290話 深淵から囁く者
「お疲れ様、周さん」
「お疲れ様。澪桜」
夕闇の中で商業施設の明かりに照らされる周は、会社入口付近の壁に寄りかかって腕を組んでいた。
「おー。周久しぶり」
「ああ」
「さ、行こうぜ周」
短い男たちの挨拶。
自然と山本が周の肩を叩き繁華街の方向へ連れだって歩き出す。
最初こそ、互いの仕事の話などしていた二人だったが、気付くと会話が止まっていた。
男共は間が持たない。
しばらく遊歩道を歩いていると、周がチラチラと澪桜に視線を向け始める。
「……澪桜先輩。めっちゃ見てますよ」
「そうだねぇ。見てるねぇ」
いつもの事だと呑気な澪桜が気にもせずに歩いていると、周は口を尖らせる。
「澪桜……何で隣、歩いてくれないの?」
「ええ? 別にどっちでもいいだろう」
「良くないよ。一緒に歩こ?」
甘えるように振り返ったまま、澪桜に懇願する周。
「あはははは! お前めんどくせぇ男だな」
笑いながらバシバシと肩を叩いてくる山本に冷たい視線を向けて呟いた。
「お前にだけは言われたくない。このヘタレ野郎」
自分の事は棚どころかチョモランマ登頂部に置き、過去の愚行を無かったことにする周。
山本はカチンと来たのか物凄い形相でメンチ切る。
「あああああああん???」
そんな事お構い無しの周は、山本を無視して嬉しそうに澪桜の隣を陣取った。細い手に指を絡める。
「俺の定位置♡」
前に山本が一人歩き、松井、澪桜、周が三人並ぶ変な構図が出来上がってしまった。
「沙也加ちゃん、山本さんの背中が寂しげだよ!」
「寂しくねぇよっアホ! 小学生か俺は」
だが山本の返事は流し、澪桜と周は生ぬるい微笑みで横に並んで歩く松井に目を向けた。
「ああもう! 別にどう並んで歩いてもいいのに! もうっこれでいいですか!?」
半ば投げやりに山本の隣を歩く。
やけに微妙な二人の雰囲気。
澪桜は周にコソコソと聞いた。
「あれはどのような状況なのでしょうか!? 周氏!」
「あれは産まれたての子鹿なのです。触れてはなりませんよ!自分で立つまで見守ってあげないとね」
「おおお。なるほどね。子鹿か」
「うるせぇお前ら! 聞こえてんぞ!!」
山本にツッコまれるが澪桜と周は肩を揺らして笑っていた。
***
数時間後
食事を終えた4人は繁華街脇の歩道に集まっていた。
「うぃぃぃぃ〜ヒック! ……きょおはちょっと飲みすぎちゃっらぁ」
「ったく、お前いつもだろ」
フラフラとおぼつかない足元で、楽しそうに揺れる松井を山本が肩を貸し、支える。
近くに停まっているタクシーに向かおうとする足を周が止めた。
「10分くらい待っててくれれば車取ってきてやるけど?」
「いや、お前の車にこいつがゲロったらシャレにならん」
「ふふ。松井さんに請求なんかしないよ」
「俺にするだろ!? ……あ、結局どうなったんだ?アレ。……っておい松井、寝るな」
こないだの電話の結果を聞き忘れていた山本は小声で聞きながらずり落ちる松井を支えなおし、揺らす。
周は何も言わないで薄く微笑んだ。
その顔で察した山本、イタズラに笑った。
「……なんかいい酒買えよ? 謝礼にな」
「ああ、良いブランデーでも買っとく」
二人のやり取りに気付かない澪桜は松井の意識を取り戻そうと必死だった。
「おおい! 寝るな! 今寝たら山本さんに――」
「やめろ! お前の中の俺はどんだけゲスなんだよ!?」
二人がかりで松井を車に乗せ、山本も乗り込んで周と澪桜に別れを告げる。
「じゃあな、お二人さん。あ、4月15日は有給取るよ。御祝儀期待しとけ」
「御祝……それはわらしもれすー!! たんまりつつみますんれー!! イエーーーイ」
「お前は3万でいいの。じゃあな周、良かったな」
「ああ、ありがとう。お前もいい加減、告れ。じゃないと盗られちまうぞ」
何処かで聞いたセリフ。
山本は運転手に手馴れた様子で行き先を伝え、窓ガラスを閉めながら周に捨て台詞を吐いた。
「余計なお世話だ! アホが」
走り去るタクシーを見送りながらクスクス笑う。
「盗られるって、なにが?」
よくわかっていない澪桜に覗き込まれて周は髪を撫でながら目を細める。
「……宝物」
「山本さんの……ああ。なるほどね! そりゃ一大事だ!」
分かってるのか分かっていないのか。
澪桜は一人納得して、背伸びをしながら会社近くの駐車場の方へ歩いていく。
そんな彼女に歩幅を合わせてついていく。
ヴー。
ポケットのスマホが鳴る。
さりげなく取り出し、画面を確認した。
スクロールしながら、呟いた。
「……へぇ。じゃあこちらから始めるか」
「ん?何か言ったかい?周さん」
振り返った澪桜に周は微笑む。
「何でもないよ? それより……確か、もう引き継ぎ終わって、仕事中外に出る事も無くなったんだよね?」
「そうだね、銀行に行くのも佐野くんの仕事になったからね。どうしてだい?」
「いや。良かったと思って」
微笑んだまままたスマホに視線を落とす周に眉を下げた。
「だから大袈裟なんだよぉ。君が思ってる程私はモテない」
「……今週も少し忙しくなるから、先にタクシーで帰っていて貰える?出先から直で帰るから会社にも居ないんだ」
「んー? わかった! 家までちゃんと送って貰うよ、あ、チカチカ信号! 急げ」
慌てて走る澪桜の後ろを大股で優雅に歩いていく。
「―――」
微かに口角を上げた。
薄く、唇が開く。
……誰にも届かない声で何かを呟いて。




