容疑者
ルイは深く息を吐き、焚火を見つめた。
「くだらない話だろ。でも……それが俺の誓いだ。ヘルミナさんが命を懸けて守ったこの平和を、何としても守らなきゃならない」
しばしの沈黙。橙の光に照らされたエリスは、真剣にその言葉を受け止めていた。
彼女の胸にも、厳しくも優しかった母の姿がよみがえる。
「……分かったわ」
エリスは静かに頷いた。
「あなたが何を背負っているのか、少しは理解できた気がする。なら――私も最後まで付き合う」
「エリス……」
「何を言っても無駄よ。お尋ね者一人で何ができるの? 私と組んだ方が絶対に効率がいいに決まってるじゃない。それに……」
「……それに?」
ルイが眉をひそめると、エリスはわざと強い口調で畳みかけた。
「アンタ、私を餌にしたこと忘れてないでしょうね! 協力させなかったら、一生恨むわよ!」
その剣幕にルイは思わずたじろぎ、後ずさった。
「わ、わかったよ……」
エリスはくすっと笑い、わざとらしく肩をすくめた。
「分かればいいの」
ルイは真顔を作り直し、焚火を見据える。
「次の一手を考えよう。手がかりはまだ少ないが……必ず尻尾を掴んでやる」
夜風が吹き、火の粉が高く舞い上がった。
「……で、これからどうするつもり?」
エリスが焚火越しに問いかける。
「俺は爆弾を追いかけるよ」
カイは短く答えると、炎を見据えたまま言葉を続けた。
「近衛隊の証拠保管庫に忍び込んでみる。爆発現場の残骸は全部回収されてるはずだからな」
「……出来るの?そんなこと」
エリスの声には、思わず心配がにじんだ。
「まあ、内部の人間だからな」
カイは肩をすくめる。
「多少は手口も知ってる。やってみるよ」
エリスはじっと彼を見つめ、そして深く息を吐いた。
「分かった。でも……気を付けて」
「心配性だな」
カイは苦笑しながらも、真剣な眼差しを返す。
「私は、魔族と接点の有りそうな人間を当たってみるわ。憲兵隊のデータベースを調べたら何かわかるかも知れない」
短い沈黙のあと、二人は視線を交わす。
「……じゃあ、ここで別れるか」
「ええ。また必ず合流しましょう」
二人は背を向け、それぞれの道へと歩き出した。
ーー近衛隊本部
外注の清掃業者がいつものように夜の廊下を行き来していた。
床に灯る魔導灯が淡く光を投げ、壁に掛けられた時計が静かに時を刻む。
ルイはその一団に紛れていた。
胸元に提げた「清掃業者」の身分証を下げ、無言でモップを押す。
電算室の前には衛兵が立っていたが、彼の視線は清掃員たちを素通りさせた。
毎夜、同じ光景を見慣れているからだ。
(よし、疑われてない……)
ルイは自然な足取りで電算室の中へ入る。
電算室の中は静寂に包まれていた。
整然と並んだ机の上に、水晶端末と魔導式の演算機が並んでいる。
ルイは素早くドアを閉め、端末のひとつに腰を下ろした。
電源を入れると、淡い光の紋様が浮かび上がる。
画面には「パスワードを入力せよ」と冷たい文字。
(……頼む、変わっていないでくれ)
かつて近衛隊にいた頃、自分が使っていた暗号。
震える指でキーを叩く。
――数秒の沈黙。
やがて、音を立ててシステムが立ち上がった。
「……通った」
ルイは小さく息を吐いた。
懐から小さな魔導メモリを取り出し、端末に差し込む。
画面に走る文字列。
迎賓館爆破事件の解析データが次々と吸い込まれていく。
「おい、中の清掃はどうだ? 時間かかってないか?」
突然、扉の向こうから兵士の声。
ルイの全身に緊張が走る。
「……あ、はい! 床がちょっと汚れてまして、すぐ終わります!」
咄嗟に清掃員らしい声色で返す。
「そうか。早めにな」
兵士の足音が離れていく。
ルイは汗を拭い、画面に目をやった。
――進行度、98%。
歯を食いしばり、じっとバーが満ちるのを待つ。
やがて「転送完了」の文字。
ルイは素早くメモリを抜き取り、袖に隠した。
モップを持ち直し、あたかも何事もなかったかのように電算室を出る。
衛兵がちらりと視線を寄こすが、ルイは無言で軽く頭を下げ、そのまま清掃員の列に戻った。
外に出た瞬間、胸の奥から重い息が漏れる。
「……間に合った」
懐には、事件の真相へ繋がる膨大なデータが眠っている。
「これを教授に見せれば……必ず尻尾を掴める」
夜風に吹かれながら、ルイは闇に溶けるように歩き去った。
ーーハンス教授邸
ハンス・オットー教授は電算機の画面に食い入るように顔を寄せていた。
分厚い眼鏡の奥で、瞳がぎらぎらと輝いている。
「なるほど……これが帝国の歴史に名を遺す爆弾ということだな」
まるで宝石を見つけた子供のように、ハンスの声は弾んでいた。
「確かに、事件の大きさを考えればそうでしょうね」
ルイは腕を組み、落ち着いた声で返す。だが心中では、(なるほど、教授がクビになるわけだ)と苦笑していた。
「それで――お前さんはこの爆弾をどう見る?」
ハンスは椅子をぎしりと揺らし、今にも講義を始める教師のように問いかける。
その顔は楽しげで、どこか誇らしげでもあった。
(急いでいるんだが……教授の機嫌を損ねると、余計に面倒だ)
そう思いつつも、ルイは真剣に答えた。
「……遠隔起爆式ですね。ただ、この装置だと、そこまで長距離は無理だ。せいぜい五十メートルが限界でしょう」
「そうじゃな。まあ、そんなものじゃろうな。それから?」
ハンスの口調は、正解を待ち構える教師そのものだった。
「……前、教授に教わった淡い蒼色の魔将石が使われてますね。いや、ただの原石じゃない……何か特殊な加工がされているような」
「その通りだ。純粋な魔将石なんぞ、今では市場に出回らん。だが少量なら“記念品”の素材として使われることがある」
「あっ……!」
ルイは思わず自分の胸元に視線を落とした。
そこには、士官学校爆発物処理科の卒業記念ペンダントが蒼く光を反射していた。
「そういう事だ」
ハンスは指を突きつけ、にやりと笑った。
「犯人は――士官学校の爆発物処理科の出身者だよ」
「さすがです、教授!」
ルイは深く頷く。
「ふん、褒めても腹は膨れんぞ。――だがな、ルイ。お前はまだ一つ、重要なことを見落としておる」
「重要なこと?」
ルイは眉をひそめた。
教授は机を叩き、身を乗り出す。
「この爆弾の設計は――わしの講義でしか扱っていない! この古い設計を講義できるのは、この帝国でわししかおらんのだ!」
「す、すみません教授……!」
ルイは背筋を伸ばして頭を下げる。
「まったく……」
ハンスはふんと鼻を鳴らした。
「わしが教えた五年間で、一番のロクデナシはお前だよ、ルイ」
だがその声には、どこか楽しげな色が混じっていた。
ーー憲兵隊資料室
分厚い扉をくぐると、ひんやりとした空気と紙の匂いが迎える。
昼間は憲兵たちで賑わうこの部屋も、夜になれば人影は少なく、端末の魔導灯だけが淡く輝いていた。
夜更けの静寂を破るように、魔導通信器の水晶球が淡く光を帯びた。
エリスはすぐに受話器を取り、耳に押し当てる。
「……ルイ?」
『ああ、俺だ。少し掴んだことがある。爆弾の設計だが――犯人は士官学校の爆発物処理科の出身者だ』
「士官学校……?」
エリスは思わず声を潜める。
「士官学校爆発物処理科を卒業して、治安維持局にいる人間を調べてくれ」
「わかったわ」
通話はそこで切れ、水晶球はただの無色透明に戻った。
エリスは深く息を吐き、散らかった資料の束へと手を伸ばす。
新聞の切り抜き、取り調べ記録、関係者の動向報告――。
指先でページをめくるたびに、淡い光が紙面に走り、沈黙だけが空間を支配していた。
彼女が洗い出していたのは、ここ数年の“治安維持局が関わった魔族案件”。
(これだけ大きな爆破事件……ぶっつけ本番のはずがない。きっと、その前にリハーサルがあったはず)
そう考え、似た手口の事件を探し続けていた。
やがて、ある記録が目に留まる。
「……これね」
二ヶ月前に起きた、小規模な倉庫爆破事件。
死傷者は出ず、犯人は「魔族の小グループ」と断定され即日処刑。
だが――記録を読み込むうちに、エリスの眉間に皺が寄る。
「起爆方法……同じだわ。遠隔起爆式。そして使われた爆薬の成分も……迎賓館事件と酷似してる」
さらに付随資料に目を走らせる。
倉庫の爆破に使われた金属片の一部に、微量の“魔将石”が混じっていたという記述。
この石は、ルイが言っていた爆弾に使われていたもの――。
「……誰かが小規模で実験して、それから迎賓館事件に踏み切った」
そして資料の末尾。
署名を目にした瞬間、エリスの呼吸が止まる。
(……この名前……)
心臓が強く跳ね、握った資料が小さく震えた。
士官学校の爆発物処理科――そして現在は治安維持局。
すべてが、ルイの言葉と重なっていく。
エリスは資料を胸に抱え込み、目を閉じて深く息を吐いた。
「……逃がさない」
橙色の魔導灯が揺れる中、その決意だけが鋭く燃えていた。
ーーハンス教授邸
帝都郊外の一角。苔むした石垣と蔦に覆われた古びた屋敷が、森の中にひっそりと建っていた。
その書斎には、分厚い軍事書や化学書、錆びた爆薬模型が所狭しと積まれ、天井近くまで届く本棚が闇を圧していた。
机の上には電算機と、ルイの盗み出した証拠データが広げられている。
そのとき――。
扉を叩く小さな音。
「ルイ、私よ」
弾かれるように立ち上がり、扉を開けると、そこにはエリスの姿があった。
「……無事だったのね」
「そっちこそ」
二人は短く言葉を交わし、散らかった書斎の机を挟んで向き合った。
エリスは抱えていた分厚い資料束を机に置き、低く告げる。
「調べてきたわ。二ヶ月前、小規模な倉庫爆破事件があった。死傷者はなし、犯人は“魔族の小グループ”とされて即日処刑」
彼女の指が資料の行をなぞる。
「起爆方式は遠隔式。そして使われた爆薬の成分、迎賓館の事件と酷似していた」
「……つまり、リハーサルってわけか」
ルイの声が低くなる。
「さらに、この記録の末尾に署名があった」
エリスの指が紙面を叩く。
「――帝国治安維持局の人間。しかも、士官学校の爆発物処理科出身者」
ルイの目が鋭く光り、名簿をめくる。やがて、一枚の顔写真にたどり着いた。
「……やっぱりいたか。爆発物処理科・第九十期――」
映し出された写真の男は、冷徹な眼差しをこちらに突き刺してくるようだった。
ルイは声をかすかに震わせ、その名を吐き出す。
「……ルード・サミエル」




