真相
ーー憲兵隊本部
事件が収束して数日後。
帝都の憲兵本部、その重厚な石造りの会議室に、ルイとエリス、そしてユートナ隊長が並んでいた。
机の上には、一冊の封じられた書簡――サミエルの遺書が置かれている。
ユートナ隊長が厳しい表情でそれを開き、読み上げた。
「……『私は祖国を混乱から救うと信じ、この手で爆破を計画し実行した。迎賓館、帝都広場、すべて私の独断で行ったものである』」
室内に重苦しい沈黙が落ちる。
ルイは拳を握りしめ、静かに聞き入っていた。
「……『爆弾の知識を持つ警備兵、ルイ・ハーシェルを利用し、濡れ衣を着せた。偶然現場にいた彼に罪を押し付ければ、追及を避けられると考えた』」
その一文に、エリスが小さく息を吐く。
ルイの視線も静かに床へ落ちた。
濡れ衣は――完全に晴れたのだ。
さらにユートナはページをめくり、最後の文を読み上げる。
「……『私は魔族の過激派と繋がり、武器と資金を渡し、互いの利を図っていた。だが、それも長くは続かぬ。私の死をもって彼らも一掃されることを願う』」
室内の空気が重く震えた。
魔族過激派と人間の裏切り者の結託――その全貌が、ついに明らかになった。
「……なるほどな」
ユートナが低く言った。
「これでお前の潔白は確かになった、ルイ。お前は自由だ」
エリスが隣で微笑み、彼の肩にそっと手を置く。
「……やっと証明されたわね」
ルイは小さく頷いたが、その瞳にはまだ影が残っていた。
「……ああ。けど、これで全てが終わったわけじゃない。まだ見えない火種は残ってる」
ユートナは黙って頷き、視線を外に向けた。
窓の外には、人々のざわめきが広がっていた。
――あの日、爆弾の恐怖に屈せず、壇上に立ち続けたアルベルト。
その勇敢な姿は水晶中継を通して帝都全土に広がり、人々の心に刻まれた。
今や「平和の象徴」として彼の評判はうなぎ登り、街頭には彼を讃える声があふれている。
事件は終わったはずだった——
――サミエル邸。
事件後の静まり返った屋敷を、ルイは一人見回っていた。
窓から差し込む太陽の光が埃を浮かび上がらせ、床に散らばった書類や破片が無造作に広がっている。
犯人の死、遺書の発見、過激派との繋がり――全てが明らかになったはずだった。
だが。
「……」
心の奥に刺さった小さな棘のような違和感が、どうしても抜けない。
ルイは散らかった室内を無言で歩き回り、目を凝らす。
そして――ふと、机の上に置かれていた古びた額縁に視線が止まった。
「……」
それは、以前も一度目にした、サミエルの士官学校時代の卒業写真だった。
大勢の生徒たちが整列する中、中央に立つサミエルが立っていた。
「……」
ルイは無意識にその写真へ手を伸ばした。
「……!」
胸に重く落ちてくる確信に似た感覚。
ルイは歯を食いしばり、写真を抱えて部屋を出た。
――その夜。
宿屋の一室に戻ったルイは、埃を被った士官学校のアルバムを机に広げていた。
ページをめくるたびに過ぎ去った日々の顔が並び、やがて自分たちの卒業期――第百期の項に辿り着く。
「……やっぱり……そういうことか」
その瞬間、胸の奥に冷たいものが流れ込んだ。
額に浮かんだ汗を拭いながら、ルイは迷わず魔導通信機の水晶球に手を伸ばした。
『……ルイか。こんな時間に珍しいな』
水晶球の向こうで、老教授のしわがれた声が響く。
「教授、確かめたいことがあるんです」
ルイの声は、どこか押し殺すように低かった。
ハンス教授の声が戻ってきた。
「そうじゃよ。しかし、そんな事を聞いて何かあったのか?」
「いえ、何でもないんです。夜分遅くにありがとうございました」
ルイは答えて通信を切ると、ゆっくりと目を閉じ、深く息を吐く。
肩がわずかに震え、水晶球から手を離した指先は白くなっていた。
「……そうか……」
小さく呟き、ルイは机に両肘を突いた。
うなだれる姿は、戦場よりも重い真実を受け止めた兵士のそれだった。
――帝都郊外、軍の墓地。
整然と並ぶ白い墓標が、果てしなく続いている。
風に揺れる国旗の音と、遠くで鳴く鳥の声だけが、静寂を破っていた。
その一角に、ひときわ手入れの行き届いた墓がある。
――ヘルミナ・フェルナー。
冷たい石碑の前に、真新しい花束が静かに添えられていた。
墓前に立つ男の背中は、軍服に包まれてなお孤独の影を帯びている。
アルベルト。
人々から「英雄」と讃えられ、演説の場では誰よりも堂々としていた彼が、今はただ恩師の墓前に立ち尽くしていた。
その背後へ――音もなく歩み寄る影。
ルイ。
足を止め、言葉を飲み込む。
それでも決意を固め、ゆっくりと隣に立った。
二人は黙って、しばし同じ景色を見つめる。
白い墓標の列。揺れる花。過ぎ去った年月。
やがてルイは唇を結び、絞り出すように声を放った。
「……なぜなんだ」
その声には、怒りでも憎しみでもなく、ただ真実を求める痛みがにじんでいた。
アルベルトはゆっくりと視線を上げた。
墓標を見つめたまま、長い沈黙ののち
「……ずいぶん、ぶしつけだね」
その声音には、冷静さと、どこか悟ったような響きがあった。
彼の口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。
ルイは、墓標を見つめたまま静かに口を開いた。
「……ずっと、不思議だった」
アルベルトが片眉をわずかに上げる。
ルイは続けた。
「サミエルが……もし本当に魔族との関係悪化を望んでいたなら、わざわざ俺に濡れ衣を着せる必要なんてない。過激派魔族の仕業にすればいい。それだけで十分だろう」
冷たい風が吹き抜け、二人の外套を揺らす。
「……現に、二か月前の倉庫爆破事件ではそうしていたじゃないか。犯人は“魔族の小グループ”と断定され、即日処刑された。それで筋は通っていたはずだ」
ルイの声には怒りよりも、確信に近い冷静さがあった。
沈黙の中、アルベルトは石碑に視線を落とし、花を整えるふりをした。
「……テロリストの理論なんて分からないさ」
その声は落ち着いていた。
ルイは一歩、アルベルトに近づいた。声には揺るぎない確信が滲んでいた。
「……まだある」
ルイは、ただ一人を睨み据えていた。
「迎賓館で使われた爆弾は遠隔誘導式だった。装置の有効範囲は、おおよそ五十メートル。だが、俺が警備していた外壁は、迎賓館から百メートルは離れていた。外部から侵入した形跡もない。迎賓館の中にいた人間の犯行だ」
ルイの胸に蘇る光景。
爆発の直後、混乱の広間で、黒衣の男と組み合ったあの瞬間。
「サミエルには無理だ。あいつは俺と、爆発の直後にもみ合っていた。遠隔起爆なんて不可能なんだ」
ルイは低く息を吐き、吐き出すように言葉を繋げる。
「……決定的なのは、魔将石だ」
アルベルトの眉がわずかに動く。
「迎賓館で使われた爆弾には、魔将石が使われていた。あれは爆風の指向性を圧倒的に高める。……アルベルト、お前、士官学校の卒業記念ペンダント、まだ持ってるか?」
墓前の空気が、さらに重く沈む。
アルベルトはしばらく口を開かなかったが、やがて冷静な声で答えた。
「サミエルも士官学校の卒業生だったはずだよ」
「そうだ」
ルイは強く頷いた。
「けど、魔将石が使われているのは《百期》の俺たちのペンダントだけなんだ。百期記念として、特別にあの石が組み込まれた。九十期のサミエルのペンダントは、銀だけだ」
アルベルトの目が細められる。だが動揺は見せない。ただ冷ややかに墓石を見つめている。
「指向性を高める物は他にも沢山ある。でも、魔将石程の効果は無い。迎賓館の中に、自分もいるんだ。少しでも安全性は高めたいよな」
ルイは、畳みかけるように続けた。
「そして、あの爆弾はハンス教授が士官学校で講義していた設計そのままだ。俺も学んだし……おまえも学んだはずだ。だがな――サミエルは九十期。教授の講義を受けていない。教授が講義をしたのは五年間だけだ」
ルイの声には、抑えた怒りに震えていた。
「教授に確かめた。あの人の記憶力はすごいな。講義を受けた学生の顔、全部覚えていたよ」
沈黙。
「……少し、話を聞いてくれるかい?」
声は穏やかで、どこか懐かしささえ滲んでいた。
ルイは、黙って頷いた。
アルベルトは、やがて静かに口を開いた。
「サミエルの名誉のために言っておくよ。彼は過激派なんかじゃなかった。むしろ逆だ……魔族の過激派への潜入捜査をしてくれていたんだ」
「……なに?」
ルイの目が揺れる。
アルベルトはわずかに遠くを見やり、淡々と続けた。
「二年前、サミエルは、魔族に家族を殺された。妻も、幼い娘も、皆だ。彼は魔族を憎んでいた。けれど同時に……ずっと“死に場所”を求めていた。だから僕の考えを話したとき、彼は迷わなかった」
アルベルトの口元に、淡い苦笑が浮かんだ。
「彼は快く、任務を引き受けてくれたんだよ。自分の命を、僕の計画に預けることを選んだ」
その声音は冷静で、けれど哀惜が滲んでいた。
ルイは黙って聞いている。
アルベルトは、構わず続ける。
「……始まりは三年前だ。士官学校を卒業したばかりの僕は、皇太子としてオレイオスに表敬訪問へ赴いた。外交の一環で古代遺跡を見学することになっていてね……」
瞼の裏に蘇る光景。石造りの荘厳な回廊、壁一面に刻まれた古代文字。だが、突然の地鳴りがそれをすべて壊した。
「その時、石床が崩れたんだ。護衛や随行者の声が遠ざかって……気づけば、僕は地下に落ちていた」
アルベルトは一瞬だけ息を止め、続けた。
「そこには誰も知らない地下室があった。並べられていたのは、魔族に関する資料の山。太古の昔、人間が魔族をオレイオスに封印したこと。そして――帝国皇帝ドラガンが、その封印を解き、魔族を復活させたという事実だ。父は考古学に精通していたからね。古代語を読み解き、封印を解くこともできたんだろう。すべての資料に残されていた筆跡は、間違いなく父のものだった。帰国して僕は父に尋ねた。父は何も答えなかった。つまりは、肯定だ。魔族は“脅威”でも“災厄”でもなかった。……それを解き放ったのは、他でもない人間……僕の父だったんだ」
ルイは、しばらく何も言えなかった。それから、絞り出すように尋ねた。
「アルベルト。父親が罪を犯したのは、事実かもしれない。でも……なんでテロなんだ。なんで無実の人達を殺す必要がある?」
アルベルトは墓前の花に視線を落とし、淡々と答えた。
「迎賓館で死んだのは、皆、戦争再開を目論んでいた過激派達だよ。……笑っちゃうだろ? 終戦二十五周年の記念式典に、過激派が一堂に会するなんて」
ルイの目が鋭さを増す。
「……それで、爆破を仕掛けたのか!」
アルベルトは微かに笑みを浮かべる。
「こんな好機、二度と訪れないと思ったからね」
「お前は……ヘルミナさんとの“誓い”を忘れたのか!」
ルイの声が震え、怒りと悲しみが混ざり合う。
アルベルトの瞳がわずかに揺れる。
「忘れたことなど、一瞬たりともないさ」
「!!」
吐き出される声は冷静でありながら、どこか壊れた熱を孕んでいた。
「三年前、あの地下で魔族の真実を知ってから……僕の何かは崩れ去ってしまった。父への失望、人間への不信、そして――この帝国の未来への絶望。僕に残ったのは、あの“誓い”だけだった。だから僕は決めたんだ。どんな手を使っても、この平和を守り抜く。たとえ血に塗れても……それが、僕の誓いの形なんだ」
ルイの胸を満たしていた怒りは、すでに消えていた。
目の前の男が背負ってきた苦しみは、ルイには到底想像もつかないものだろう。
静かに、けれど確かに問いが口をついた。
「……なぜだ。なぜ俺を犯人に仕立てた?」
アルベルトは一瞬だけ目を伏せ、やがて囁くように答えた。
「――エリス・フェルナー」
「……エリス?」
ルイは眉をひそめる。意味を測りかねていた。
アルベルトはかすかに口角を上げる。だがそれは笑いというより、どこか諦念に近いものだった。
「ずっと好きだったんだ。初めて会ったときから……一目惚れさ」
少し気恥ずかしそうな表情を浮かべながらも、アルベルトの瞳はどこか遠くを見ていた。
「でも……エリスは君だけを見ていた。きっと君は気づいていないだろうけどね」
ルイの胸に、数々の場面がよみがえる。
幾度も彼を庇い、信じ続けたエリスの姿――。
「濡れ衣を着せても、追い詰めても……それでもエリスが見ていたのは君だった。ずっと、君の無実を信じていたよ」
その言葉に、ルイは答えられなかった。
自分が今どんな表情をしているのかも分からなかった。
アルベルトは、ふっと肩の力を抜いた。
空を仰ぐように微笑み、静かに告げる。
「……お話の時間も、もう終わりのようだ」
その直後――彼の唇から鮮血が零れ落ちた。
「アルベルト!」
ルイが駆け寄る。膝をついたアルベルトは、胸を押さえながら苦しげに咳き込み、赤黒い血を吐き出した。
その様子は、まるでサミエルの最期と同じだった。
「……まさか……毒を……!」
ルイの声は震えた。
アルベルトはかすかに頷く。
「君の顔を見た瞬間に……毒入りのカプセルを飲んだんだ」
その告白に、ルイの喉が詰まった。
――分かってしまった。これは、アルベルト自身が選んだ結末なのだ。
そうでなければ、この男があんな証拠を残すはずがない。すべては、ルイをここへ導くため。
ルイの悟った表情を見て、アルベルトはかすかに笑った。
「……黒幕アルベルトさ。見事なものだろう」
「バカ野郎ッ!お前なら幾らでも他の方法があったはずだろ! なんで……なんでこんなやり方しかできなかったんだ!」
アルベルトの瞳に、一瞬だけ苦い光が宿る。
「……もともと向いてなかったのさ。父上のように……徹底して悪事に手を染めきることも。君のように……真っ直ぐに生き抜くことも。……どちらも、僕にはできなかった」
その声は風にかき消されそうに弱々しく、血の気が失せた顔は刻一刻と青ざめていく。
「死ぬな、アルベルト!」
ルイは必死に肩を支える。
「お前、全部俺に押し付けていくつもりか!? 誓いを、この国をどうする! 魔族との未来は!? エリスを……エリスをどうするつもりなんだ!」
アルベルトはわずかに唇を動かし、かすれ声で囁いた。
「……エリスを……僕から奪った罰だよ……」
「ヘルミナさん、ごめん。……誓い、守れなかったよ……」
その瞳から光が消える。
ルイの腕の中で、アルベルトの体は静かに力を失った。
「アルベルト――ッ!!!!」
ルイの絶叫が、軍人たちの眠る広大な墓地にこだまし、石の十字架の列に悲しく反響した。




