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剣術大会

ーー帝国軍事学校・大演舞場


 やわらかな日差しが肌を撫で、風がほんのり甘い花の香りを運んでくる。

 だが、その爽やかさとは裏腹に、観覧席に集まった観衆も待機する兵士たちも固唾をのんでいた。

 毎年恒例の近衛隊と憲兵隊による隊対抗の剣術試合――今年は、人魔大戦終戦二十五周年記念式典の最大の見せ場として、皇帝ドラガン・アイゼルクと魔族の要人を招いて行われる、史上最大規模の一戦だった。

 

「ふぅ……うまかった」

 木椀を置いたルイが、心底幸せそうに息を吐く。その足元には、きっちり二つの包み紙。どう見ても一人で二人分を平らげたあとだ。


「あなたって本当に脳まで胃袋でできてるんじゃないの?」

 エリスは眉をひそめ、呆れを通り越して冷たい視線を送る。その口元には、わずかに嘲笑めいた影。きっちりと着こなした憲兵隊の軍服は、まるで意地でも乱れを許さないという意志の象徴だった。


「そんなに不味いかな?」

 ルイはとぼけた声で言い、口の端についた米粒に気づきもしない。


「不味いに決まってるでしょう。あの戦闘糧食を“美味しい”なんて言う人間、聞いたことがないわ」

「いやいや、なんでも美味しく食べられたほうが得だろ? 俺なんてこの前のオックス煮、けっこうイケると思ったけどな」


「……あなたの味覚は昆虫並みね」

「それは誉め言葉か? 虫って案外たくましいし」

「褒めてないわよ。どういう頭の構造すれば褒め言葉に聞こえるの?」

「食べるのが好きなんだよ。腹がパンパンになると生きてるって感じるんだ。自分で料理だってするんだぜ。今度、作って食わせてやるよ」

「いらないわよ。何が出てくるかわかったもんじゃないし」

 エリスはピシャリと言い切ったが、心の奥ではわかっていた。

 どんな場面でも飄々としているこの幼馴染が、爆発物の前では誰より冷静で、必ず仲間を守ってきたことを。

 その“呑気さの裏の芯”を、彼女はずっと知っていた。だからこそ、強く突き放さずにはいられない。

 エリスが深くため息をつきながら腰を下ろす。


「今日も憲兵隊が勝たせてもらうわよ」

「エリスは大活躍だからなぁ。しかも今日はドラガン皇帝陛下とアルベルトも見に来てるし。まぁ、頑張っておくれよ」

「相変わらず食事以外はやる気が無いのね」

「そもそも俺は、近衛隊の爆発物処理班だからな。剣では腹がふくれないし」

 ルイは、そう言って士官学校の爆弾処理科のペンダントを見せる。

 桜の花に爆弾、淡い蒼色の特殊な輝きをしていた。

 「……あんたみたいなやる気のない奴が近衛隊にいるの、本気で不思議」

「やる気はないけど、腹は満ちてる。だから大丈夫だ」

「……っ、バカ。あんたには名誉とか誇りとかいう単語はないの?」

「あんまり美味しそうな単語では無いなあ」

「……はぁ」

 皮肉を放つエリスと、のらりくらりと受け流すルイ。

 やり取りに区切りがついたところで、ふとエリスが眉を寄せる。

「ねぇ、前から思ってたんだけど……どうしてアルベルトとあなたが仲いいの? 正直、謎なのよ」

「謎?」

「だってアルベルトは士官学校でも“聡明”って評判だったんでしょう? 模範生で、品行方正で、誰からも尊敬されてた」

「……あー、そっちの顔か。そりゃ世間の評判通りだな」

「じゃあなんで、あなたみたいな馬鹿とつるんでるのよ」

「馬鹿は余計だろ。士官学校の爆弾処理科で一緒だったし。でもなぁ……実は俺たちの悪童グループ、全部アルベルトが仕切ってたんだぜ」

「…………は?」

「“黒幕アルベルト”って渾名があったくらいでな。廊下の大砲暴発事件も、図書館の天井崩落事件も、ぜんぶ立案者はアルベルト」

「ちょ、ちょっと待って。あのアルベルトが?」

「士官学校四年間の悪事は全部そう。俺は実行役で、黒幕は常にアルベルト」

「…………」

 エリスの表情が固まり、言葉が出ない。


「信じられない……本当に?」

「本当だ。俺なんかよりずっとタチが悪い。あの頭脳で考えた悪戯はすげーぞ」

「……うそ……。ずっと聡明で清廉だと思ってたのに」

「うん、聡明で清廉“なのに”、裏じゃ悪戯の首謀者。それがアルベルトさ」

「……信じたくないわね」


 エリスが呆然とつぶやいたその瞬間――


「ふふ……二人は相変わらずだな」

 低く落ち着いた声が背後から届く。


 振り返れば、皇太子アルベルトが柔らかな笑みを浮かべて立っていた。


「けっ、敬礼!」

 二人は慌てて立ち上がる。エリスの心臓は、先ほどの会話を聞かれていないかと跳ね上がっていた。


「よしてくれ。ここには僕以外、誰もいないんだ」

「なんだよ、敬礼して損したじゃないか」

「いやいや、損はないだろう。これでも皇太子なんだから」

「誰もいないのなら、ただのアルベルトだろ」

「まあまあ、親しみやすいのがアルベルトの良い所じゃない」

「それって褒めてる?でも、“たまには威厳を思い出せ”って父上からもよく言われるんだ」

「ドラガン皇帝陛下は軍人皇帝まっしぐらって感じだものね」

「だろ? だからこうして二人の前でだけ肩の荷を下ろしてるんだ」


 三人は顔を見合わせて笑い合う。それぞれ立場の関係ない幼馴染としての時間。


「……でもエリス、お前こそよく平然としてるよな」

「なにがよ?」

「だって観覧席のざわめき、聞こえてただろ? “半魔の憲兵隊士”がどうとかさ」

「……」

 エリスは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに肩をすくめてみせる。

「親が魔族なのは私の所為ではないわ」

「おお、さすがだな。俺なら胃が痛くて飯も喉を通らん」

「あなたはどんな状況でも飯を詰め込むでしょうが」

「そうそう」アルベルトが苦笑しながら口を挟む。

 「それに、エリスは半分がどうとかより、努力で全部を覆してきたじゃないか。僕はそう思うよ」

「……アルベルトまで。おだてても何も出ないわよ」

「なら、せめて試合で見せてもらおうかな。君の“実力”のほうをね」

「……言われなくても」

「今日は、二人の対決を楽しみにしているよ」

 アルベルトがそう告げると、エリスは真剣な眼差しでうなずいた。

 だが次の瞬間、彼女はふと視線を細め、探るように問いかける。

「……アルベルト、一つ聞いてもいい?」

「ん? なんだい、エリス」

「“黒幕アルベルト”って渾名……本当?」


 アルベルトの表情が一瞬固まった。

「な、なぜそれを……!」

「やっぱり本当なの!?」

「ちょっと待て、それは――」

「俺がさっき教えたんだよ。なぁ、殿下?」ルイがにやりと口角を上げる。


「ル、ルイ! 余計なことを!」

「やっぱり真実だったのね……」エリスが半眼で睨みつける。

「ち、違う! あれは策略の訓練だ! 戦術思考を鍛えるための実践的演習であって――」

「図書館の天井崩落が“戦術思考”?」

「……あれは誤算だ」


 アルベルトが耳まで赤くして弁明する様子に、エリスは呆れ、ルイは楽しそうに肩を揺らして笑った。

 幼馴染の間に広がる安らかな空気、それが、三人の絆を際立たせていた。


 ーー剣術大会決勝戦

  

 歓声が渦を巻いていた。

 帝国軍事学校の大演武場、その中央で雌雄を決する大一番が始まろうとしていた。

 近衛隊と憲兵隊、剣術大会の決勝戦――勝った方が優勝だ。


「……なんで俺が決勝なんだよ……」

 剣を構えながら、ルイは青ざめていた。近衛隊所属、爆発物処理班。火薬と導線を扱う手先の器用さには自信があるが、剣術に関しては万年補欠だ。

「よりによって、相手がエリスとか……運が悪すぎだろ……」


 対面に立つ少女――憲兵隊の剣士、エリス。彼女は半分魔族の血を引く〈半魔〉として知られていた。

 だがその瞳は、ひとかけらの迷いもなく真っ直ぐにルイを射抜いている。

「ルイ、手加減したら許さないからね。全力で来なさい」

「……へいへい。どうせすぐ負けるけどな」


 審判の合図が響く。

 次の瞬間、鋭い金属音。

 エリスの突きが矢のように迫る。

 ルイは慌てて受け流し、後退。剣の腕では到底かなわない。だが危険察知の勘だけは、爆発物を相手にしてきた経験で鍛えられていた。

 ギリギリで躱す動きに、観客がどよめく。


「おお、処理班のくせに意外と動ける!」

「でも押されてるな!」


 ルイは必死で剣を振り回すが、エリスは容赦しない。

「ほら、隙だらけ!」

「っ、マジで速えな!」

 剣速は速く、打ち込みは重い。持久力では勝負にならない。

 それでも一瞬、ルイは木剣を構え直し、低く呟く。


「……来る」


 次の踏み込みを読み切り、反射で突きを繰り出した。

 木剣の切っ先がエリスの喉元を狙い――かすめる。

 観客席がどよめき、審判すら一瞬旗を迷った。


「っ……!」

 エリスはぎりぎりで身を翻すと、猛然と反撃を浴びせる。

 息もつかせぬ連撃。

 ついにルイの防御が遅れ、木剣が胴を直撃した。


「一本! 勝者、エリス・フェルナー!」


 観衆の歓声がまだ空に残響している。

 勝負を決したのは憲兵隊、そして決定打を放ったのは他ならぬ――エリスだった。


「憲兵隊、勝利ィィーーーッ!」

「おおおおっ!」


 観客席も、隊員たちも総立ちになる。帽子を振り、喉を枯らし、熱狂は渦のように広がった。

 誇らしげに胸を張る憲兵隊員たち。仲間に抱き上げられ、笑顔を隠せないエリス。

 そのすぐ横で、近衛隊の敗残兵として地べたに腰を落とすルイは、頭をかきながら呻いた。


「……なんで俺が、あんな大一番に当たっちまったんだ……」

「やっぱり決勝で剣を振らせたら駄目だったんだ!」

「爆弾処理なら一流なのに……」

「剣術じゃ二流どころか三流だろ」


 近衛隊の仲間からも散々な言われようだ。

 けれど、どこか呆れ笑いが混じるその声は、彼への信頼の裏返しでもある。

 ルイ自身は溜め息をつくだけだが。


 やがて表彰式が始まる。

 玉座を象徴する赤絨毯の上、皇帝が厳かに歩み出て、観衆のどよめきが一層高まった。

 続いて皇太子アルベルトと並び、凛とした空気が会場を包む。


「今年度、近衛隊と憲兵隊の公開演武における最優秀者……」

 皇帝の声が響き渡り、観客席は静まり返る。


「――憲兵隊、エリス・フェルナー!」


「うおおおおおっ!」

「半魔でもやるじゃないか!」

「いや、“半魔だからこそ”ここまで強いんだろう!」


 八割の賞賛に混じって、確かに二割ほどのざわめきがあった。

 “半魔”――それはエリスにつきまとう影。

 だが今は、それすら打ち消すほどの熱気と喝采が彼女を包み込んでいた。


 壇上に進み出たエリスは、背筋を伸ばし、誇り高く立つ。

 その手にから優勝杯が渡され、続いてアルベルトから副賞の装飾短剣が贈られた。


「……お見事だ、エリス」

「ありがとうございます、殿下」


 アルベルトは柔らかく微笑む。

 その瞳は、友情と誇りを込めたまっすぐなもの。

 けれど、彼女の胸を熱くさせるのは、壇下から無邪気に笑うもう一人の幼馴染の姿だった。


 ルイ。


 エリスは言葉にしないまま短剣を胸に抱き、視線を送る。

 だが当の本人は観客の歓声に気圧され、呑気に頭をかきながら隣の隊員と笑い合っているだけ。

 その鈍感さに、エリスの胸は少しだけ苦しく、しかし愛しくもあった。


「……本当に、馬鹿なんだから」


 誰にも届かない声で呟いた瞬間、ふとアルベルトと視線が交わった。

 彼は何も言わず、片目を閉じて小さくウインクする。


 表彰式は万雷の拍手で幕を下ろした。


 ーー大戦の終結から、二十五年の歳月が流れていた。


 新たな魔王として君臨したゼルフィアは、人類と正式な平和協定を結び、かつて血と炎に塗れた大地にひとときの安寧をもたらした。

 魔族はゼルフィアの統治のもとで秩序を保ち、人類諸国もまた、しばし平和を享受した。


 しかし、戦争の終わりが、必ずしも世界の安定を意味するわけではなかった。


 共通の敵を失った諸国は、やがて互いの利権を巡り衝突を始める。かつて同盟を結んだ国々は不和を抱え、国境紛争や小規模な戦闘が次第に頻発するようになった。


 一方の魔族もまた例外ではなかった。ゼルフィアの寛容と理性は大多数に受け入れられていたが、それを「弱さ」と見なす過激派が現れ、各地で破壊活動や無差別の襲撃を引き起こしていた。


 世界は平和を手にしたはずだった。その平和は、剣を収めただけの脆い幻影に過ぎなかったのである。



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