253話 アブラカラメ、ニンニク野菜マシマシ
「お疲れ様です」
「お疲れ様です、結城マネージャー」
軽く頭を下げ、上りのエレベーターに乗り込む。
鼻を掠める女性特有の香水の香り、男性のマリン系の香水が混じり合う空間をすぐに出て、出際に”閉まる”ボタンを押す。
エレベーター前の、強化ガラスで出来た扉の前に立った。センサーに社員証を翳し、自動ドアのロックを解除する。
エグゼクティブフロア(役員階層)
ジャケットの襟を正し、颯爽と歩き始めた。
異様なほど白い床。白い壁。
この階層はクレストリンク社内でも異質な空気を放っている。
カツカツと足を鳴らし、規則正しいリズムを刻む。
事前にアポを取っておいた人物のデスクの前で立ち止まった。
コンコン。
「入れ」
「失礼致します」
「ああ。結城……時間ピッタリだな」
貫禄のある、渋い声がよく響く。
周は頭を下げて部屋に入った。
「少し、個人的に困った事になりそうでして。その前にご相談を」
「君が……か? それは珍しいな」
面白がるように笑い、重厚感のあるソファに周を促す。
前置きなど一切言わず、周はファイルを取り出した。
「この書類をご確認お願いします」
岡本VPは目の前に差し出されたそれを手に取り、ゆっくり捲り始めた。
「……」
「まだ公表するつもりはありませんが、岡本さんにご報告し、先手を打っておこうと思いまして」
「自分で調べたのか?」
「いえ、半分は……僕の婚約者に対する嫌がらせからです。それで社内での匂わせ写真もSNSにあげていると……間接的に知りました」
女子会の後、澪桜から聞いた話も加え、事実を淡々と話す。
岡本の顔が少し変わった。
「……なるほど。なぜ訴えない?」
「……何となく、怪しい気がしまして」
「怪しい?」
「はい。彼女、名古屋支部の方だったのですが、引き抜きでウチに来まして。背後に政界がいる可能性を藤堂さんが示唆しておられました」
「それは聞いている。ただ証拠は無いようだがな……」
そう呟いた後、ハッとする岡本が周に目を向けると薄く冷たい微笑みを浮かべていた。
「……結城……」
「では、失礼いたしますね。次は藤堂さんに会いに行かなきゃいけないので。あ、そうそうそれともうひとつ――」
防音が施された一部すりガラスの壁から二人の動きが見える。
周の言葉に驚き、長考した後、岡本は深く頷いて何かを呟く。
周は丁寧に頭を下げて部屋を出た。
颯爽と去っていく周の姿を確認した後すぐにパソコンを開いた。
「その可能性は俺も考えていたが……システム管理部に話を通しておくか。全く……食えん男だな」
素早く画面のカーソルを動かし、システム管理部のCIO(セキュリティ最高責任者)へとメッセージを送る。
***
場所は代わり、人事部特別応接室
「はあああああああ!? お前、なんで言わなかったんだよ!!!」
獣の咆哮のような声が響く。
涼しい顔の周は藤堂の入れたコーヒーを飲んでいた。
「言いましたよ。だから早く移動してくれって」
「いやいやいや……役に立たないとしか言ってなかっただろう……」
「盗用も証拠はありませんから、可能性の話ですし。あの時点では下手に言えなかったんですよ。僕の所には要らないとしか」
藤堂はバツが悪そうに口を開いた。
「でも調査させたら、黒瀬はともかく神崎はお前んとこの社員からは評判だったんだよ……」
「それはどうせ男性社員でしょう? 彼女の仕事は彼らが賄っているみたいですからね。僕は作られたPDFやアップされたクラウドのデータに目を通すだけだから、確証はありませんが……案件ごとに癖がバラバラなのでね」
藤堂はその言葉に何という事だと呆れる。
更に周が持ってきたファイルを確認して、頭を悩ませた。
「……これは……前代未聞だ」
「ですよね。僕も困っちゃって、初めて外部に調査依頼しました」
「婚約者は?」
「出退勤ログを見せたら少しだけ安心してくれました。他は見せられないから」
寂しそうに笑う。
数々の匂わせ写真を見た後、例のあの写真にページを止めて日付を見た。
「……何かあったら言え、こないだの役員会議は俺もいたんだ。アリバイ位は証明してやるよ」
「……」
何も言わないでキョトンとする周に藤堂が怪訝な顔をする。
「何だ」
「ゴリラが優しい」
「お前何つったぁぁ!?」
クスクスと笑って周が腕時計を見た。
「あ、もうこんな時間ですね。僕の用事は終わったし、ご一緒にお昼でもどうです? 今日は予定が見えなかったからお弁当が無いんです」
その言葉に周の上にある掛け時計に目を向ける。
時刻は13:20。
ちょうど昼ごはん時。
藤堂は勢いよく立ち上がった。
「いいな! あそこの二郎系ラーメンが食いたかったんだ! ところでお前、神崎に直接言わないのか?」
「まさか、そんな事言いませんよ。言って済むくらいの常識人なら、僕に婚約者がいる時点で諦めるでしょう?」
「まあな」
周が開けた扉からノシノシの出てきた藤堂がため息をつく。
フロアを並んで歩きながら、周が微笑んだ。
「……それに何よりここまで喧嘩売られたのに。勿体ないじゃないですか? だからね、僕なりに相手してあげようと思うんです。藤堂さん、付き合ってくださいね?」
「な、何で俺がそんな面倒くさい事を!?」
エレベーターのボタンを押し、静かに藤堂に振り返る。
微笑んでいるのに目が座ったまま。
「だってこんな状況にした一番の原因……貴方でしょ?」
「ぐっぐむ」
「僕は最初から要らないって言ったのにね。しかも僕の部署に要らない場合すぐ移動させるって言ったのにね」
「ぐむむむ……」
「ま、神崎のストーカーについてはプライベートのトラブルなので会社に責任押し付けるつもりはありませんけどね」
いちいちナイフで抉るような言葉を投げかけてくる周に目を向けた。
相変わらず涼しい顔をしている。
(……コイツ、かなりキレてるな)
「だから」
エレベーターに乗り込み、ニコニコと微笑む周と視線が合った。
嫌な予感しかしない。
「だ……だから?」
「お忙しいとは思いますが最優先事項で、休日も就業時間後も付き合ってくださいね? あくまでプライベートとして」
「はああああああああああああ」
藤堂は肩を落とし、逃げられない運命を呪うように、重たいため息をついた。
3階に降り、社食に向かう。
不意に藤堂が聞いた。
「そう言えば、今日黒瀬の方は?」
「……彼は今日もリモートワークです。当分会社には来させません」
「……すまんとしか言いようがない」
「いえいえ、彼に関しては……どうもあの話しぶりからしてどの派閥か分かりませんがVP? あたりと繋がりがありそうですからね。藤堂さんにもどうにも出来ませんよ」
久しぶりに食べる体に悪いが美味しい二郎系、オリジナル味噌ラーメンの食券を買い、周は笑う。
「アブラカラメ、ニンニク野菜マシマシ、を二つ」
慣れた様子の周が受付カウンターでコールした。
「あ、お前……この後、役員会議とか色々あるんじゃないのか?」
「問題ありません。この後は帰宅してWeb会議三昧ですよ。だから僕も久しぶりにマシマシにしました」
「婚約者嫌がらないのか?」
藤堂の質問に、嬉しそうに頬を緩ませた。
「何も? 彼女は女神ですから! ……言うとしたら『周さんがなんか香ばしい! それなら夜もニンニクマシマシ、野菜マシマシパスタと決め込もうじゃあないか!!』とか言うんじゃないですかね?」
お盆に乗ったボリューミーな注文の品をテーブルに運んだ。
相変わらず絵面がおかしい周。
儚い顔、ごっつい脂とニンニクマシマシのラーメン。
穏やかな陽の光に照らされて、何故かオシャレに見える。
……そして聞く度に、変なエピソードとセリフしかない周の婚約者。
「お前の婚約者、一回話してみてぇなぁ。式の前に会わせろよ? 一言しっかり謝罪せんとならんしな!」
くしゃっと顔のシワを深めて、藤堂が笑った。




