232話 蜘蛛の罠
※230話の冒頭の文章が、アップロードのタイミングで抜けておりました。
会議の翌週、リモートワーク中に周が風邪を引いたよという内容だったのですが、気になる方は冒頭2行程度ですが、ご確認よろしくお願いいたします!
お手数おかけしてしまってすみません!
「神崎さん、何かいい事あったんですか?」
小池が隣を歩く神崎に目を向けた。
髪を靡かせて笑みを浮かべる。
スっと背筋を伸ばし振り返る男達の視線をあびながら、改めて自分の価値は高いのだと路面店のガラスに映る美しい姿に軽く目を向けた。
「そうなんです。先程ちょっといい事あって」
会社のエントランスを抜けて、エレベーターが来るのを他の社員達と待ちながら、自分の中の一番可愛い角度で小池に微笑む。
思わず息を飲み、しどろもどろになる小池。
「っ! それは良かったですね! 朝からなんて縁起が」
「小池さん」
「はい?」
「……先程はありがとうございました。じゃあ、私ちょっと広報部に用事がありますので。失礼します」
「え? あ……はい」
エレベーターを先に降りて、振り返りもしない神崎。
小池はただその意味深な言葉の余韻と、香りに戸惑うだけだった。
***
広報部からオフィスに戻ると、仕事が始まる。
東京本社も名古屋支部と大して変わらない……くだらない仕事。
適当にすればいいのに。
こんなもの。
そう心で呟きながら、神崎を盗み見て鼻を伸ばす社員達に仕事を適当に擦り付け、ご褒美とばかりにボディタッチを繰り返す。
モテないブス達からの白い目線を無視して比較的美人ラインの女たちと昼食や噂話で暇を潰す……いつも通りの退屈な時間を過ごして終業時間を迎えた。
周のいないデスクに一瞬だけ視線を送り、神崎もデスクを後にする。
「お疲れ様です。神崎さん」
「あ、お疲れ様です、伊藤さん」
穏やかに話しかける伊藤へ、愛想笑いを返した。
ちょくちょく、アプリ開発以外の仕事もフォローしてくれる彼。
気を取り直し、丁度いい相手なので嫌われないように、付かず離れずの距離感を保つ。
他愛ない会話を交わしながらエントランスを抜けた二人。
先程呼び出していたタクシーの前に立って、振り返った神崎は満面の笑みで口を開いた。
「伊藤さんお話楽しかったです。それじゃあまた明日」
「はい! また明日。僕も楽しかったですっ……気を付けて」
少しだけ赤く染まった頬をかく彼と、会社前で挨拶を交わしタクシーに乗り込んだ。
「……ここに行ってください」
運転手にスマホを見せた後、窓の外で見送る伊藤に頭を下げてその場を離れる。
会社が見えなくなった瞬間、先程までの作り笑顔を消して、窓に視線を向けた。
移りゆく景色を瞳に映して長いまつ毛を……微かに揺らす。
何かを思うように―――。
ガチャリ。
分厚いマンションの扉を開く。
フワッと甘い香りが鼻腔を掠めた途端、扉の重みがズシッと腕に伝わる。……一気に気が抜けたからか、それとも疲労からなのか、急に身体が重い。
「はぁ。疲れたわね……」
誰もいない部屋で独り言を呟いてそのままシャワールームに消えて行く。
帰宅して数時間後、柔らかな暖色系の明かりが灯るリビングの中で、神崎は質のいいクリームを肌に塗り込んでいた。
全身のスキンケアを終わらせて満足した神崎は丸みを帯びた柔らかなソファに腰を落とす。
冷蔵庫から出していたアイスワインをグラスに注ぎゆっくりとソファに身体を沈めて、ワインで口を湿らせる。
芳醇なブドウの香りと、はちみつのような甘さが口の中に染み渡った。
お気に入りのドイツワイン。
いつもの味を楽しみながら、イチジクを口に入れる。
今日は一段と機嫌がいい。
「ふふ。今朝はタイミング良く小池に名前を呼んで貰えて良かった。あの女が書類の名前まで見たかわからないもの。……ああ、毎日待ち伏せした甲斐があったわね」
周がリモートワークに切り替えてから、ずっと神崎は今日ようなチャンスを伺っていた。
ワインを揺らして、スマホのアイコンをタップする。
SNSアプリを開いていつもの通り、写真を投稿した。
―――加工した写真。
定期的に通知が鳴る。
一切気にも留めない神崎はイチジクを味わった。
プチプチとした食感を楽しむ。
「にしても……やっぱり、あの二人はSNSしてないみたいね。興信所にも調べて貰ったけど、ヒットしなかったし……」
柔らかな桜色からベージュのゴールドラメを品良く散りばめたグラデーションの爪を眺めながら、ワインを嗜む。
「ユリシス内であの女と交流のある人間は、山本拓海と、松井沙也加って後輩の二人。……関係性不明が佐野心優ってやつ。……この3人のみ。思った通りの陰キャ女だったお陰で、調査費用も時間も浮いて助かったわ」
クスクスと笑みを零し、計画通り進んでいる状況と、いつもより美味しく感じるワインに酔いしれて越に浸っていた。
だが一瞬、笑みが消える。
「でも本当に……興信所に依頼しておいて正解ね。まさかユリシスにあの山本拓海がいるなんて……しかもあの女の上司だなんて……。まぁよくある手だけどね……うっかりしてたわ。あの女、山本を使って結城マネージャーに近付くなんて、案外計算高いじゃない」
大学の頃、周にアプローチしようとするとことある事に傍に居た空気の読めない、邪魔な男。
あのふざけた顔を思い出して少しイラつく。
そして無害そうに見えた、にも……。
女は皆、計算高くて誰かを出し抜こうとする汚い生き物。
(……だからこそ、潰しがいがあるというもの。奪った時のあの女の泣き崩れる顔を思うと。あの女から乗り換え、私に縋り愛を乞う結城マネージャーを思うと……)
ある程度の幾つかのシナリオは考えてある。上手くいけば、傷心中の周に近付ける。そうなれば後は既成事実を作ればいいだけ。
昂る気持ちが抑えられず、つい、表情が歪に緩む。
「まだダメよ……慌ててはダメ。前から仕込んでた私の仕掛けがそろそろ効き始める頃だし。今は静かに待てばいいのよ……ふふ」
何もかもが追い風のように感じる神崎は、気を引き締める為に何度も自分に言い聞かせた。
だが……この高揚は抑えきれない。
楽しそうに喉を鳴らし、肩が揺れた。
少しずつ甘さとアルコールが身体を満たしていく。
もう少しで手に入る予定の男を想って……酔いが更に進んだ。
残りのワインを全てグラスに注いで最後の一滴に視線を向ける。
「時期を見て次のターゲットに接触を試みないとね。その為には何とかして画像を手に入れないと……アレに使える画像を……」
夜景に重なる美しい自分に見蕩れる神崎の不敵な笑みが静かに、そして人知れず溶けていく―――




