容疑者 ルイ・ハーシェル
ーー帝都・街頭の魔導映像板
大通りに設置された魔導映像板が、夜空に淡い光を投げていた。
報道官の張り詰めた声が、通りを行き交う人々の耳に突き刺さる。
『速報です。迎賓館で発生した爆破事件について――魔族側、人間側双方に数名の死者。負傷者は十数名、いずれも軽傷とのこと。犯人の目的は依然不明で、犯行声明なども確認されておりません』
人々のざわめきが広がる。
「怖いわね」
「和平に反対する連中の仕業か……?」
通りには不安の声が飛び交い、憲兵の巡回も増えていた。
事件は、ただの爆破ではなく、人間と魔族の均衡を揺るがしかねない“火種”として街全体に影を落としていた。
ーー近衛隊の隊舎、作戦室。
机の上には迎賓館から回収された瓦礫や金属片が並べられている。
溶けかけた金属、焦げた木片、奇妙な光沢を帯びた粉末……どれもが事件の痕跡であり、何かを物語っていた。
「なんだろ、この金属? 珍しい色をしてる。ルイ、ちょっと見てくれ」
一人の同僚が、小瓶に入れられた破片を掲げる。
ルイは手に取り、光にかざした。
黒ずんだ表面の下から淡い蒼色の筋が覗く。見慣れない輝きだった。
「確かに……何かの触媒かもしれないな。珍しいもんだ。ラボに回しといてくれ」
「こいつが起爆装置の残骸か」
別の隊士が、複雑にねじれた金属塊を指差す。焦げた導線と砕けた水晶片が入り混じっていた。
「ここまで焼けてると……仕組みを読み解くのも骨が折れるな」
同僚たちの声は自然と険しさを帯びていた。作戦室全体に、張り詰めた空気が漂う。
ルイは資料をひとつひとつ確認しながら、目を細める。
少しの見落としも許されないという思いが、彼の表情に真剣さを刻んでいた。
「爆弾事件の犯人は、自分の犯行だと分かるように何かを仕込むことがある。でも、この設計はどこかで見た気が……」
空気は重い。
その時。
ドンッ!
扉が乱暴に開けられ、黒靴の群れが踏み込んできた。
「近衛隊所属、ルイ・ハーシェル!」
冷徹な声が響き渡る。憲兵隊の兵士たちが剣を抜き放ち、一斉にルイを取り囲んだ。
「迎賓館爆破事件の容疑により、身柄を拘束する!」
「なっ……!? ふざけるな!」
同僚たちが立ち上がり、声を荒らげる。
だが憲兵の隊長は表情ひとつ動かさず、冷たく言い放った。
「庇い立てするなら、共犯として処理するだけだ」
剣先が一斉にルイへ向けられる。
「おいおい、どんな証拠があって逮捕なんだよ俺は」
ルイは肩をすくめた。
「現場で押収したお前の制服から起爆装置が発見された」
「なっ……バカな!」
(あのもみ合った時か……くそっ!)
自分の間抜けさに辟易しつつ、ルイは両手を上げた。
「はいはい……わかったよ。従うさ」
兵士の一人が近づき、手錠を取り出す。
ルイは、憲兵に従うふりをしながらタイミングを見計らっていた。
(……あの腰の閃光弾……!)
「すまない、そこの上着を取ってくれないか?今日は、少し肌寒い」
憲兵が視線を外したその時、ルイは兵士に体をぶつけるように倒れ込み、憲兵の腰の閃光弾をつかんだ。
「ちょっと借りるぜ!」
次の瞬間――。
閃光!
白い光と轟音が室内を満たし、憲兵たちが一斉に目を押さえた。
「ぐっ……!」
「視界がっ……!」
ルイはその隙に机を蹴倒し、部屋の奥の窓へ駆け寄る。
「悪いな! 食事前なんで、後にしてくれ!」
二階の窓ガラスを蹴り破り、一気に空中にその身を躍らせた。
落下の衝撃を肩から転がって殺すと、そのまま裏路地へ走り出す。
背後から怒号が飛ぶ。
「逃げたぞ! 二階から飛び降りた!」
「追え!」
帝都に、憲兵の追撃の足音が響き渡った。
「はぁっ……ったく……一体どうなってるんだ……!」
肺が焼けるように痛い。だが立ち止まれば終わる。
背後から怒号。
「逃がすな!」
「取り押さえろ!」
憲兵の足音が迫る。ルイは必死に石畳を蹴り、前へと走る。
飛び込んだのは人で賑わう昼の市場だった。
並ぶ台車、果物を抱えた人々、香辛料の匂い……全てが障害物に見える。
「どいてくれぇっ!」
ルイは果物の山にぶつかり、リンゴが石畳を転がった。
「きゃあっ!」
「なんだっ!」
憲兵が足を取られて次々と転ぶ。
ルイは汗を滴らせながら必死に走る。
「はぁっ……はぁっ……足が……もたねぇ……!」
細い路地に飛び込み、吊るされた洗濯物のロープを引きちぎる。
真っ白な布が落ち、追手の視界を塞ぐ。
「見えん! 捕まえろ!」
頭上の鳩小屋を蹴飛ばし、羽音が一斉に響く。
鳥の群れが宙を乱し、兵士たちの動きが止まった。
ルイは自分の荒い呼吸を抑える暇もなく、ただ前へ走り続ける。
必死の逃走を続けたルイは、やがて川沿いの石畳へと追い詰められていた。
背後から迫る憲兵の怒号と、剣を叩きつけるような金属音。
「……っ、もう道が……!」
振り返れば十数人の憲兵が槍を構えて進んでくる。
「観念しろ、ルイ!」
「抵抗は無駄だ!」
肩で荒い呼吸を繰り返しながら、ルイは足元の濁流を見下ろした。
太陽の光を受けて、波が白く砕けている。
(やるしかないか…………)
憲兵たちが間合いを詰めてくる。
汗で滑る掌を握り直し、ルイは息を呑んだ。
「――悪ぃな」
一歩、後ろへ。
次の瞬間、彼は迷わず身を投げた。
轟音を立てて、ルイの体は川面に消えた。
「落ちたぞ!」
「川を追え!」
憲兵たちが一斉に川岸を走るが、流れの速さに視界は翻弄される。
濁流に呑まれながらも、ルイは必死に水を掻いた。
「……がはっ……まだ……まだ捕まるわけにゃ……いかねぇ!」
水の冷たさで肺が悲鳴をあげる。それでも彼は流れに身を任せ、視界から消えていった。
ーー迎賓館跡地
崩れた壁の隙間から吹き込む風は冷たく、時間がたってもなお煤と血の臭いが辺りを覆っていた。
エリスは現場の片隅に立ち、黒く焦げた石壁を見上げていた。胸の奥に、重石を抱えたような感覚が沈む。
「……外部から侵入した痕跡は、やはりなしだ」
副官が低く報告する。
「門も塀も破られた形跡はありません。見張りも突破された様子はゼロです」
別の隊員が瓦礫を踏みしめながら加えた。
「魔導痕の反応もなし。外から魔術で壁を破った跡も見つかりません」
エリスは眉を寄せた。
「つまり……犯人は、あの場にいた誰か……」
声に出した瞬間、周囲の隊員たちが互いに視線を交わす。兵士も貴族も、招かれていた魔族の高官すらも、全員が疑いの対象となる。背筋に冷たいものが走った。
その時、瓦礫を飛び越える足音。
血相を変えた伝令が駆け寄ってくる。
「エリス隊士! 容疑者が特定されたとのことです!」
「特定……?」
エリスの心臓が跳ねた。あまりにも早すぎる。まだ調べるべきことは山ほど残っているはずだ。
伝令は一瞬、言葉を詰まらせたが、やがて絞り出すように告げた。
「容疑者は……近衛兵ルイ・ハーシェル、と」
耳を疑った。
「……なっ、何を……」
思わず声が裏返る。だが伝令の瞳は真剣そのもので、冗談ではないことを示していた。
「彼がどれだけ人を助けたか、この目で見たんです! あの人が犯人なはずない!」
エリスは拳を握りしめ、声を荒げた。
だが魔導通信機で呼び出したルイは応答せず、虚しく呼び出し音だけが続いた。
ーー憲兵隊本部
静まり返った廊下に、エリスの足音だけが響いた。仲間の兵たちは一瞬視線を投げたが、そのあまりの剣幕に誰も声をかける事が出来なかった。
勢いよく扉を押し開ける。
「隊長! 一体どういうことですか!」
机の上には例の通達。ユートナ隊長は額を押さえていた。
「……君も聞いたな。ルイが容疑者に浮上した」
「なぜです!? 彼は人を救ったんです。誰より必死に! 犯人なわけがありません!」
ユートナは深く息を吐き、眉間に皺を刻んだ。
「わかっている。俺も、あの子を小さい頃から見てきたんだ。だが……これは総監部直々の指示だ」
「総監部……どうして」
「帝国の要人と魔族高官が同時に暗殺された。俺たちの手の届かないところで、何かが動いている」
エリスの拳が震える。
「だからといって……ルイが疑われるなんて」
「無念だが、命令には逆らえん」
しばし沈黙した後、ユートナは低く続けた。
「……だがな、俺はお前と同じ気持ちだ。ルイがそんなことをするはずがない。信じたい」
「私も信じています」
震える声で言い切ったその瞬間、伝令が飛び込んできた。
「ルイが逃走しました! 追跡をまいて、現在行方不明です!」
二人の声が重なった。
「なっ――」
エリスは息を詰め、すぐに覚悟を固める。
「隊長、私は行きます」
ユートナは苦しげに目を伏せた。
「……憲兵隊として動くことは許されない。だが、俺はお前を止めない」
エリスは敬礼し、静かに言った。
「――エリス・フェルナー、しばらく休暇をいただきます」
ユートナは小さく頷き、白髪の混じる顔を曇らせながら言葉を添えた。
「気を付けろ。お前に何かあれば……俺はヘルミナに顔向けできん」
その声に、エリスはさらに決意を深めた。
―必ず真相を突き止める、と。




