!!朝まで寝かせへんで!!……そや……ボン……いつもそんなセリフ使ってたんやろ??」
ニヤニヤしながらチーフが冗談を言ってくる。
「もう忘れてくださいよ!…ったく……玉田の野郎、変なこと吹き込みやがって……」
「……旦那……ハレンチだべ!!」
「うるせぇ! お前も忘れろ!」
笑い声と油の匂いが満ちていく…
南方の夜は静かに更けていくのであった────
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次回更新は8月1日(土)
13:30頃を予定しております。




