266話 呼び出し
10月最後の月曜日。
なんの音沙汰もないまま、神崎はいつもの時間に出社した。
「おはようございます」
「あ、おはよう、神崎さん」
何時もの挨拶。
何時もの雰囲気のオフィス。
出勤してすぐ、神崎のデスクに伊藤がやって来た。
「あ、神崎さん。先週の打ち合わせで話した件なんだけど……」
「あ、はい」
何気ない仕事のやり取り。
だが神崎の心はここに在らず。
先週の事が気になって
仕事が頭に入らない。
チラリと周の方へ視線を向けるが、先週も何事も起きなかったと言うように、そつなく仕事をこなしている。
相変わらず表情からは何も読み取れない男だ。
その様子に、どこか不安を掻き立てられる。
週を跨いだ事で少し心細さが消えつつあったはずなのに。周を見た事でまた神崎を得体の知れない、焦燥が襲う。
神崎は伊藤に視線を戻し、必死に平静を装う。
会話を続けながら自分にまた暗示をかけた。
(私がノースウェルに送信したんだから彼に証拠はない。けれど私も送信履歴はすぐ消した。大丈夫……どうやるのかは知らないけれど、結城マネージャーにお金が入ったように見せかけるって言ってたもの)
あの日、戻ってきたパソコンを何度も確認した。
盗撮の画像や周とのコラ画像も、SNSの画像も削除済だった。画像の事でつつかれても、小池単独ってことにして切り捨てれば問題ない。
ただ、懸念が残るのは田辺の盗用の件。あれは認めるしかなさそうだった。
いつ、自分か周に電話がかかってくるのかと気が気じゃない神崎は
落ち着きがない様子で自身の内線と周の様子を交互に確認していた。
すると、1時間が経った頃。
周の元へと1本の内線が入った。
少し会話をした後、直ぐにフロアを出て行く。
(も、もしかして懲戒審査会に……?)
不安だった気持ちが一瞬で晴れていくのを感じた。
やはり杞憂だったんだと胸を撫で下ろす。
ようやく仕事に集中できると、神崎は薄い笑みを浮かべ、上機嫌でパソコンの作業に戻った。
だがその安堵は
長くは持たなかった……。
30分後
プルルルル。
内線が走る。
ビクッ
神崎の身体が揺れた。
嫌な予感がする。
取りたくない。
だが
震える指で……電話を取った。
「はい。新規事業開発部 神崎です」
『お疲れ様です。人事部の吉岡です。神崎さん、今からエグゼクティブフロア、役員会議室までお越しください』
ドッ!!
心臓が……跳ねる。
声が揺れる。
「……い、今からですか?」
『はい。よろしくお願いします』
機械的な声。要件を済ませると電話は切れてしまった。
小池の方に視線を向けると、真っ青な顔をしていた。
彼にも同じ電話が来ていたのだろう。
(ど、どうしよう。どこから言い訳を……)
何が見られたのか。
どこが疑われたのか。
何も分からない神崎は、唇が乾く。
乾燥で割れそうな唇を吸って湿らせようとするが、口の中すら乾いていたことに今更気付いた。
だが……潤すような時間はもうない。
質疑のシミュレーションすらままならないまま、オフィスを出てエレベーターに向かっていると走り寄ってきた小池に声を掛けられた。
「かっ……神崎さん!どどど……どうしよう!? 俺たちまずいよね!? ……きっとあの盗撮の件だ!! どうしよう!?」
「……うるさいわね。黙っててよ」
つい、素が出てしまう。だがもう神崎に猫をかぶる程の余裕はない。
行きたくないのに、まだ時間が欲しいのに。
気付くとエグゼクティブフロアに辿り着いていた。
警備員がこちらに気付く。
神崎と小池の社員証では入れない。
警備員にインターホンで名前を言うと扉を開けてくれた。
「役員会議室は突き当たりの左側の扉です」
神崎は張り付く喉をどうにかしたくて、息を飲み込む。
……乾きは一向に癒えないままとうとう辿り着いてしまった。
コンコン
震える手で木製の扉を叩いた。
中から秘書らしき女性が出てきて開けてくれる。
「お待ちしておりました。中へどうぞ」
「失礼します」
「し、しつれいします」
二人が入ると……
シン……と鎮まりかえる室内
息が詰まるほど重苦しい空気。
弦を限界まで引いたような緊張感が二人を襲う。
「お……おえっ」
極度の緊張で小池が嘔吐いた。
「っ……!!」
情けない男だと思いつつも、共感してしまう。
それもそのはず。
目の前の馬蹄形に配置された会議机、その外周に役員達が並んで座っている。
その視線が一心に降り注いでいるのだから。
メンツに目を向ける。
事業統括 岡本VP
法務統括 沼沢VP
日本法人運営統括 織田VP
事業統括部 冴木GM
人事部CHRO 藤堂マネージャー
システム管理部CIO ハーディンマネージャー。
そしてなぜか……その中に。
新規事業開発部 CHRO 結城マネージャー。
(ど、どうしてそこに結城マネージャーが……?)
錚々(そうそう)たるメンバーの中で薄く微笑む周と目が合う。
現実を受け止めきれないまま
その場に立ち尽くし、足を竦ませていると、入口付近の席に促された。
(な、何よこれ……これって……)
神崎の理解より先に正解を言うように、司会進行をする秘書の声が響く。
「只今より臨時懲戒審査会を始めさせて頂きます」




