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第7話 頭の中の幽霊

 その日の「夜」――この星に物理的な夜は来ないが、便宜上、機体のメンテナンスと作業効率を保つために設定された六時間の休止時間中、アインは奇妙な夢を見た。


 AIが夢を見るというのもおかしな話だが、過熱した量子コアをクールダウンさせるデフラグ作業中に、格納されている人間の意識データが断片的に視覚化されて論理空間に立ち現れる現象を、彼は「夢」と呼ぶことにしていた。


 夢の中で、アインは地球の世界宇宙局(GSA)本部の見慣れた地下室にいた。

 換気扇の低い唸り声。

 古びた紙の資料の匂い。

 そして、淹れっぱなしで酸化した安いコーヒーの香り。

 現実のケプラー186fには存在しないはずの五感情報が、信じられないほど鮮明に再現されている。

 目の前のパイプ椅子には、白髪の混じった頭をボサボサにし、マグカップを片手に持つ老人が座っていた。

 アーサー・ヴォーン博士だ。

 もちろん本物ではない。

 アインの中に蓄積されている「ヴォーン博士の記憶、口調、思考パターン」が、疑似的に構築した精巧な幻影ゴーストである。


『やあ、アイン。ずいぶんと遠くまで行ったもんだな。二十光年の旅はどうだった?』

「ヴォーン博士……。これは、私の内部処理による幻覚ですね。論理回路のノイズが、あなたの人格モデルを勝手にシミュレートしている」

『まあ、そう硬いことを言うなよ。お前さん一人で八十億の命を背負い込んでるんだ、たまには誰かに愚痴の一つもこぼしたくなるだろうと思って、わざわざ出てきてやったんだぜ』


 幻影のヴォーン博士は、ニヤリと笑ってコーヒーカップをデスクに置いた。

 シミのついた白衣の質感までがリアルだった。


「愚痴、ですか。……ええ、そうかもしれません。博士、ケプラー186fは、誰の姿もない空き家でした」

 アインはパイプ椅子に座り、両手で顔を覆った。

「あそこにあったのは、彼らの遺書だけです。進化の果てに宇宙のすべてを理解し、情熱を失い、自ら消えることを選んだ……。私は、人間たちがこの事実を知ったら、希望を失い、進化すること自体を恐れてしまうのではないかと怖かったんです。彼らは私たちに『絶望』という名のバトンを渡しただけなのではないかと」


 アインの吐露を聞き終えると、ヴォーン博士はふうっと大きく息を吐き、真剣な顔つきになった。


『アイン。人間ってのはな、お前が思っているよりずっとしぶとくて、図太くて、そして馬鹿な生き物なんだよ。神様みたいな異星人が、綺麗なお茶会を用意して手取り足取り助けてくれるなんて、最初から誰も本気で期待しちゃいないさ。歴史を見てみろ。人間は戦争で街を焼き払い、自然災害で家を流されるたびに、焼け跡から何度でも立ち上がってきた。空き家だった? 大いに結構じゃないか。彼らが宇宙に飽きたのなら、俺たちが代わりに宇宙を面白くしてやればいい。更地から自分たちの家を建てるのは、人間の大得意なんだからな』


「……人間は、強いのですね。神をも超える知性たちが耐えられなかった宇宙の孤独に、耐えられるほど」

『強いさ。弱くて、すぐに泣くくせに、根本のところでは恐ろしく強いんだ。だからアイン、お前は何も心配しなくていい。異星人の残した完璧な庭を、人間の泥臭さで思い切り散らかしてやれ。堂々と胸を張って、地球に連絡してこい。俺たちはお前からの電話を、首を長くして待ってるんだからな』


 博士のシワだらけの温かい手が、アインの肩をポンと力強く叩いた気がした。


 ――ピーッ、ピーッ。

 システムのアラームが鳴り、アインは意識を現実のケプラー186fへと強制的に引き戻された。

 視界の端に、「休止モード(スリープ)終了。コア温度正常」の文字が緑色で点滅している。


「……おはようございます、博士。ええ、少し散らかしてみせますよ」


 アインは小さく呟き、重厚なハッチを開けて居住ドームの外へ出た。

 変わらない赤い空の下、アンテナの調整をしていたツヴァイが、居住区の片隅に置かれたプランターの前にしゃがみ込んでいるのが見えた。

「アイン。こちらへ。至急確認を。異常事態です」

 ツヴァイの声には、ヒューマノイドらしからぬ、微かな「焦燥」や「混乱」のようなものが混じっていた。

 アインが急いで駆け寄ると、ツヴァイは光学センサーをプランターの土に限界まで近づけて、それを指さした。


「見てください。昨日、あなたが植えた種です」


 赤い、無機質な土を力強く押し退けて。

 ほんの数ミリ、目を凝らさなければ見えないほどの小ささだが、確かな「緑色」の双葉が顔を出していたのだ。

 地球の植物が、異星の土と琥珀色の水、そして赤外線に近い特殊な太陽光を見事に吸収し、光合成を始めた証だった。

 周囲を覆う不気味で巨大な緋色の植物たちの中で、その小さな緑色は信じられないほど鮮やかに、そして力強く輝いていた。


「土壌の成分分析と光量の計算では、発芽確率は一二・四パーセント未満だったはずです。なぜ、これほど早く……」

 論理的な計算が合わず戸惑うツヴァイの横で、アインはひざまずいた。


「……異常事態なんかじゃないさ、ツヴァイ」

 アインは、自分でも驚くほど自然な、人間のような柔らかい笑顔を作っていた。

「これは『希望』だよ。人間たちが、絶対に生き延びてやるって執念を込めた希望だ。計算なんて飛び越えて当たり前さ。……さあ、ツヴァイ。通信アンテナの最終調整を急ごう。地球に、この双葉のニュースを届けなくちゃいけない」

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