迎賓館爆破事件
ーー終戦二十五周年記念式典会場・帝国迎賓館
帝国迎賓館の大広間は、まさに絢爛の極みだった。高々と吊るされたシャンデリアは宝石のような光を放ち、磨き上げられた床は人々の影を映し出す。壁に飾られた大きな絵画と赤い絨毯が、場の荘厳さを際立たせていた。
人の波は絶えることなく、貴族、軍人、魔族の要人が杯を傾け、言葉を交わしている。笑い声と弦楽の調べが交錯し、芳醇な料理の香りが辺りを満たしていた。
その中で、エリス・フェルナーはひどく居心地の悪さを覚えていた。
慣れないドレスは動きにくく、半魔という出自を知る者の視線が突き刺さる。だが彼女は背筋を伸ばし、毅然と立っていた。憲兵隊士としての誇りが、それだけは崩させなかった。
「……やっぱり場違いね、私」
小さく吐き出した言葉に、隣から即座に返答があった。
「場違い?むしろ今日の主役じゃないか。美しき女性剣士。剣術大会最優秀選手」
ワイングラスを軽く回しながら、アルベルトが穏やかに微笑む。
「君が此処にいることに、異を唱える者などいないさ。むしろ皆、君に見惚れているよ」
「少し酔ってるんじゃない?」
「そんな事はないさ。少なくとも、僕はそう思ってる」
エリスは頬をわずかに紅潮させ、視線を逸らす。
「……口が上手いわね。昔の頃から変わらない」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
アルベルトは微笑を絶やさないまま、周囲を見渡す。やがて彼はさりげなく手を差し出し、エリスを促した。
「テラスに出ないかい?中だとなかなか落ち着いて話が出来ないだろ」
「……そうね、少し風に当たりたいし」
「じゃあ、行こうか。ところで、お父上とは連絡とってるのかい?」
「とってるも何も毎日よ。母さんが亡くなってからは、特に酷いわよ。魔族のクセに親バカなのよ。魔王って暇なのかしら」
「はは、ゼルフィアさんらしいね。昔のままだ」
軽い会話をしながら、迷いなく人の波をすり抜ける。エリスはその違和感を感じることなく、ただ少し救われた気持ちで、彼の後を追った。
一方その頃。
迎賓館の外回りに配置されたルイは、外壁の外で寒さに震えていた。
「……ぶるるっ。春って言っても、夜はまだ冷えるんだよなぁ。しかし、迎賓館ってのはでっかいな。庭だけで百メートルぐらいはありそうだ」
春の夜気はまだ冷たく、吐く息が白く溶けていく。
外壁の内側には、手入れの行き届いた植物や噴水が広がっている。ルイは、外壁の外と中での落差を感じていた。支給された戦闘糧食の硬いパンをかじり、迎賓館の窓に漏れる光を眺めていた。
「……いいよなぁ、中はきっとステーキとかケーキとか……。こっちは冷えたパンの石板だっての」
冗談めかしてつぶやいた声は夜風にかき消され、庭園の花々がかすかに揺れるだけだった。
彼は想像した。慣れないドレスで不器用に背筋を伸ばすエリスと、それを横で軽口を叩いて和らげるアルベルト。煌びやかなシャンデリアの下で、杯を掲げる二人の姿。
自分はその光景の外に立ち、冷たい糧食を噛み砕く。胃袋は満ちても、胸の奥に羨望が残った。
――その瞬間。
轟音が夜空を引き裂いた。
鼓膜を叩く衝撃波と共に、迎賓館の窓が一瞬青味がかった光りを放ちその後、一気に赤く爆ぜた。硝煙と炎の臭いが一気に風に乗って広がった。
シャンデリアの影が砕け散り、金属の破片が雨のように散乱する。
遅れて悲鳴が湧き上がり、庭園の白い花弁が吹き飛ばされて宙を舞った。
「な……爆発!?」
糧食を放り捨て、ルイは全力で駆け出した。石畳を蹴り、喉に焼けるような冷気を吸い込みながら迎賓館へ。
頭に浮かぶのはただ二人の顔――エリス、アルベルト。
だが、庭の暗がりから突如として黒い影が飛び出した。
「邪魔だ……!」
短い声と共に、体当たりの衝撃がルイの胸を打つ。息が詰まり、視界が揺れる。
石畳に叩きつけられ、背に鋭い痛みが走った。
「ぐっ……!」
黒衣はそのまま覆いかぶさるようにのしかかり、二人は地面を転がった。
腕が絡み、拳と肘が交錯する。靴音と荒い息が夜に響き渡った。
「何者だ!」
ルイは必死に問いかけるが、返ってくるのは短い唸り声だけだった。
黒衣はもがく中で、巧みに腰袋へ手を伸ばす。押さえ込んでいるはずの体勢で――小さな布袋をルイの装備の陰へと滑り込ませた。
その瞬間、ルイは気づかない。
「ぐあっ……!」
黒衣の肘が脇腹に深くめり込み、呼吸が止まる。
力が抜けた隙に相手は跳ね起き、影のように闇へと駆け去った。
「待てっ……くそ……逃げられた……!」
荒く息を吐きながら、ルイは立ち上がる。
遠くで再び悲鳴が重なり、迎賓館の窓から赤い炎が揺らめいている。
「エリス……アルベルト……!」
唇を噛み、痛む脇腹を押さえながら、ルイは再び館へと駆け出した。
豪奢な大広間を埋め尽くしていた笑顔と楽音は、一瞬にして爆炎と悲鳴に飲み込まれた。
天井から落下した巨大なシャンデリアは粉々に砕け、無数の破片が雨のように降り注ぐ。
赤い絨毯は血と煙で黒く汚れ、煌めく舞踏の場は地獄と化していた。
「――っ!」
爆風に煽られた、テラスのガラス戸が吹き飛んだ。
外にいたエリスは髪を乱しながらも、すぐさま身を翻して周囲を確認した。
耳は焼けるような轟音でまだ痺れていたが、その目だけは鋭く周囲を捉えていた。
視線の先に立ち尽くす青年の姿。
「アルベルト!」
彼女は叫ぶや否や、咄嗟に彼の前へ躍り出る。
煙と炎が広がる中、剣を半ば抜きかけ、護る姿勢を取った。
「アルベルト、こっちへ!」
短く鋭い声。
アルベルトは一瞬呆然としながらも、我に返って彼女を見る。
「大丈夫だ、僕は無事だ。……君も怪我はないか?」
その声は震えていたが、瞳には必死の冷静さが宿っていた。
「ええ」
エリスは短く答えながらも、足音と叫びの渦の中で次の行動を探していた。
血を流す貴族、逃げ惑う侍従、兵たちの怒号。
すべてが混ざり合い、混乱を極めていた。
次の瞬間――アルベルトは震える唇を引き結び、顔を上げた。
「負傷者を優先しろ!」
鋭く、会場全体に響く声。
一瞬、兵たちも群衆も動きを止めた。
煙と悲鳴の中で、その言葉だけが鮮やかに通る。
「火が広がる前に消火を急げ! 外へ逃げ道を確保しろ!」
怒号にも似たその命令に、兵たちが一斉に我を取り戻した。
混乱の中で散り散りだった部隊が、すぐに連携を取り戻して動き出す。
倒れた者を運び出す者、破片を蹴散らしながら消火に走る者。
貴族たちの怯えた声、煙を裂く命令の声。
その中心に立つアルベルトの姿は、炎に照らされながらも毅然としていた。
――混乱の渦を押しとどめられるのは、やはり彼だからだった。
そこへ、血と煤にまみれたルイが駆け込んできた。
「エリス! アルベルト! 無事か!?」
その声に、エリスの胸は一瞬ほどけた。
「ルイ! 無事だったのね!」
炎と煙の渦中、エリスは思わず駆け寄り、その手を強く掴んだ。
「はぁ……っ、なんとか、な……」
脇腹を押さえながらも、ルイは煤だらけの顔で笑ってみせる。
「お前こそ……怪我は?」
「私は大丈夫よ!」
エリスは力強く答え、すぐにアルベルトを振り向いた。
「アルベルトも……!」
「ああ、問題ない。……来てくれて助かった、ルイ」
アルベルトの声にはわずかな震えがあったが、すぐに王族らしい強さを取り戻す。
「だが今は立ち止まっている暇はない。負傷者の救助を優先する!」
その言葉に兵たちが一斉に動きを再開する。混乱の渦中でも、その声には従わせる力があった。
「エリス、ルイ。二人は救助に回ってくれ!」
「了解!」
「任せろ!」
二人は頷き合い、瓦礫の山へ駆け込む。
「くっ、梁が重い……! エリス、支えてくれ!」
「わかった!」
二人の声が重なり、梁を押し上げる。呻き声が聞こえ、兵士の手が伸びてきた。
「今だ、引き出せ!」
「しっかり! こっちよ!」
崩れた机の下から血まみれの兵を引きずり出し、エリスが肩を貸す。
「大丈夫、まだ息がある!」
「医療班! ここだ!」
ルイは次の瓦礫に飛びつき、素手で石をどかす。指先から血が滲んでも構わず叫んだ。
「急げ! 火が回るぞ!」
そのとき、近衛兵が駆け寄り、アルベルトに報告する。
「殿下! 皇帝陛下は既に別棟へご避難なされました! ご無事です!」
「……そうか、よかった」
安堵の息が漏れる。だが次にはすぐ声を張り上げた。
「ならば残る者を一人でも多く救え! 帝国の威信を、ここで失うわけにはいかない!」
「はっ!」
兵たちは一層奮い立ち、救助の輪が広がった。
やがて消火班の水が炎を弱め、悲鳴も少しずつ途絶えていった。
大広間には、崩れた梁の音と人々のうめき声だけが残る。
「……何とか、持ち直したな」
ルイは煤にまみれた顔を天井に向け、深く息を吐く。
「負傷者は大方運び出せたわ」
エリスも剣を杖にして立ち上がり、周囲を見渡す。
アルベルトはなおも兵を指揮していた。
「死者を確認しろ。負傷者は急ぎ医療班へ」
その声に兵たちは、深く頷き従う。
やがて炎は鎮まり、迎賓館に残ったのは水の滴る音と、負傷者のかすかなうめき声だけだった。
先ほどまでの狂乱が嘘のように、静寂が広がっていく。
救助を終えた兵士たちは互いに顔を見合わせ、そして一様に疲れ果てたように息を吐いた。
命を救えた安堵と、目の前に広がる惨状に、重く張り詰めた空気が場を覆っていた。
エリスは剣を杖にして立ち上がり、深く息を吐く。
「……終わった、のかしら」
隣でルイも壁に寄りかかり、煤にまみれた顔を上げた。
「ああ……少なくとも、今はな」
アルベルトは最後まで兵を励まし続け、やがて静かに呟いた。
「帝国は……この夜を忘れぬだろう」
砕け散ったシャンデリアの残骸が、淡く光を反射している。
それはまるで、この惨劇を永遠に刻み込むかのようだった。
こうして、迎賓館の惨劇は幕を閉じた。
だが、それは決して終わりではない。
むしろ、新たな始まりの前触れに過ぎなかった。




