286話 澪桜、鼻から牛乳
ガチャン。
重い玄関の扉を開けて、疲れ果てた周が俯いたまま靴を脱ぐ。
「おかえりぃ周さん♪」
「はぁ……ただいまぁ〜。澪桜ごめん、遅くなっちゃっ―――たぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
顔を上げた瞬間、周の驚きの声が玄関に響き渡る。
思わず周は腰を抜かしてしまった。
そこには、アメリカのヴィンテージドレスを纏い、マリアヴェールを合わせた、聖女のように神々しい女性が立っていた。
口をパクパクしている周に澪桜は誇らしげにくるりと回転してみせた。
「ふっふっふ。どうだい? 私の計算通り、ピッタリだろう?」
それは先日、小久保に教えてもらったヴィンテージドレスのバイヤーサイトで見つけた一着。
サイトの説明を読みながら二人で必死に採寸しヴィンテージドレスの実寸と見比べまくって、一か八かで買ったものだった。
一点物のヴィンテージドレスは基本返品不可だから。
二の腕から背中、鎖骨の下までがスパンコール付きの総レース。手首まである袖と胸元のカップ下からAラインでストンと落ちるジャージー素材で出来たアイボリー色の澪桜にピッタリのエンパイアドレスだ。
まるでオートクチュールのように澪桜のラインを美しく映えさせた。
トレーン、一体型で澪桜が歩く度にヴェールと共に後を引く。
楽しそうに廊下を行ったり来たりして周に見せつけた。
どうやらお気に入りのようだ。
「で、どうだい?? 私的にレンタルドレスを着た時よりしっくりきてるんだが。それにコレ、ビヨンビヨン伸びるから飯もしこたま食えるし! ってなんで泣いてる!?」
澪桜は思わずギョッとした顔で二度見した。
玄関で座り込んでいた周がポロポロと涙を流している。
慌てて近付いた。
「うう。……凄く綺麗だよ。どうしよう、澪桜が神々し過ぎて俺、腰抜けちゃった」
「相変わらず大袈裟だなぁ。ほら泣かないの」
「澪桜ぉ……ギュってして?」
「はいはい」
感動のあまり涙を零す情けない周の頭を撫でて、ドレスのままハグをする。
美しいスパンコール。華奢なレースが施されたヴェール。
周が長い腕で包み込むと柔らかく澪桜の体に沿ってたゆんだ。
「……早くあの美しいチャペルでこのドレスを身に纏う君を見てみたいよ」
「私も、世界で一番綺麗な新郎を早く目に焼き付けたいよ。……周さん的にどうだい? このドレスで決まりかい?」
「ああ、これ以外考えられない。このドレスに似合う俺の服も探さなきゃ。俺は別に綺麗な新郎じゃないけどね」
「私は次に靴かなぁ。何を言う? 私ご自慢のエルフだよ?君は」
クスクスと笑って冗談を言いながら
幸せそうに周の胸に甘える澪桜のおでこにキスを落とす。
「……愛してる」
「くすぐったい。私もだよ周さん……うわぁ」
「よし、腰も戻った。ではリビングまでお連れいたしましょうか? 女神様」
「やっやめろぉやぁ〜」
「無理」
ヒョイっと軽々しく澪桜をお姫様抱っこして、足をバタバタとさせ抵抗されるが気にする事もなく、そのままリビングに連れて行った。
ふわっと優しくソファに下ろす。
周のクォーツのような色素の薄い瞳が澪桜を捕らえる。
ゆっくりと視線を落とし、ヴェールの間から覗く桜色の唇に口付けしようとしたら唇をてで塞がれた。
「それはダメ! 誓いのキスは式の時だけだよ!? よ、よし、これは式までクローゼットに掛けておこう!」
照れてウォークインクローゼットへ逃げる澪桜を目で追いながら周は静かに目を細めた。
「……残念」
***
周の大好物の薬膳スープカレーを食べながら、二人はいつものように他愛ない会話を続けていた。
「今日は遅かったんだねぇ」
「最近、社内で大掃除があってねぇ。今日は大物片付けたからね〜遅くなっちゃった」
「あぁー。換気扇みたいな? あれは確かにね、時間がかかるよ」
「そうそう。こびり付くとなかなかね」
周の仕事の話を聞きながら嬉しそうにご飯を食べる澪桜に、聞き返す。
「澪桜の方は? 何かあった?」
カチャン
一瞬目を見開き、静かにスプーンを置いた。
周は首を傾げる。
「……澪桜?」
「……んだよ」
ポツリと呟く。
だが聞き取れない。
「え? ……何?」
「佐野くんに彼女が出来たんだよ!!」
「え? そうなの? 良かったじゃん」
軽く返す。
スープカレーを堪能しながら微笑んだ。
「うん。相手、誰だと思う? 周さんも知ってる人だよ?」
周は少し考えた。
仕事以外で面識のある女性なんて、松井か佐々木しかいない。
前者はありえない。山本のモノだから。
「え? ……俺が知ってるって……ま、まさか佐々木さん!?」
澪桜は嬉しそうに頷く。
「そうなんだよ!! なんかね、成り行きで付き合う事になったんだって。山本さんに佐野くんめっちゃ惚気てた」
「成り行きねぇ。……でもなんか世間って狭いね」
「ラブラブらしいよ〜なんかね、トモリンと、ココちゃんって呼びあってるんだって」
「ぶふぅ!? ……な、なんなのその呼び名!? 普通のカップルって付き合いたてそうなのかな!? こないだの水族館の時も居たよ!」
周は咳き込みながらティッシュで口元を拭く。
澪桜はケタケタ笑いながら眉を下げた。
「さあ? でもいいよね、なんか仲良しって感じで。ね? 周ちゃん♡」
「やめて。ダサいからやめて」
「あ、そう言えば山本さんから、詳しくは知らないけど何か悩んでるみたいだから周さんの話聞いてやれって言われた。そうなの?」
山本なりの配慮したプッシュ。
周は意味が分かってほっとする。
「……うん。ちょっとね」
「なんだい?? もー、悩みがあるならいくらでも言いなよ。全然聞くのに」
「本当に?」
「本当だよ。なんで疑う?」
食べ終えた食器を片付けながら、シンクに向かう。
澪桜はカレーが辛かったのか、冷蔵庫を開けて、コップに牛乳を注いでいた。
「で? 悩みって?」
ゴクゴクと男前に腰に手を当てて一気飲みしている澪桜に周は頬を染めながらモジモジと呟いた。
「予約、したいなって」
「ん? 予約? ……何の?」
「澪桜と……その。初めて……致す日の」
「!? ぶっほぉぉぉぉ!!!」
牛乳が鼻に入った澪桜は、痛みと話題の衝撃と恥ずかしさのせいで、陸で溺れ続けた。
「澪桜、鼻から牛乳だよ!?」
「うるさいボケェ!!! ティッシュ持ってこっち来んな!!!」
この歳で、彼氏の前で鼻から牛乳を晒すとは思わなかった澪桜。
悲惨すぎて流石に凹んだ。




