憲兵隊へ
エリスは人気のない暗がりに立ち、そっと声を放った。
「……いるんでしょう? 山で私を助けてくれたのは、あなたね」
沈黙ののち、赤い光が闇に灯る。
人の姿をとった魔族が現れ、静かに片膝をついて一礼した。
「――お呼びに応じました、エリス殿」
その声は低くも穏やかで、どこか格式を帯びている。
「ご無事で何よりでした。あの夜は……僭越ながら手を出させていただきました」
「助かったわ、ありがとう」
横に立つカイは険しい視線を向ける。
「……単刀直入に聞く。ゼルフィアさんは事件に関わってるのか?」
魔族は首を横に振った。
「いいえ。ゼルフィア様は何もご存じありません。ただただ、娘君の身を案じ、私を遣わしたのです」
エリスは少し息を吐き、肩を落とした。
「なるほど、あの人らしいわね。命令とはいえ、人間の警護なんて不服じゃないの?」
「エリス殿はゼルフィア様の血を継ぐお方。お守りするのは当然の務めです」
瞳がわずかに和らぎ、崇敬の光を帯びる。
「前魔王の時代、私のような影の者は真っ先に使い潰され、戦場で命を落としていたでしょう。ですが現魔王ゼルフィア様は、私の力を無駄にせず、生かしてくださった。だからこそ――私はあの方を崇拝しておるのです」
その言葉に偽りはなかった。
そして――娘であるエリスにも、同じ敬意が注がれていることが滲み出ていた。
「私の前ではただの親ばかだけど、それなりに慕われてはいるのね」
エリスは、自分の事でもないのに少し照れくさそうにしていた。
「ええ、それなりに」
魔族とは思えぬ優しい表情だった。
「ですが……私が大きく動けば、“魔王が人間社会に干渉している”と見なされましょう。それではゼルフィア様の立場を危うくしてしまう」
カイが腕を組み、低く呟く。
「だから、直接は動けないってことか」
エリスは唇を引き結んだ。
「……わかってるわよ。あなた達は、今回の事件どこまで掴んでいるの?」
魔族はゆっくりと頷き、丁寧に言葉を紡いだ。
「我ら魔族の中には、“過激派”が存在します。血と炎の時代を望み、人類との和平を裏切ろうとする者たち。
そして、治安維持局の一部は、その過激派と結託しているのです。混乱が広がれば、治安強化を名目に権力を拡大できる。人間の欲と魔族の怨嗟――それが結びついた」
エリスは拳を握りしめる。
「……ルード・サミエル」
「ええ。奴こそ“橋渡し役”にございます。過激派に武器と情報を流し、同時に彼らを利用している。……迎賓館の爆破も、その延長でしょう」
静かな声だったが、隠しようのない敵意が滲んでいた。
エリスは深く息を吐き、真剣な眼差しで答えた。
「……教えてくれてありがとう。必ず無駄にはしない」
魔族は再び一礼し、闇に溶けて姿を消した。
残された二人は短く視線を交わす。
湿った空気の中で、同じ決意が静かに燃え上がっていた。
——憲兵隊本部
分厚い扉を叩く硬い音が、廊下に響いた。
中からの返事を待つことなく、エリスは扉を押し開ける。深くフードを被ったルイがその後に続いた。
「……隊長、少しお時間をいただけますか」
机上の報告書に目を通していたユートナ隊長が顔を上げる。
そこに立つのはエリス――そして、その横にはフードを被った男。
隊長の視線が二人を射抜くように走った。
ルイはためらいなくフードを取る。
黒髪が肩に流れ落ち、その顔が露わになった瞬間――。
ユートナ隊長の表情が凍りつく。
「……ルイ……!?」
ユートナの低い声が執務室を震わせた。
「お前……生きていたのか。いや、それどころか、なぜここにいる?」
剣の柄へと伸びかけた隊長の手を、エリスが慌てて押さえる。
「待ってください、隊長! ルイは犯人じゃありません。事件の真相を掴んだんです」
鋭い視線で二人を交互に見やるユートナ。
しばしの沈黙のあと、重々しい声が落ちた。
「……話せ。言い訳だけでは済まんぞ」
ルイは一歩前に出て、真っ直ぐに隊長を見据える。
「迎賓館爆破の背後には、“帝国治安維持局の監察官補、ルード・サミエルがいます」
室内の空気が凍りついた。
ユートナの目が細くなり、唇が歪む。
「……名指しか。とんでもないことを言うな。奴は局の若手筆頭と目されている人間だぞ。根拠は?」
「奴は魔族過激派と結託している。権限強化のために混乱を起こしているんです。倉庫の小規模爆破事件も、そのための予行演習でした」
ルイの声は静かだが、揺るぎがない。
「魔族と……治安維持局?」
ユートナの眉間の皺がさらに深まる。
「……荒唐無稽だな。だが……有り得んとは言い切れん。局の連中が“平和”を嫌っているのは、俺も知っている」
エリスが続けて言葉を重ねる。
「隊長、私も確認しました。二ヶ月前の倉庫爆破事件、爆薬の成分も起爆方法も迎賓館事件と酷似していたんです。そしてその事件を監督していたのが……ルード・サミエル」
ユートナは黙って二人の顔を見た。
長い沈黙。
「……仮にそれが真実だとして、どうする?」
低く問う声に、ルイが即答する。
「ルードの自宅に踏み込むべきです。奴の中に必ず証拠がある。設計図でも記録でも……何かしらの痕跡が」
「証拠が見つかればいい。だが、もし見つからなかったらどうなるか、わかっているのか?」
ユートナの声が鋭く突き刺さる。
ルイは視線を逸らさずに答えた。
「そのときは……俺を斬ってくれて構いません」
「ルイ!」
エリスが思わず声を荒げる。
「真犯人を放置すれば、また同じことが起きる。……次はもっと大きな惨劇になる」
ルイの言葉には、迷いがなかった。
ユートナは椅子に深く沈み、顔を覆った。
「……馬鹿げた話だ。だが、もし本当なら、放置する訳にはいかん」
しばらく沈黙した後、彼はゆっくりと立ち上がった。
陽光が窓から差し込み、その横顔を照らす。
「……いいだろう。俺が憲兵を動かす。証拠が見つかれば良し。見つからなければ、俺はクビで済まん。ルイ、お前を匿った罪で俺も犯罪者だ」
エリスは震える声で言った。
「隊長……」
「礼は言うな。ヘルミナなら、きっと同じことをしたさ」
ユートナは外套を羽織り、背を向けた。
「誰かが腹を括らねばならん時だ。なら、俺がその役を引き受けよう」
三人は視線を交わし、言葉なく頷く。
―次の目的地は、ルード・サミエルの邸宅。
そこに全ての答えが眠っている。




