269話 違和感
息を飲む。
喉が……乾く。
神崎は何故か足が竦んだ。
周はただ、微笑んで質疑の為に近付いて来ているだけ。
それなのに
目が……笑っていない。
初めて、人に対して恐怖を感じた。
その顔はまるで作り物のように変化がなくて。
内側に自分より、よっぽどどす黒い何かが蠢いてそうで。
神崎はこの時初めて
周へ違和感を持った。
明らかに他の男とは違う
違和感。
「では、幾つか質問させて頂きますね?」
穏やかな、低い声。
神崎は俯いたまま頷く。
「は、はい」
「……田辺さんの、当初の企画案が貴女のパソコンから確認されました。そちらに関して弁明はございますか?」
始めからつつかれるだろう事が分かっていた案件……。
震える声で返す。
「ありません。……盗用……しました」
「やはりそうでしたか。当初から怪しいなと思っていたんです。でも証拠はありませんでしたからね。どうやって入手を?」
「コーヒーを置いてあげるフリをして……田辺さんが離席してる隙に……USBで開いてるページをコピーして……」
「なるほど。だから骨組みしか分からなかった訳ですね。17項目ある内容全ては無理だったと」
盗用に関しては、素直に答えていく。
というか、ハーディンより穏やかな口調なはずなのに
圧が凄くて
逃れられない。
バーの時より更に……。
(まだ終わらないの!? 私、認めたじゃない。あの事はDOOMでしかやり取りしてない。ノースウェルとのメールも言われる通りにした。削除だって完璧にした。……もう証拠はないはず)
「では……こちらについて、ご説明できますか?」
スっと差し出された一枚の紙。
そこには
神崎のパソコンから周のアドレスでノースウェルへ何かを送信した履歴が数件並んでいる。
添付された7枚の記録も。
サァー
血の気が引いていく。
(ど、どうして!? 大丈夫だって言ってたのに! 完全にバレてるじゃない!!!)
中身はない。
だが足跡だけがハッキリ残っていた。
こんな話は聞いておらず
神崎は瞬時に理解できない。
「あ……えっと……」
「ご存知ない?」
優しい声。
頭が真っ白になった神崎は何も答えられなくなった。
「管理者の承諾……どなたから受けましたか?」
「そ、……それは……」
(言えないわ。バラせば報酬はゼロになるって釘を刺されてる。……まだ何も貰えてないのに……そんな馬鹿な真似できない)
口を噤んでいると、周の言葉が響く。
「やはりお答え頂けない。……ハーディンマネージャー、履歴の詳細が復元できなかった事が悔やまれますね」
「ええ。せめて誰が管理者権限を与えたのかが分かれば一掃出来たんですが……本来存在するはずの権限付与監査ログが改ざんされていて、追うことが出来ませんでした。明らかな隠蔽工作だ」
「そうですね。付与IDの記録を破壊して空白を作るなんて……まぁ、こんな事慣れてないと出来ませんよね、倫理的に」
周は辟易したような声で呟き
神崎へと視線を冷ややかに戻した。
それは神崎に発せられた言葉でもあることは明白で。
口元は変わらず弧を描いているが、瞳は軽蔑の色が濃く浮かぶ。
欲しかった男の
異性に向けるでも対等な人間に向けるでもない。
穢い物でも見るような視線に晒され
得体の知れない心地悪さが襲う。
そこに岡本の声が空気を割る。
「まぁそんな奴ばかりが平然と蔓延っていたら我が社は終わるな」
「では、神崎さん」
ビクッ
周の声に、思わず肩が反応してしまった。
目が合っているはずなのに。
一切の温度を感じない。
「ありがとうございました。質疑応答はここまでです。追ってご連絡差し上げますので、本日は業務を終え自宅待機をお願いします」
「はい」
たった一言だけ零れる。
神崎の態度にその場に居た役員達の顔が曇る。
頭も下げずただ、呆然とする神崎へ侮蔑の視線が注がれた。
空気を読んだ周が代表して口を開く。
「謝罪は要りませんが……貴女がした事の責任は非常に重い。それ相応の処分が下る事はご理解くださいね」
「っ……」
周の言葉、その雰囲気に気圧され
やっと頭を少し下げる。
最後に視線を上げた時には
周の目にはもう。
一切神崎が映っていなかった。
まるで最初からいなかったかのように。
神崎は酷く歪んだ表情を浮かべて退席した。
彼女が退席した後、周達は神崎と小池の処分について話し合った。
確定は二日後。
会議の後、藤堂、ハーディンと歩いてエグゼクティブエリアを抜けエレベーターに向かう。
「冤罪、晴らせて良かったですね結城マネージャー」
ハーディンの冷めた声が響く。
視線だけ少し横に向け、淡い空色の瞳を映す。
「ええ、おかげさまで。にしても浮気に性加害に機密情報漏洩に……横領。ここまで擦り付けられると、ふふ。笑えてきますね」
「いや、普通に笑い事じゃないぞ結城。それと横領の件は……確定では無いから流石に詰められんかったしな」
「ですね。僕名義で契約した履歴、受領した履歴……その痕跡である契約書が既に破棄されていた。そのログをハーディンマネージャーが見つけただけ。お陰で僕は口座まで開示しないといけなくなりました」
「……とりあえずお疲れ様です。僕はここで」
開いたエレベーターに乗り、先にハーディンが降りた後、藤堂が口を開く。
「だがちょっとヒヤヒヤしたぞ。お前と関係があったと写真を暴露された後に開き直った時は」
「それは……僕も。あそこでフラれて傷付いたから消しただけと言われてたら……ちょっと役員達からの心象が悪くなったかもしれませんね。あれだけ巧妙に動いてた神崎さんだ、平常時だとしたら証言してたでしょうし。BARに二人で行ったこと」
「まぁな。俺の証言があったとして、あの日二人でプライベートで会ったのは事実。……だから揺さぶったなお前」
藤堂の言葉に
周はしれっとした顔つきで前を向く。
先程の事を思い出し、薄く微笑みながら。
「……思ってた以上に神崎さんは僕の希望通り、無様に踊ってくれました。だからもう用はない。……あとはその後ろにいるゴミを大掃除してスッキリしないとね」
「……頼むからこれ以上人事部を忙しくしてくれるな?じゃあな、お疲れ」
ガシガシと後頭部を掻きむしり、岩のようにゴツく分厚い手のひらをヒラヒラと振りながら、藤堂はエレベーターを降りる。
「さあ、それは確約できないな。俺は潔癖症だから」
閉まる扉の中で……周は独り呟いた。




