296話 由来
アラームの振動が耳に響く。
時刻は朝の5時。
微かな振動に気付いた周は薄く目を開けて、寝息が聞こえる方向に視線を向けた。
「ぐぅ」
無防備な姿で毛布に包まる彼女。
相変わらず無垢で、
息を飲むほど美しい。
俺だけの女神。
「澪桜。綺麗だよ、誰よりも何よりも。……今日も仕事お疲れ様。ゆっくり休んでいて」
寝の深い澪桜。
それでも声が聞こえないよう、微かに呟く。
幸せそうに眠る彼女の頬にキスを落とし
顔にかかる髪を優しく払った。
音を立てないよう、ゆっくりとベッドから立ち上がった。
揃いのパジャマを着替え、白い引き締まった素肌に衣服を纏う。
(……あっちは16時。仕事終わって帰るところか……いやもう少しというところか?)
どちらにしろ、アポだけとっておかなくてはと、メッセージを送るためにLINUを開く。
無意識に直前の履歴を辿ると
前回の連絡は、今年の年明けの挨拶だった。
周は簡潔に
メッセージを打つ。
『仕事中にごめん。話したいことがあるから都合がつく日と時間帯を、手隙の時に教えてほしい』
少し視線を左上に向けると
父
と書かれた黒いアイコンが目に入る。送信するだけなのだが、微かに指が彷徨う。
(昨日は結局そのせいでこれすら言えなかっただろ。さっさとしろ)
まだどこか気が進まない自分にそう言い聞かせて、周は送信を押した。
メッセージの下に小さく送信時間が残る。
それを少し眺めて、周はスマホをポケットに入れ寝室を抜けた。
洗面所に入って歯を磨き、顔を洗う。
スキンケアで整えて寝癖のついた髪をセットした。
あと1時間で各支部との定例会議が始まる。
(澪桜が起きるまであと2時間。……先に朝飯でも作っておくか。……でもその前に)
普段ならキッチンに向かう足が、リビングに入って左に曲がる。
書斎のひとつ手前にある普段使っていない客間。
白とグレーで色彩を統一させたシンプルな一室だ。
ふわふわなラグの下に隠してある床下収納を開ける。
日頃使わない物が置かれている1畳ほどの小さな空間に頭だけ突っ込み、スマホで照らした。
……ちゃんと、今日受け取った袋がある。
あと10日
誕生日に甘い夜を過ごして……
翌日、渡すんだ。
彼女に跪いて。箱パカ!!
セリフパターンは多すぎても咄嗟に出てこない。最低限に抑え、3パターン程考えなきゃ。
澪桜にキュンってして欲しい。一度くらい感涙して欲しいから。
周は満足そうにラグを被せ、リビングに戻ろうとした。
すると、突然スマホが震える。
画面を見ると、父からだった。
まさか直接折り返しがあると思っていなかった周は一瞬目を見開き、澪桜を起こさないように、書斎に向かいながら通話にした。
「はい」
『周か……?』
久しぶりに聞く、低い声。
俺に似ているらしいその声は声量がでかい。
スピーカーの音量を絞りながら呟く。
「仕事中に連絡してごめん。折り返させるつもりでは――」
『い、いや。もう終わっていたから問題はない』
「そう」
『……』
ぎこちない二人の会話。
いつものことだった。
『そ、それで周、話というのは何のは』
『もーーーー!パパ!?せっかく周が久しぶりに連絡くれたのに!!何?そのテンション!……周?元気にしてる?』
電話越しに少し高い母の声。
「ああ、元気だよ。母さん達も元気そうで良かった。連絡しなくてごめん」
『いいのよ、私たちこそ連絡もしなくてごめんなさいね。元気そうで良かった』
優しさを滲ませた声で遠慮気味に母は言う。
それは違う。
俺が連絡をしたくない事を察している両親がなるべくその意思に寄り添っていることを
知っていたのに、何もしなかった。
「うん。……仕事は順調?」
取り繕うように、言葉を探す。
『ええ。お父さんなんか、一昨日ハリウッド俳優の通訳してたわよ!ファンだったから握手してもらったって。手も洗わないで帰ってきてね』
『おい!余計なこと言うな雫!』
後ろでポンコツな父親の声がする。
今までなら適当にあしらっていた親との会話。
だけど何故か今日は少し、心が綻んだ。
今なら。
「父さん、母さん。俺、結婚するんだ」
『え』
母の小さな声。
『周、本当か……?』
父の驚いた声。
「うん。本当だよ、来年の4月15日。2人はスケジュール的に無理だと思うけど伝えておこうと思ってね」
しばらくの沈黙の後、すすり泣く母の声が聞こえた。
『……うっ……周……っ周が……』
「泣かないで。母さん」
『今……今までごっ……ごめんなさい……私たち貴方になにもしてあげられなかった。愛してたのに……なにも』
思いもかけない母の言葉に目を見開く。
“愛してた”
そんなの、知ってたよ。
今更、罪悪感が湧いた。
あの時の俺は
幼くて。
この世の全てが敵だと思っていた。
父が俺に讓渡した遺産も
俺名義で毎月送金してくれていた通帳も
半年に一度は掛けてきた母からの電話も。
何もかも。
愛のかたちは人それぞれ。
父と母はその表現が下手だっただけ。
そう、改めて思えたのは
俺に教えてくれたのは澪桜なんだ。
「俺は、恨んでないよ。当時忙しくてどうしても来られなかったって事も知ってる。田村さんに頼んでた事も、色々考えて俺に全てを託してくれた事も」
『おめでとう、おめでとう周。素敵な方と巡り会えたのね』
泣きじゃくる母、父は何も言わない。
「ありがとう。そうなんだ、俺に愛を教えてくれた人だよ」
『そうか』
何かに納得したように、父が静かに呟いた。
胸がいっぱいで。
言葉が出てこないが、祝福されている事は痛いほど伝わってきた。
もしかしたら親とも、この関係も少しは変わっていくのかもしれない。
書斎に飾ってある、澪桜の写真に視線を向ける。
付き合う前、箱根でデートした時の写真。
甘く切ない記憶。
『周』
低くて優しい声が、名前を呼ぶ。
じいちゃんが付けてくれた名前
「何?」
『幸せか?』
「ああ、死ぬほど幸せだよ」
“周りの人にたくさん愛して貰える人に、周りの人にたくさんの愛を注げる人になりますように”
この名に託された願いが、28年間生きてきて初めて本当の意味を持ったような気がした。




