3人の誓い
外の森に残っていた魔族が、最後の悲鳴をあげて崩れ落ちた。
エリスは荒い息を吐きながら剣を振り抜き、返り血を振り払う。
体の芯まで疲労が染み込んでいたが、それでも背筋を伸ばし、辺りを睨み回した。
……もう、動く影はない。
静寂が戻った森の中、蝋燭の明かりが漏れる小屋の扉が軋んで開いた。
「エリス……」
顔を覗かせたルイの額には汗が滲み、頬には切り傷が走っていた。
それでも彼は、いつもの調子を崩さぬよう薄く笑みを浮かべる。
「……無事だったのね」
エリスは剣を下ろし、ようやく肩の力を抜いた。
ルイは小さく頷き、外へ歩み出る。
地面には斃れた魔族の影がいくつも転がっている。呻き声を上げて動けぬ者もいた。
「生き残りがいる。話を聞けるかもしれない」
ルイはエリスと共に魔族に近づいた。
倒れていた魔族の一体が、血に濡れた顔をゆっくりと上げる。
その瞳は赤く濁り、どこか狂気に似た光を宿していた。
「……聞いて……も……」
かすかな声が、喉の奥から漏れる。
ルイが身を屈めた、その瞬間―
魔族は自らの胸に爪を突き立てた。
「っ!?」
硬質な音とともに、胸郭の奥で青白い光が砕け散る。
―魔核。
次の瞬間、全身が内側から焼けるように光を放ち、灰へと崩れ落ちていった。
煙と焦げた匂いだけがその場に残る。
「……自分で……核を……」
エリスの声が震えた。
ルイは眉をひそめ、足元の灰を踏みしめる。
「尋問不能……か。誰かに仕込まれてるな。口を割る前に、自壊するように」
「じゃあ……何も得られなかったって事?」
エリスは唇を噛んだ。
「いや、そうでもない。場所を変えよう」
森の外れに移動した二人は、小さな焚火を起こして腰を下ろした。
ぱちぱちと薪の爆ぜる音が、夜の静けさにやけに大きく響く。
橙色の火が闇を押し返し、二人の顔に影を描いた。
戦闘の余韻はまだ消えていない。荒い呼吸はようやく落ち着いてきたが、体の奥に残る緊張は抜けきらず、二人はしばらく言葉を失って火を見つめていた。
「……ここなら少しは落ち着いて話せる」
先に口を開いたのはルイだった。火に手をかざし、低く呟く。
「それで、何を掴んだの?」
エリスの声は疲労を帯びていたが、その瞳の奥には強い光が宿っていた。彼女は小さく息を吐き、身を前に乗り出す。
ルイは目を閉じ、頭の中で戦闘や調査の記憶を整理しながら、一つひとつ言葉を紡いでいく。
「まず……襲ってきた魔族たち。あの数の魔族がこの国で活動するなんて、誰か人間の中に協力者がいなけりゃ不可能だ」
焚火の光を見つめたまま、エリスは長く息を吐いた。
「そうね。証拠といい、逮捕といい……たった二日。手際がよすぎるもの」
彼女は鞄から紙片を取り出し、火の明かりにかざした。そこには押収品の写しが並んでいる。
「あなたの自宅から押収された証拠品を見たわ。犯行計画には、実行犯しか知りえないことまで書かれていた。爆薬の成分も、犯行に使われたものと完全に一致していた」
ルイは眉をひそめ、深く頷いた。
「なるほど、最初から俺を犯人に仕立て上げるための筋書きが用意されていたってことだな」
小さく火が爆ぜる。ルイはふっと口角を上げる。
「ハンス教授に会ってきたよ」
「ハンス教授って……あの?」
エリスの目が見開かれる。
「そう。エリスは警務科だったから面識ないよな」
「ええ。変わり者で、教官をクビになったって聞いた。よく協力してくれたわね」
「まあ……“蛇の道は蛇”ってところかな」
ルイは肩をすくめると、少し声を落とした。
「今回使われていた爆弾には珍しい触媒が使われていた。魔将石と言って、魔力と爆風の指向性をとんでもなく高めるものだ。人魔大戦の時によく使われていたらしい。でも、魔将石は貴重なうえに安価な代替品が登場して、現在ではほとんど使われていない」
その言葉に、エリスは焚火の炎を見つめたまま固まった。
「魔族と繋がりがあり、昔の爆弾に精通した人間…………」
ルイは目を細め、さらに続けた。
「あと1つ。黒衣の男の腕に、鷲の入れ墨があった」
「……! 鷲の入れ墨って……」
エリスの声が震えた。
「そう。帝国治安維持局の人間だよ」
ルイの答えに、焚火の大きく弾けた音が重なった。
エリスはしばし黙り込み、やがて低く呟いた。
「少し話が見えてきたわね。ここまで分かったなら、あなたの無実も証明できるはずよ。私と一緒に投降しましょ」
ルイは目を細め、首を横に振る。
「いや、それはできない」
「まだ、そんなこと言ってるの?」
エリスは声を強め、拳を握りしめた。
「まだ状況証拠だけだ。何かしらの決定的証拠をみつけないと」
「でも……」
エリスの声が、焚火の音にかき消されそうになる。
「真犯人が分からない以上、まだ爆破事件が起こる可能性がある。どうしても、それだけは阻止しなければならない」
その必死さに、エリスの胸が締めつけられる。
「どうしてそこまで……誓いって、何なの?」
ルイは、エリスの問いにすぐ答えず、焚火を見つめた。
火の粉がぱちぱちと弾け、そのたびに影が顔に揺れる。
「俺たちが十歳の頃、ヘルミナさんが足に怪我をしたろ」
「ええ、後遺症が残って……それで軍をやめた」
エリスは小さく頷き、炎に照らされた横顔を曇らせた。
「あれは俺たちのせいなんだ」
ルイは苦い記憶を噛みしめるように、拳を握った。
「でも、あれは訓練中の事故って……」
エリスが反論めいた声をあげる。だが、その瞳には揺らぎがあった。
ルイは苦い笑みを浮かべ、ゆっくりと言葉を続ける。
「戦争終結十周年、ヘルミナさんの三十歳、そして俺たちも十歳。いろいろ重なってたからさ、特別なものを贈ろうって話になったんだ。それなら、ヘルミナさんの好きなアイビスの花を――ってな」
焚火がぱちりと爆ぜ、二人の影が揺れる。
「でも、高くて買えるような代物じゃなかった。だったら自分たちで取りに行こう、ってなったんだ。けど……アイビスの花は立ち入り禁止の山にしか咲いてなくてな」
ルイは小さく息を吐いた。
「……どうしても、欲しかったんだ」
エリスは息を呑む。
「まさか、あの山に……?」
「そう。危険だって分かってたのに、俺とアルベルトは行こうとした。ガキの浅知恵だよな」
ルイは焚火を見つめたまま、低く言葉を重ねる。夜風が吹き抜け、火の粉が舞い上がる。
その橙の光とともに、ルイの意識は十五年前へと遡っていった――。
――十五年前、夏の午後
まだ幼いルイとアルベルトは、埃だらけの地図を広げて顔を突き合わせていた。
「なあ、アルベルト。本当に行くのか?」
ルイは声を潜め、落ち着かない様子で辺りを見回した。
アルベルトは眼鏡を直し、気弱そうな顔で地図を指差す。
「……行くしかないだろ。ヘルミナさんの三十歳の誕生日だよ?ルイも昨日はノリノリだったじゃないか」
「そりゃあ、そうだけど……」
ルイは拳を握りしめた。
「でも、その花って……立ち入り禁止の山に咲いてるんだろ? 捕まったらタダじゃ済まないぞ」
「分かってるさ」
アルベルトは唇を噛み、けれども決意を宿した瞳で続けた。
「でも、それでも取りに行きたい。だって……ヘルミナさん、いつも俺たちのことを一番に考えてくれてるじゃないか。だから今度は、俺たちが贈りたいんだ」
その真っ直ぐな言葉に、ルイは思わず黙り込む。
胸の奥が熱くなり、やがて大きく息を吐いた。
「……分かった。行こう」
ルイは笑い、握り拳を差し出す。
「俺たちで、ヘルミナさんに花を届けよう」
アルベルトもおずおずと拳を合わせた。
二人の胸は、不安よりも冒険心と使命感でいっぱいだった。
断崖の縁に揺れる赤紫の花弁を見つけた瞬間、ルイとアルベルトの目は輝いた。
岩陰にひっそりと咲くアイビスは、炎のような光を帯び、風に合わせて小さく揺れていた。
その姿は、二人の幼い心にとってまるで「勇者への勲章」のように思えた。
「……あれだ! あの花を贈ろう!」
ルイの声は弾んでいた。
「ヘルミナさん、きっと喜んでくれる!」
アルベルトも同じように胸を高鳴らせ、前のめりに駆け出す。
まだ十歳の子供には、その一歩がどれほど危険かなど考える余裕はなかった。
訓練で山を走り回っていた経験がある、という自負が、無謀を正当化していた。
二人は夢中で崖の縁へと駆け寄る。だが、その足元が突然崩れた。
―がらり。
「うわっ!?」
悲鳴と共に、ルイとアルベルトの身体が虚空へ投げ出される。
「ルイ、アルベルト!」
追ってきたヘルミナが叫び、手を伸ばした。
彼女は寸前で二人の腕を掴む。だが、その衝撃でバランスを失い、自らも崖下へと引きずり込まれた。
三人の身体が宙を舞い、谷底の岩場へと落ちていく。
「〈守護結界〉ッ!!」
ヘルミナが咄嗟に詠唱し、光の障壁が三人を包み込んだ。
衝撃が結界に吸収され、岩場に叩きつけられる直前で力が拡散する。
ドンッ、と鈍い音を立てて結界ごと転がり、やがて木々の合間に止まった。
「……はぁ、はぁ……生きてる……?」
ルイが目を開け、隣のアルベルトの無事を確かめる。
「だ、大丈夫……」
二人は擦り傷程度で済んでいた。
だが――。
「っ……くぅ……!」
短い呻きが耳に届く。振り返れば、ヘルミナが片膝をついていた。
無理に結界を展開した反動か、着地の衝撃か、右足が不自然に曲がり、血がにじんでいる。
「ヘルミナさん!」
二人は慌てて駆け寄る。
ヘルミナは額に汗を浮かべ、しかし微笑もうとした。
「……無事で、よかった。それだけで……私は……」
彼女は気を失った。
それからはあまり記憶がなかった。気が付けば病院にいた。
白い壁と消毒液の匂い。
病院の窓から差し込む光の下、ベッドに横たわるヘルミナは穏やかな笑みを浮かべていた。
だがその脚は厚く包帯に覆われ、痛々しく固定されている。
ベッドの脇に座り込む二人の少年――ルイとアルベルトは、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「ごめん、ごめんヘルミナさん……俺たちが花なんて……!」
「僕のせいだ……無茶を言って、君を巻き込んだ……!」
言葉を重ねるほどに涙があふれ、嗚咽で声が途切れる。
ルイもアルベルトも、あの日、山奥の断崖で花を摘もうとした。
「ヘルミナに贈るために」。
けれど足を滑らせ、落ちかけた自分たちを救ったのはヘルミナだった。
その代償として、彼女は足を失いかけたのだ。
それなのに―
「二人とも、泣かないで」
ヘルミナの声は優しかった。
痛みを押し隠し、彼女は震える手で二人の頭を撫でる。
「私は生きてる。こうしてみんなと一緒にいる。それだけで十分なの」
「……でも!」
「でもじゃないの、ルイ」
彼女は笑った。
「これからはあなた達がこの国を守っていくの。だから―」
言葉はそこで途切れる。
ルイの視界は涙ににじみ、ただ「笑顔のヘルミナ」だけが残った。




