254話 反撃の狼煙
週明け
第三月曜日
13:10
昼休憩を終えた伊藤が、エレベーター前に立つ見慣れた高身長のアッシュベージュの髪の男性社員に声をかけた。
「おはようございます。あれ? 今週は午後出勤ですか?」
その声に気付き、軽く周は振り返って微笑む。
「おはようございます。開発優先でリモートだった分、役員会議や各種打ち合わせとミーティング、外部との顔合わせなんかも詰まってましてねぇ。今週午後出勤でそっちを纏めて片付けておこうかなと」
「うわぁ……それは気が遠くなるほどの忙しさですね……」
「今日一日で全て終わらせる訳ではありませんから。そうでもないですよ」
手元の書類に落としていた視線を伊藤に向けて微笑む。
「……アプリ開発、順調ですか?」
「それが……。皆意見がバラバラで、僕は一から組み直した方がいいと思ったんですが」
「なるほど。伊藤さんのアイデア、少し聞きたいですね」
エレベーターに乗り込みながら周がポツリと呟く。伊藤は申し訳なさそうに口を開いた。
「え? でも……書類確認なさってるのでは?」
「読みながらで宜しければ、アイデア聞かせてください」
「ぜ、是非!!」
新規事業開発部のあるフロアに到着しても、ずっと伊藤は周に相談を続けていた。
時折捲るページを止めて、一考しアイデアを提案する。
デスクに到着する頃には伊藤の表情が明るくなっていた。
「ああ、本当にありがとうございました! 皆にも共有させていただきます! 結城マネージャーにご相談して良かった!」
「僕も伊藤さんの考えが聞けて良かった。前から僕もそう思ってたんですよ。別に既存のアプリを作っても良いのではないか、世界向けじゃなく、国内向けのゲームアプリとしてでもいいんじゃないかって。熱狂的ファンを獲得出来れば派生が生まれて、長期的な利益に繋がりますからね」
「そうですよね! 早速クリエイターへの打診を進めなくては!!」
「魅力ある絵師達に熱意を持って声掛けてみるといいですよ。内容は良いから、自ずと大手のスポンサーも付くでしょう。期待しています」
「はい!」
明るい笑顔で伊藤が頭を下げた。
この間、評価を下げたばかりだから心配していたが、問題なさそうだなと、少し周も安堵する。
久しぶりにデスクに座り、パソコンにログインした。
安定感抜群の椅子に体重を預け、周は深呼吸する。
(……さて。始めるか)
視線をゆっくり……
神崎のデスクへと移す。
神崎もこちらが気になるのか、
直ぐに目が合った。
次の瞬間。
周の切長の瞳が綻び
妖艶に薄い唇が弧を描く。
今まで一度も神崎に向けたことがない顔。
寂しげで、それでいて何かを伝えるような――
神崎は余りの衝撃に目を見開き、固まっていた。
(……い、今の……何?)
慌てて瞬きし、もう一度確認したが……今のがまるで幻だったかのようにもう視線は合わない。
ブー。
マウスに重ねている手が微かに揺れる。
スマホの通知だ。
軽くタップしバナーを確認した。
……佐野からだった。
最近頻繁に報告と相談をしてきていた。
佐野は思っていた以上にあの安達澪桜に惚れていて、扱いやすい。
掌で上手く転がしている感覚はとても楽しかった。
そしてなにより……バカ正直だから指示すればその通りに動いてくれる。
神崎はそこに映し出された文字を読んで……口角が上がる。
『安達先輩は、やっと別れを決めたようです。俺との事考えたいって言ってくれました。サキさんに申し訳ないことしたって、ずっと泣いてました』
「ふふ」
思わず声が漏れた。
(……なるほどね。先週何かあったんだわ……だから隙があるように見えたのね)
神崎は理解する。
この程度時間が掛かるであろうことは想定済。
だがこのチャンスを逃すような女ではない。
社内で仕事の駒として使ってる8名ほどの男性社員。
そのうちの一人、奥田から貰ったデータをそのままコピーし、印刷した。
手入れの行き届いた自慢の髪を軽やかに靡かせて、周の所へと向かう。
周の視線の動向を確認するように。
自分が一番美しく見える角度で近付いていく。
それに気付いた周はゆっくり視線を上げ、見蕩れるように神崎へと釘付けになった。
ゾクリ……。
神崎の中で何かが快感に変わる。
(ああ、いいわ。その目で見られたかったのよ)
「神崎さん、どうしましたか? 何か確認ですか?」
言葉は変わらない。
業務的なまま。
だが視線は熱い。
神崎は少し色気を孕む声で更に近付いた。
「このまま先方に送ろうと思うのですが……ここの表現が気になって……。海外との直接的なやり取りは前の部署ではあまりなかったので……すみません。このような事でお手を煩わせてしまって」
「確か前在籍されてたのはシステム企画部でしたよね? どうしても一旦本部を通しますからね……確認しますね」
長いまつ毛が揺れ、瞳が滑る。
近いうちに手に入る美しく長い指、適度に主張する喉仏。
微かに覗く鎖骨。
愉悦に浸り見入っていると、あっという間に印刷物が戻ってくる。
「問題ありません。流石ですね」
相変わらず端的で、長居させて貰えない空気。
今まで見てきた男とは違うこの雰囲気のせいで
周の本心が……読めない。
(……手強いわ。何度か確認する必要がありそうね)
何度も男を魅了してきた神崎は
それでも焦らない。
嬉しそうに微笑み、屈託のない表情を作る。
「良かった! 不安だったんです。メールで結城マネージャーに送ればいいとは思ったんですが、直接ご指摘頂きたくて、すみません。ありがとうございました!」
「いえいえ。元々うちで働いてたんじゃないかってくらい出来てますから。自信持って」
周は神崎に向けて深く微笑んだ。
思わず息を飲み、立ち竦んでいると更に周の唇が動く。
「ところで神崎さんは、休憩などはしっかり取れてますか?」
「えっ……はい。最近は14時頃から取るようにしていますが……?」
「そう」
一瞬だけ、口元を綻ばせ
周は何事も無かったかのように、パソコンに集中してしまった。
一応、一礼しデスクに戻る。
「……?」
ふと、振り返ると
また周と目が合った。
薄い笑みを浮かべている。
ドッ!!!!
ただ微笑みかけられた。
それだけなのに……心臓が未だかつて無い速さで脈打つ。
掴めそうで掴めない周の心が
長年欲しくてたまらなかった男が
もう少しの所まで落ちてきている……?
周の視線には
百戦錬磨の神崎でさえ
そう、錯覚してしまうほどの熱を孕んでいた。
14:35
いつも通り神崎は、女子社員2人と中身の無い話をしながら昼食を取っていた。
「こないだどうだった?」
「婚活パーティー? ダメダメ。全然ダメ」
「あははは。またダメだったんだ」
「やっぱハイスペイケメンは出現率低いわ〜。それよりこのリップ可愛くない?」
「思ったー! それシュウウエスギの新作!?」
女子社員達のどうでもいいレビューを聞きながら神崎は先程の事をずっと反芻していた。
神崎の経験上からするとあれは――
「おや、お疲れ様。君たちも今休憩なんですね」
見上げるとそこには
色素の薄い髪を揺らし、周が立っていた。
人事部の藤堂を連れて……。
なぜ第二週ですぐ動かなかったのか。
周はなぜ13時から出勤だったのか。
もうお分かりかもしれませんが
ゆっくり答え合わせしていきます✨️




