279話 ピザの味
「……最近、遅いよね。澪桜さんの帰り」
「そうだね。だから何だ」
「……忙しいの?」
「忙しくはない。でも仕事だってこないだも言ったろ」
「うん。聞いた……でも、どうして?」
「打ち合わせだよ。終わらないんだよ」
「……今日、一緒に出てきたあの……かっこいい人と?」
徐々に……涙声になる。
我慢してるはずなのに。
もう、限界だった。
俯いたまま、周は頼りない声で呟く。体の震えが止まらなくて、小刻みに視界に入る指が揺れていた。
「二人っきりで……? あんな傍に……寄り添って?」
大粒の涙を床に落としながら、もう言葉とも言えないような揺れる音が部屋に情けなく響いた。
澪桜は大きく目を見開いた後、少しため息をついて、まだ温かいピザの箱を周の隣に置く。
体操座りで座った。
「確かにあの人、パーソナルスペース考えてなさそうだが……。しかし、かっこいい?」
「……首太くて浅黒くて、二の腕もがっしりしてて肩幅も広くて。外国人みたいに彫り深くて。……男らしくて優しそうな人だった」
「君も喉仏出てて首も太い。二の腕の筋肉もしっかりついてる。なで肩だけど、肩幅広いだろ。色黒は……山本さんだってそうだろ。優しい? そんなの知らん。……というか君、秦さんみたいなのが理想的な外見なの?」
澪桜は周にピザを渡して、自分もピザを食べながら呆れた声で呟く。
「……うん。すごく二人がお似合いで……羨ましくて。俺とじゃ、ああはならないから」
「……何言ってんだか」
不機嫌な理由が分かったからか
澪桜の声から圧力が消える。
ゆっくり周の不安を溶かし始めた。
「ったく! 来てたなら助けてよ! 普段ならすぐ駆け寄って来るじゃないか!! しかも他社だからって気にしないで聞きなよ! 前は根掘り葉掘り聞いてただろう?!」
「自分が今言えない案件抱えてるからかな? つい。って、助け?……楽しそうに話してたんじゃ……」
「んなわけないだろ!!! あの人ね。9月に中途採用で営業部に入ってきたんだ。しかも営業は初めて。で、始めはビギナーズラックで結構取れてたみたいなんだよ。ただね、何一つ継続案件にできなかった」
「……え?」
「うちの場合、契約は取ったら終わりじゃない。継続案件にして頂く為に、よりコミュニケーションを取っていかないといけない。うちとの取引で互いに利益があがるように。それなのに彼は契約をとったら放置。企業から連絡があってもこちらに丸投げ」
「それは……営業企画部に負担がかかるね」
「というよりね、彼が契約を取りたいが為に適当な事言い過ぎて、申し送りが細かに出来てないから、こっちも詳細を知らないんだよ。……向こうだって聞いてた話と全然違ったらそりゃあね」
「信用できないから、継続案件にはならないね」
「そう。なのにね、彼は『営業企画部が仕事出来ないせいで新規も取れなくなったし、継続案件にならなくなったんだ』と言って聞かない。で、しょっちゅうトラブルになって担当が変わってたんだが、2週間前から私が担当になった」
呆れたように澪桜はピザを食べる。
周もようやく食べ始めた。
「山本は?何してるの」
「山本さんは課長になってから、ずっとてんてこ舞いだよ。その秦さんの尻拭いでね。最近は年末に近付いてきたせいで余計に。ちなみにこの件は部長命令だから無理だよ。山本さんにできることは無い」
「そっか」
周にピザを渡しながら澪桜は笑う。
「……ね? 分かったかい? 私の残業の理由」
「……うん……でも澪桜は大丈夫なの? ストレスとか」
「心配しなくていい。部長からも奴の根性叩き直せと言われている。だからそろそろ現実を見せつけてやろうと思ってる。彼がこのまま意識を変えないなら、営業には向いてない。それは事実だし、生産性が無さすぎる」
「そ……そうだね」
この澪桜を見ることになる。
若干だが、超絶イケメンの彼に周は同情した。
完膚なきまでにプライドを踏み抜かれ、言い返しても無駄。数字という現実と、クレームという事実を突き付けられて。
きっとぐうの音も出ない。
「あとね、君は何をもってかっこいいと思ってる? 基準は? ……言っとくけど、私は全く同意できない」
「……」
澪桜の強い否定を前にしても、先程の映像が目に焼き付いて離れなくて、また少しだけ心がモヤる。
だが澪桜は言葉を止めない。
「自己中心的で他責思考。挙句の果てには虚言癖! ほら良いとこない! あれが優しそうな微笑みに見えた? ならきっと、それで取れたんだな! 契約」
辛辣。
「……うん。かもしれないね」
「あのね、結城マネージャー。君の方がよっぽどかっこいいし、私はね、仕事面でも尊敬してるよ。その仕事の姿勢、部下に対する思いやりも全て」
至近距離で目が合う。
誰よりも孤高で
芯の強い真っ直ぐな瞳。
周は自分の何もかもを肯定してくれる澪桜に
胸がいっぱいになっていく。
心の中で何度も
何度も
謝りながら。
「っ……こ、こんなに……ダサいのに?」
(仕事なのに疑ってごめん)
「うん、そこもかっこいい」
(不安になってごめん)
「ずっ……すぐ……泣くよ?」
(何も言わなくてごめん)
「可愛いじゃないか」
(不貞腐れてごめん)
「……ヤキモチ妬くよ?今日みたいに」
「それはいつもの事。ただ、少しでも不安になったらすぐ言え。私にも、よくそうしてくれてるだろう? 私だっていくらでも安心させてあげるよ」
澪桜の優しい言葉に、涙がまた溢れる。
「うっ……うっ……澪桜」
「もう泣かないで。周さん」
「まだ……俺の事好き?」
「ばかだなぁ、愛してるよ。誰よりも君だけを」
気付くと、澪桜も泣いていた。
罪悪感が一気に押し寄せる。
きっと怒りより先に不安にさせていた。
だからあんなに話しかけてくれていたのにと。
周は震える手で優しく抱きしめる。
男はいつも独りよがり……
本当にその通りだ。
最低だ。
馬鹿だ……何も学べてないじゃないか。
(君を泣かせてしまって……ごめんなさい)
澪桜の香りに包まれ、周の心は完全に溶けていった。
ゆっくり澪桜から離れ、澪桜の涙を優しく拭う。
リビングの床は冷たくて硬い。
座り心地は最悪なはずなのに。
二人はそこから動かなかった。
「ほれ、周さん。もっと食べな?」
「うん」
静寂が広がるリビング。
ピザを食べる音だけが響く。
「……っぐす……耳までチーズ……美味い」
「だね。でも一枚じゃやっぱり足りないだろう? 後でさ、二人でコンビニでも行こう。私、泣いたらスイーツ食べたくなった」
うさぎみたいに目を赤くしたまま、はにかむ君が誰よりも綺麗で。
可愛くて。
「そうだね、後で一緒に行こう」
二人で泣きながら食べたピザはいつもよりやけに美味く感じた。




