288話 はじめてのちぅ(鼻歌)
12月
第一週目 月曜日。
クレストリンク
新規事業開発部
いつもより少し騒がしいオフィス内、南の方向窓際の一角。
「♪〜」
鼻歌とタイプ音が軽快に鳴り響く。
物凄い速度で資料片手に文章を作成していった。
あっという間に本社に送る報告書を書き終え、送信する。
タスクアプリに片付けた仕事のチェックを入れて、今日の残りのスケジュールを確認した。
デスクに準備しておいたファイルと領収書をそれぞれ持って立ち上がり、背後にあるホワイトボードに書き込む。
『11:30 システム管理部 第二会議室』
『12:30 役員臨時会議』
『15:30 来期事業計画MTG』
「……よし、じゃあ向かいますか♪」
同じ曲をひたすら繰り返し鼻歌で歌い続けていた周。
上機嫌で大切そうにファイルと領収書を持ちスキップしそうな足を自制して、オフィスを出ていった。
その場の空気が凍りついてることにも気づかないまま、はじめてちぅするあの往年の曲だけを社員達の頭の中に刷り込んで。
(な、なんであのチョイス?)
(ゆ、結城マネージャーの鼻歌初めて聞いた)
(((上機嫌過ぎるのも怖え……)))
男性社員達は一律に青ざめた。
ミネラルウォーターで喉を潤していた佐々木に、女性社員が声をかける。
「佐々木さんの推し……今日、すこぶる上機嫌だったね。何かあったのかしら」
周の鼻歌を真似るように口ずさむ。
「推し……? ああ、今箱推しなので。もう1人の推しと何かあったんでしょうね。進展が」
言葉の意味がよく分からない社員は首を傾げながら続けた。
「え? 箱?? ……というか冷めてるわね。いつもならもっと声押し殺してキャーキャー言うのに」
社員のその言葉に一瞬キョトンとして、佐々木は達観したように笑う。
「今は……推し活以上に、夢中なことあるので」
「えーーー!? なになに!? 後で休憩の時絶対教えなさいよ!……あ、企画会議そろそろだから行きましょう?」
「はーい!」
ココちゃんとお揃いの右手の薬指に付けた指輪を輝かせながら、佐々木はまつ毛を揺らした。
***
コンコン。
オフィス入口の開きっぱなしのドアを叩き、こちらに振り向いたハーディンに微笑みかけた。
「お疲れ様です。ハーディンマネージャー」
「……非常にお疲れてますよ……貴方のせいで……」
げっそりと目が窪んだハーディンが物凄い猫背で周に視線を向ける。
腕時計で会議の時間だと気づいたハーディンは自身のデスクから離れて周と共に会議室に向かった。
「色んな証拠、出てきて良かったですねぇ。こないだの審査会でも皆、割と素直に認めてくれましたし」
「……それより事後処理が。予想以上の不正と、犯罪行為の数々に頭が痛いですよ。吉沢CEOも動き出して、監査委員会が本格的に動いたせいで、小さな不正まであぶりだされて人事部とウチは地獄です」
「でも、大掃除のお陰でクリーンになったでしょう?」
「はぁ……貴方ね。おかげで連日うちの人間は徹夜でフォレンジックする羽目になってるんですよ? 一体何人の何年分だと思ってるんです? ……この際、本社にCo-CIOとして貴方をエスカレーションしてあげましょうか」
嫌味たっぷりにブラックジョークを周へ投げつける。
とうの本人は気にする事もなく、穏やかに微笑んで柔らかな声で返した。
「あははは、残念。僕の専門は組み立てる方。データ抜いたりするのはあんまり得意じゃないんですよ。お役に立てるほど僕は有能ではありませんからねぇ」
「……shit」
第二会議室に入り、ニコニコと席につく周に向かってハーディンは小さく悪態をついた。
瀕死状態でヘロヘロのシステム管理部の社員達との会議は滞りなく進んだ。
***
2時間半後……
役員臨時会議が終わり、周はそこに居た久我GMと立ち話をしていた。
「え? ……宜しいんですか?」
「君、そのつもりで領収書とそのデータ持ってきていたんじゃないのか? ……ったく相変わらず腹が黒い」
「僕はそんな美味しくないですよ?」
「それはのどぐろだ!」
久我GMは豪快に笑って周の背中を叩いた。小柄な年配の女性とは思えない力加減で若干体が揺れる。少し咳き込みながら周は会釈した。
「ケホッいやぁ。黒瀬まわりをたまたま個人的に調べただけなのに全部経費で落として貰えるなんて。有難いなぁ〜」
「吉沢CEOからの指示だからね。良かったじゃないか。3桁超えてたろ」
「ええ。異例ですよねこんな額、経費で落とさせて貰うなんて」
久我GMは片眉を下げて笑う。
軽く首を鳴らした。
「そりゃあねぇ。こんなこと頻繁に起きて貰っちゃ困るよ。……黒瀬や鷹野と繋がってた寶田議員は終わりだろうね。今更証拠を消したところでうちの方に膨大な証拠が残ってるから芋づる式で逃げられないだろうし」
「まぁそうですね。他は知りませんが……どちらにしろ政治生命は終わりでしょうね」
「……まぁとりあえず、その領収書とUSBはこちらで預かろう。処理は私がしておくから安心しなさい。じゃあな」
片手をあげ、先に会議室を出ていく久我GMに頭を下げた。
「ありがとうございます。お疲れ様です」
「おい。結城」
野太い声が響く。
振り返るとゴリラが立っていた。
凄くやつれて、堀が深くなってよりゴリラ感が増している
「……藤堂さん、お疲れですね☆」
「誰のせいだぁぁぁぁ!! 俺にラーメンを奢れぇぇぇぇ」
魂の叫び。
周はケタケタと笑って頷いた。
「その程度で許して貰えるなら10回は奢りますよ全マシで」
「お、3階の二郎系か?」
そこに岡本VPと冴木GMとハーディンがやってくる。ゴリラ……藤堂の肩を叩き何気なく労った。
「あそこのラーメン美味いらしいなぁ」
「はい。味噌なんですよ。結構ガツンと来ますよ。もし良かったらご一緒に如何です?」
上機嫌の周は満面の笑みで二人に言う。
その異様な光景に目を見開いた岡本達は口を開いた。
「お前……そんな顔して笑う事あるんだな……いや、まぁいい。俺らも飯にするか」
「いいですね。疲れてる時はガツンとするものでエネルギー補給しないと」
冴木が眉を下げて笑った。
各部署から中途採用案件の申請が大量に来ていて、どれを優先的に人事部に申請するか、ひたすら精査している状況だ。
「♪〜」
神崎と黒瀬以外に不正行為を行った社員がいなかった周。こうなった元凶なのに無傷。
それにイラついた4人は鼻歌を歌う周を睨んだ。
またハーディンが呟く。
「……shit!!」
「いや、本当にそれな」
冴木が思わず軽口を返した。
隣にいた岡本も何故か頷く。
「口を慎めと注意しないとだろうが……確かにshitだな」
「アイツに奢らせましょう。全く溜飲は下がりませんが」
ゴリラが鼻息荒く自身の手のひらを殴る。
冴木は気が遠くなるのを感じながら呟いた。
「なんかずっと上機嫌なのもムカつくなアイツ……なんだあの鼻歌は……」
初めてのちぅを鼻歌で口ずさみながら休憩室に向かう周の後ろ姿を、恨めしい目で睨みながら、猫背の四人は重い足取りでついて行った。




